抑圧的な母から逃れたい

相談者名
ぽぽい
 はじめまして。こんな年齢になって今更、相談も恥ずかしいのですが、母のことですが
母自身は愛情の欠片も無い祖母(母の母)から他の兄弟とも差別されて育ち学校も行かせて貰えないと云うか昔の奉公のような感じで親戚のお店をしてる叔母さんの家に預けられたとそう云う話を物心つくかつかない位の年齢からズット母から聞かされて来ました。その時に母の話を聞いては涙を流しました。母が可哀想な存在で、そのように思わないと
母自身も納得しなかったのだと思います。しかし母は結婚も失敗だったと父の悪口ばかりを毎日、私に聞かせました。父が少しでも私に優しくするとか、我が家は自営業でしたから従業員の男性が30名くらい勤めていましたし、その人たちが、【可愛いね、女の子は】
って社交辞令でも私にキツク叱り付ける母でした。【いやらしい子だね・・・】って嫌な目つきで、そう言うのです。体罰も毎日のように何を叱られたのか覚えては居ませんが?
ただ、カッ!となったら、すぐに私の弟も殴られたり括り付けられたり、骨折や脱臼も
しました。それは、父には絶対に言ってはいけない事でした。階段から突き落とされたり
あざを作って学校に行っても自分で落ちたという感じでした。

結婚前も結婚後も母は結局、私に干渉しては、離れてはくれないのです。何でも母の言いなりでなければ、母は酷く怒ります。私の出産後2年もしない間に母は父を置いて家でを
しました。私が高校に行く時は入学金も全部、母は使い込み結局、父に上手く言って私が
高校も辞めて自分から家を出て行ったと報告したのです。私は高校に合格して入学説明会も母は来てくれず、私は自分でお小遣いなどを貯めていたのいで何とか入学したのに母は
看護婦寮のある定時制の高校に行きながら免許も取らせてくれるという病院を探して来て
私はそこに行く事になったのです。私は、モウ45歳ですから30年も前の話ですが給料は
2万チョット午前のみ手伝うような感じで、寮の費用も引かれますので、そこから頑張って10万円を貯めたのです。私は、まだ母に誉めて貰えるかと家に電話しましたが・・・
定期にしてあげるから、そう言われて、渡しましたが、そのお金も使われてしまいました

それまで私が高校へ行くまでは我が家はかなり儲かっていたのですが、母は貯金なども
全くしてなくて、今でもお金遣いが荒いです。贅沢は止められないのです。

父は半身不随になって母は籍も抜かず他の男性と一緒に暮らしています。その父の介護は
26歳から6年半私ひとりでしました。小さな子供を抱えながら、看護婦のパートや当直の
バイトをしながら父の介護と若いから何とか乗り越えて来ましたが、母は何かにつけて
未だに我が侭で何かあると怒り狂ってしまうのです。電話を掛けても私が居ないと私の
友人から主人の友人親戚中に電話を掛けては私を知らないか?って聞き回るのです。

私は今年の夏まで看護婦をしていました。癌になって辞めました。その時に母は何か他の
事で腹が立っていたのでしょう。主人が田舎に帰った事で腹を立てたのですが、自分を
2番目以降にされたと思い込んで、自分を1番でないと怒り出すのです。
姑さんと仲良くしたら、怒るのです。あんなのは放って置いていいのよ、って言います。

私がそれで、母のあまりなので注意したら、私が正しい事を言い過ぎるという感じでまた
怒り出すのです。この前は母の再婚相手の還暦をお祝いしようと設定したのですが母の
我が侭で、もうしないとか、もう行かないとか、その相手の方が気を使ってしまうし
相手の方のお祝いと言うのに、ダダをこねて、大変でした。自分が主役じゃないという事
私が姑さんも今は大変で入院すると言ってしまった事で、姑には気を使うし優しくして!
私には、しないのか!?って気持ちのようですね。何かあれば、嫁にやった子なんだから
向こうの姑に面倒見てもらいなさい、と産後も姑さんが来ました。九州から神戸に母は
歩いて5分くらいの家に居るのに手伝いには来ないのです。私は6回引っ越しました。

しかし母はその再婚相手と一緒に近所に引っ越して着いて来るのです。
再婚相手の方とは私が16歳からの関係です。母は男女の事には特に厳しくて本当に
何も無いのに疑われていました。その母がそう云う事をするなんて最初はショックでした。今まで私は母の立場になったら、分かるだろうか?今の母の年齢になったら、分かる
のだろうか?って辛抱して来ましたが、今年、癌になった娘に心配の言葉も何も無く
全然、連絡もして来なかったのです。騒がれるよりは、いいかな?と思いましたが。
でも、その3ヶ月間は平和な日々でした。治療や手術や大変な時期だったのですが、それでも私には幸せな期間でした。弟は18歳からおかしくなって精神科に入院退院を繰り返しています。母は弟を溺愛しながらも殴ったり急に怒ったりしていましたから。
私はむしろ15歳で家を出されて良かったのかも知れませんが、自分を確立できずに
随分、今まで苦しみました。今は母が哀れな感じです。離れたいのですが、私が冷たい
人間なのでしょうか?それで苦しんでいましたが、癌になってから自分を考えてみる事が
出来るようになったのか?母から離れて良いのでしょうか?再婚相手の還暦だけは何とか
無事に終わるように、それまでは、と我慢して来ました。もう疲れました。

カウンセラー
根本裕幸(退会)
ぽぽいさん、こんばんわ。根本です。
お返事お待たせしました。
ご相談ありがとうございます。45年間、ずっと強い悲しみや寂しさと戦ってきたような感じがしますね。
理解されることもなく、でも、お母さんに認めて欲しい日々だったような感じもしてしまうかもしれません。
ぽぽいさんにとって人生ってどのようなものなのでしょうか。
楽しみ、喜びを感じるというよりは、常にお母さんの影に怯え、自分を殺してしまうもののようになってしまっているのかもしれません。

でも、同時に、お母さんへの深い愛情も持っていらっしゃるようですね。
弟さんも精神的に参ってしまったのに、ぽぽいさんは癌になりながらも、お子さんやご主人との家庭を作っていらっしゃいましたね。
それはお母さんや自分の家族への強い愛情がなければ、なかなか成し遂げられないことだったようにも思います。
精神的な強さというよりも、強い愛を僕は感じてしまいます。

もしこのような状況を乗り越えて行くことができるとしたら、きっとぽぽいさんの生まれてきた目的・使命のようなものをきっと見つけていけると思います。
それはお母さんが誰からも与えられなかったものだし、お父さんやご主人にもたくさん与えたくなるものだろうと思うんです。
単純な言葉を使えば、それは「愛」なんだろうと思うけれど、何かもっと深い慈愛のような、誰の心にも響くようなものを僕はイメージしています。
言葉じゃなくて、ぽぽいさんがほんとにしたいこと、与えたいもの、数々の痛みを乗り越えてでも掴みたいもの、そんな本当に素敵なものがあるのではないでしょうか。

そんな自分の心の持つ、本当の力を見つけ出していきたいですね。
ぽぽいさんが心から「こんなんええなあ」と思えるもの。
それはずっとぽぽいさんが心の中で夢見てきた家族の姿の中にあるのかもしれません。
たくさんの苦しみを感じながらも、ここまで生きてこられた、その理由。
それを見つけて行きませんか。

> 母自身は愛情の欠片も無い祖母(母の母)から他の兄弟とも差別されて育ち学校も行かせて貰えないと云うか昔の奉公のような感じで親戚のお店をしてる叔母さんの家に預けられたとそう云う話を物心つくかつかない位の年齢からズット母から聞かされて来ました。
その影響として、お母さんは人に対してどのような気持ちを感じるようになってしまったんでしょうね。
恨み辛みや怒り、憎しみ、不信感。
寂しさや悲しみ、理不尽さ。
ありとあらゆるネガティブな感情とともに生きてこられたのかもしれませんね。

そして、ぽぽいさん自身も同じなのかもしれません。
まるでお母さんの感情をなぞるように、いろんな苦しみを感じられてきましたよね。
それはお母さんのことを本当に大切に思っていた心、愛されたい気持ち、そして、助けたい気持ちが作り出したものなのかもしれませんね。

> ただ、カッ!となったら、すぐに私の弟も殴られたり括り付けられたり、骨折や脱臼も
> しました。それは、父には絶対に言ってはいけない事でした。階段から突き落とされたり
> あざを作って学校に行っても自分で落ちたという感じでした。

それは本当に苦しいことだと思います。
我慢ばかりの毎日だったろうと思います。
痛みにも麻痺してしまって何も感じられなくなってしまったこともあったでしょう。
言葉にすることもできないくらいだろうと、お察しします。

> 結婚前も結婚後も母は結局、私に干渉しては、離れてはくれないのです。何でも母の言いなりでなければ、母は酷く怒ります。私の出産後2年もしない間に母は父を置いて家でを
> しました。私が高校に行く時は入学金も全部、母は使い込み結局、父に上手く言って私が
> 高校も辞めて自分から家を出て行ったと報告したのです。私は高校に合格して入学説明会も母は来てくれず、私は自分でお小遣いなどを貯めていたのいで何とか入学したのに母は
> 看護婦寮のある定時制の高校に行きながら免許も取らせてくれるという病院を探して来て
> 私はそこに行く事になったのです。

ちょっと信じられない出来事ですよね・・・。
そんな時代に、どんな気持ちで毎日を過ごしてしまったのでしょう。

また、どうしてもお母さんに従うしか無かったんですよね・・・。
それくらい抑圧され、意のままに動かされてきたんじゃないかな。
だとしたら、お母さんが持っているような「自分の母への恨み・辛み」も相当積もり積もったのかもしれません。
でも、それをがんばって乗り越えられたのもすごいことだと思います。
お金を貯められたこともそうですし、結婚も、育児も。

> 我が侭で、もうしないとか、もう行かないとか、その相手の方が気を使ってしまうし
> 相手の方のお祝いと言うのに、ダダをこねて、大変でした。自分が主役じゃないという事
> 私が姑さんも今は大変で入院すると言ってしまった事で、姑には気を使うし優しくして!
> 私には、しないのか!?って気持ちのようですね。何かあれば、嫁にやった子なんだから
> 向こうの姑に面倒見てもらいなさい、と産後も姑さんが来ました。九州から神戸に母は
> 歩いて5分くらいの家に居るのに手伝いには来ないのです。私は6回引っ越しました。
>
> しかし母はその再婚相手と一緒に近所に引っ越して着いて来るのです。

お母さんにとっては、常に自分が一番下の世界で生きてこられましたよね。
だから、自分の子ども、それは自分が思い通りにできる、自分を一番にしてくれる存在として扱ってしまっているようです。
それは子どもたちからすれば、本当に残酷なことだったけれど、お母さんにしてみれば、それ以外に愛情を感じることができないと思ってしまったのかもしれません。

引越しをするたびについてくるのも、内心、自分を一番に考えてくれる(そう躾けてきた)ぽぽいさんの傍でないと生きていけないような気持ちを感じているのかもしれませんね。
不安だからこそ人を操りたいと思うし、自信がなければないほど、その行為は激しさをまして行きます。
だから、お母さんにとっては、誰からも愛されない自分、誰からも必要とされない自分をいつも感じて生きていらっしゃるのかもしれません。

> 私はむしろ15歳で家を出されて良かったのかも知れませんが、自分を確立できずに
> 随分、今まで苦しみました。今は母が哀れな感じです。離れたいのですが、私が冷たい
> 人間なのでしょうか?それで苦しんでいましたが、癌になってから自分を考えてみる事が
> 出来るようになったのか?母から離れて良いのでしょうか?再婚相手の還暦だけは何とか
> 無事に終わるように、それまでは、と我慢して来ました。もう疲れました。

ぽぽいさんのお話を聞いていると、言葉にすることがためらわれるような気がしていました。
何を表現しても不十分な気がして。

お母さんに対して、封印してきた気持ちがこれからのぽぽいさんにとっては今の状況を抜け出る鍵になるでしょう。
僕にはそれが“激怒”といったものであろうとも。

ぽぽいさんがお母さんから本当に自立し、自分を確立して行くために、自分自身の本音ともう一度向き合って行く必要があると僕は感じています。
もう一度ぽぽいさんが書いてくださった書き込みを読み返してみてください。
そして、その一つ一つに自分自身がその当時どんな気持ちだったのか?そして、今改めて何を感じるのか?を丹念に見ていって頂きたいな、と思います。
そうして、今まで封印されてきた感情があれば、それを解放していきましょう。

僕はぽぽいさんが冷たいとは感じていませんよ。
むしろ、暖かすぎるようにも思ってます。
お母さんを手放して、自由になることを目標にしていきましょう。
そして、ぽぽいさんが自分の人生を実現できること、僕も応援させてくださいね。

ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー

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