頭がとまる。

相談者名
ゆきんこ
自分の頭と心が動いていない感じが度々あります。
悪いことをしても、罪悪感がなく謝ることができないです。
自分に対しての感情がなく、別に異常だと感じてなかったのですが職場の人(と言っても、専門学校の時のクラスメイトで今の職場では経営者)毎日毎日言われます。
周りの事に対しても、どうでもいいとか、または何も感じないということがあり、それについても『可哀想、哀れだ』といわれます。
それで、またしても何も感じなかったり、時には酷く辛く泣き崩れてしまうことがあり、自分でもなぜかはわかりませんが『頭と心が合致しているときと、離れている時』がある気がします。

周りからすると、『やる気があって、考えられている時と、やる気がない時』と言われますが、やる気がないわけではなく(と自分では思っていて)考えようと思っても頭がぐるぐる同じ言葉が空回りするだけになるんです。

どーでもいいという衝動にかられ、職場の人を困らせているのですが、自分で困らせているわりに実感わかなくなってしまってます。
どうしたらこの変な思考のループから抜けられるのでしょうか。

カウンセラー
中原謙一
ゆきんこさん、はじめまして
私は中原謙一と申します。
よろしくお願いいたします。

読ませていただいて、私が感じたことなのですが、ゆきんこさんは「自分の頭と心が動いていない感じが度々あります。」とおっしゃっていますが、実際にはちゃんと動いているのだと感じます。
ただ、その動き方が、周りの方と少し違うのではないかと推測されます。

人間の意識は、大きく3つに分かれています。
思考をつかさどる顕在意識。
感情をつかさどる潜在意識。
感覚をつかさどる無意識です。

ゆきんこさんの場合、この3つのうち思考と感覚がそれぞれ機能しているのだと思われますが、その中で「感情」がポイントなのだと私は感じます。

一般的には、思考と感覚がまったく一致していないときに周りとの摩擦やトラブル、問題が生じやすいといわれています。
ゆきんこさんも思考と感覚に多少ずれがある可能性がありますが、ここで一般の方とゆきんこさんには、違いがあるのだと思われます。

一般の方は、思考と感覚をずれが生じる原因として、感情が邪魔をしたり、感情に振り回されたりということが多く見られます。
しかし、ゆきんこさんの場合、この「感情」がほとんど邪魔をしていないんですよね。
それはゆきんこさんに感情がないわけではなく、感情の扱い方が他の人とは違うのではないかと私は感じます。

もうひとつ、気になるところがあります。
一般的に「感情の波がある」という言葉があるように、感情というのは波打つように激しくなったり落ち着いたりするわけですが、ゆきんこさんのばあい、「感覚の波」があるみたいですね。

つまり、一般の方は「感情に振り回される」ことが多いわけですが、ゆきんこさんの場合、「感覚に振り回される」ことのほうが多いと推測されます。

これはゆきんこさんに何らかの問題があるわけではなく、周りの方と「意識の使い方」の手順が違うからなのではないかと私は感じます。
しかし、周りの方は「自分ができていることは、周りの人もできて当たり前」と思っていますから、自分と同じようにゆきんこさんもきっと同じ意識の使い方をしているのだろう、と勝手に解釈をします。
そのときにゆきんこさんがとった態度を自分の「当たり前」に照らし合わせたときに、「やる気がない」とか「哀れだ」と解釈しているのかもしれません。

ゆきんこさんのような人の場合、一般的に罪悪感を感じるような場面でも罪悪感が感じられなくなったり、何が悪いのかが理解できなかったりすることはよくあることでしょう。
これは罪悪感がないのではなく「何が悪いのかがわからない」のであれば、罪悪感は出てこないわけです。
もう少し噛み砕いていうと、一般の方が「悪いな」と思うことが、ゆきんこさんにとっては「何が悪いのかわからない」から、罪悪感の持ちようがないわけです。
それは必ずしも悪いことでも問題でもなく、わからないものはわからないわけですから、しかたのないことですよね。

さらにもうひとつ、ゆきんこさんにはポイントがあるように感じます。
それは「なぜ思考に頼りすぎるのか」ということです。
もう少し思考と感覚のバランスが取れていてもいいのではと思うのですが、どちらかというと感覚よりも思考を重要視している感じがあります。
思考はパソコンなどと同じように、あまり無茶な使い方をしてしまうと、フリーズしたり、突然動作が遅くなって再起動せざるをえなくなったりすることがあります。
要するに、使いすぎなんですよね。

普通であれば、ここで感情を使って思考をいったん休ませるのですが、ゆきんこさんの場合はこの感情がうまく使えないために、さらに感覚にも頼りませんので、結果として思考のみですべてをやらざるをえなくなってしまうのでしょうね。

ゆきんこさんの問題の本質は、「なぜ感情が思考や感覚と切り離されているのか」と私は感じます。
ただ、これこそ自覚できないことですし、当然周りも理解できないことですから、扱うのはなかなか大変かもしれませんね。

さて、ゆきんこさんが現状を打開するために私からできる提案ですが、方法は二つあります。
ひとつは、ゆきんこさん自身が「自分と周りの人とは思考や感情、感覚の遣い方が違う」ことをしっかりと認識することでしょう。

もうひとつは、わからないことを、みんなと自分は違うということを回りに理解してもらうことでしょう。

自分にとっての当たり前は相手もできて当たり前。
これは誰にでもある感覚ですが、実際には自分にとっての当たり前が必ずしも相手にとって当たり前ではないのいうのが正解です。

何かを感じなくてはいけないわけではなく、何も感じないのも感情です。
しかし、自分が罪悪感を感じたら、同じシチュエーションではきっと相手も感じるだろう、とは限らないわけです。

この「違い」を理解することが、ゆきんこさんにとっては結構大切かもしれません。

ただ、そのためには自分自身をよく理解することが必要です。
それも思考レベルではなく、感覚レベルでですね。
最初にも書きましたが、ゆきんこさんは感情や間隔の使い方が普通の方とは少し違いがあります。
その違いはよほど注意しないと見分けにくいくらいの違いなのですが、その見分けが必要なんですよね。
例えれば、塩とベーキングパウダーくらいの違いです。
ぱっと見では判別がつかないかもしれませんが、実際には結構違うものだったりするわけですよね。

まずはじっくりと「自分を理解する」ところからはじめてみてください。

人に何かを言われたときは、何がわからないかを紙に書いて、わからないことを明確にしておいてください。
そこに自分の当たり前と人の当たり前でない部分が隠れていたりしますからね。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。

頑張らずに、チャレンジしてみてくださいね。

ありがとうございました。
中原謙一

 

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