自立と依存が逆転するとき

こんにちは 平です。

すべての対人関係は、自分が「自立的な立場」をとるか、「依存的な立場」をとるかに区別することができます。

たとえば、子ども時代は、親が自立的な立場となって子どもの面倒を見て、子どもは依存的な立場で親と接します。が、弟や妹ができると、そのとき、あなたが何歳であったとしても、弟や妹に対しては自立的になっていきます。

そして、その自立的なやり方は、自分にとって自立的立場の見本である親のようになっていくものです。小さな子どもが、まるでおとうさんかおかあさんになったかのような口調で弟や妹に文句を言ったり、しつけをしようとしたりするわけです。

男女関係でも同じように、惚れられた側が自立的な立場、惚れた側が依存的な立場となります。惚れた弱みとでもいいましょうか、好きになったほうが依存的になってしまうのです。

が、しかし、すべての依存と自立の関係は、いずれ関係性が逆転します。

親子関係でいうと、あれだけ強く、支配的だったり、権威的だったりした親も、いずれ年をとって弱ってきたら、あなたが面倒を見てあげなければいけなくなるわけです。

さらに、足腰が弱り、動けなくなったり、オムツをしたりと、まるで赤ちゃんのように、全面的に介護しなければいけないときがくることもあります。

このように立場が逆転したとき、依存的立場だった人は、自立的立場だった人が自分を扱ってくれたとおりに、その人にお返ししようとします。

つまり、自立的だった人が「依存的だった自分にひどいことをした」という思いがあれば、相手が弱り、自立の座から依存に落ちたとき、「過去の復讐をいま果たしたい」と思います。

逆に、「ほんとうに自分は愛された」という思いが強いと、それだけの愛をお返ししたいと思うわけです。

仏教用語に“因果応報”という言葉がありますが、あなたがしたことは、最後には結局、あなたに返ってくるようなのです。

パートナーシップでも、あなたがパートナーに与えつづけたものは、いずれかならず、形は違うかもしれませんが、あなたに返ってきます。

それは、いますぐではなく、もう少し先の未来かもしれません。

いわゆる熟年離婚とか、定年退職をして退職金をもらった途端に奥さんから離婚を宣言される定年離婚という話を聞くことがありますよね。これもまさにその一例です。

ご主人側にはほとんど問題意識がなく、うまくいっていると思ってきました。しかし、それはひとえに奥さまがご主人に合わせてきたからなのです。

あるいは、ご主人にも多少は自分がワガママだったという自覚があるので、反省とお詫びをこめて、退職金でハワイ旅行をプレゼントしようと考えたりしています。

が、奥さまとしては、それは欲しいけれど、「あなたとは行きたくないわ」、「お詫びもこめて、私のお友だちのぶんの旅費まで出してくれたら好感度アップなんだけどな‥‥」と思ったりしています。

離婚まではいかないにしても、つまり、そんなことぐらいでは、長年の恨みは晴れないわけです。

ご主人にしてみれば、そんなにひどいことをした憶えはありません。自分はただ一生懸命、家族のために働いてきたと思っています。

が、しかし、奥さまの話を十分に聞かずに放っておいたツケを、定年退職後、こんどは自分がほったらかしにされるという形で払う運命にあったとは、まったく気づいていなかったわけです。

奥さまからすれば、「長年、私をひとりぼっちで淋しい思いをさせたあなたは、余生は淋しい思いをして、それがどのような気分か思い知るがいいわ」というわけです。

自立と依存は、いつか必ず逆転する。

だとしたら、いま、自立的な立場にいるあなたは、いつか、あなたがしてもらいたいような方法で、相手のことを徹底的に愛してあげてくださいね。

 

では、次回の恋愛心理学もお楽しみに!!

この記事を書いたカウンセラー

About Author

神戸メンタルサービス/カウンセリングサービス代表。 恋愛、ビジネス、家族、人生で起こるありとあらゆる問題に心理学を応用し問題を解決に導く。年間60回以上のグループ・セラピーと、約4万件の個人カウンセリングを行う実践派。 100名規模のグループワークをリードできる数少ない日本人のセラピストの1人。