罪悪感の心理学2~その影響力と許しへの第一歩~

罪の意識が及ぼす影響と孤立感、そして、癒しのための「許し」へのプロセスです。

僕が毎日書いているMini Columnから生まれたネタです。
カウンセリングをしているとその日その日のテーマ、その週のテーマ、その月のテーマなど、何か流れがあるように感じます。
「今日は“手放し”ばっかり扱ってるなあ・・・」とか、
「今週は“コミットメント”の話をよくするなあ・・・」とか。
そんな中、最近、罪悪感を扱うことが多いので、改めてひとつの心理学講座として纏めてみました。

最初に罪悪感を扱ったのはこの心理学講座のまだ始めの方、もう今から2年も前になるんですよね。
とはいえ、このテーマは本気で扱ったら、とんでもない量のコンテンツになってしまいそうなので、今まで無かったのが不思議なくらいです。

※罪と罰の心理学~罪悪感~

●罪で罪を重ねる

罪悪感があるといわゆる「罪で罪を重ねる」状態によく陥るようです。

たとえば、原付バイクに乗っていて、つい信号無視をしちゃったとしますよね。
「あ、やべー」とか思ってると、後ろでうぃーん、うぃーんとサイレンが聞こえ、「そこのバイク、止まりなさい」なんてアナウンスが聞こえてくるわけです。
そして、一目散に逃げ出したら、その道が「一方通行」で、思い切り逆走してしまったりするものです。

そして、一旦停止無視などを繰り返して、最初は「信号無視」だけで済んだはずが、いくつもの罪を重ねてしまうわけです。
この「逃げたい気持ち」が、結果的により多くの罪を作ってしまうようです。

じゃあ、何から逃げたいのでしょう?

簡単に言えば「罰せられること」ですね。
掴まってしまえば、罰せられてしまう。
罰せられたら・・・笑いものになる、罰金を取られる(損失をする)、かっこ悪い、プライドが傷つく、誰かに迷惑をかける、社会的地位に影響がある・・・などなど、それぞれの「恐れ」のストーリーが続きます。

だから、逃げます。
そして、結果的にはより多くの罪を償わなければならなくなるんです。

社会的には「何をもって罪とするか?」というのは法律が定めるものですが、心の世界では自分が裁判官になるんですね。
そして、社会常識を範にしたり、あるいは家訓・教育、自分自身の経験などから、心の中に法律を作り、自分で自分を裁くケースが多いのです。

●一人で抱え込むしかないのでしょうか?~自己破壊的なパターン~

そして、罪悪感が強い分だけ、一人で抱え込んでしまうことになります。
皆さんも「うわー、すっごく悪いことしちゃった」と思うことがあれば、誰にもいえなくなりますよね。
正直にすぐに言える人って案外少ないのではないでしょうか。
溜め込んで溜め込んで、それから「告白」することも少なくないのかもしれません。
そうすると既に手遅れになってしまっていたり、あるいは、一人で抱え込んでしまうのは重たいし、しんどいから、そこから逃げ出そうとしたりします。

妻がいるのに浮気をしてしまった・・・としましょう。

ばれたら離婚だ、慰謝料だと騒がれると思ったら隠し通さなければなりません。
(これが罪悪感ですね。罰=離婚、慰謝料という図式です)
そうするとどんな表情で家に帰り、どんな表情で奥さんや子供達と会うでしょうか?
きっとちょっと固い表情になるんじゃないかと思います。
でも、妻と少し心理的な距離が空いていたとしたら、これ幸いと顔を合わせずに自分の部屋に閉じこもることもできるかもしれません。

でも、居心地は悪いんです。
とても居心地が悪いんです。

ばれたらどうしよう・・・とびくびくしてしまうかもしれません。
どんな嘘を突き通そうか?と考えるからかもしれません。
はたまた「あいつが悪いんだ」と自分を正当化させようとするのかもしれません。

そして、結果的に「かたくなな態度」「無表情」「目をあわさない」という抑圧的な態度に出るか、逆に「いつもよりハイテンション」「気持ち悪いくらいご機嫌」などの無駄に明るい態度に出るか、「怒りっぽい」「イライラしてる」の逆切れ状態になるかのどれかになります。
でも、どれにしても不自然そのものですから、その場を一刻も早く離れたいと思うでしょう。
その行き先は?
言うまでもなく、浮気相手の女性です。
そうして、その女性への思いがどんどん募っていくんです。
その後、その思いにも慣れてくるとより完璧な防衛線を張るようになるわけです。

浮気をされている奥様側をカウンセリングするとき、
「ご主人は罪悪感を感じているんですよ」
とお伝えすると、多くの場合、
「ええー?あの態度で?信じられないです」
なんて答えられるケースが一番多いですね。

もちろん、ご主人に「罪悪感感じてますか?」てインタビューしたとしたら、
「え?ええ?そんなことないですよ。だってあいつが悪いんですから」
なんて答えられるかもしれません。

それはそうですよね。
ばれないようにその気持ちを抑えて感じないようにしてきたわけですから。

でも、奥さんに疑惑を持たれてからは、一気に形勢は不利に転じます。
必死に隠そうとしたり、開き直って奥さんを攻撃したり、「彼女が運命の人なんだ!」と主張したり、明らかに「(周りから見て)普段の夫、本当の夫ではない」状態を作り出していきます。

そして、自分を罰するかのようにハードワークしたり、アルコールにのめりこんだり、セックスに没頭したり、暴力的になったり、とても自己破壊的な行動を繰り返してしまうようになります。
「不倫にセックスは不可欠なもの」と言われる所以もこんな心理にあるのでしょう。

そんな風に罪悪感があると、ひとりで抱え込み、そして、現実の社会から逃避しようとします。

そして、やがては途方も無い孤独感に襲われるようになります。
まるで独房に閉じ込められたように感じることも少なく無いでしょう。
そこでは誰との繋がりも感じられず、そして、やがては死すら意識することがあります。

●受け入れること、理解すること

そんな罪悪感を抱えてカウンセリングに来られると、そんなことしないって分かっていたとしても「怒られるんじゃないか?否定されるのではないか?」と強い恐れを感じてしまうもののようです。
罪の意識は「罰せられるべき」という観念を作り出します。
だから、一人で抱え込み、そして、その罪の重みを感じる分だけ、「怒られるんじゃないか?」という恐れを作り出すのです。

カウンセリングでは、まずは、受け入れるところから始めます。
もし、浮気をしちゃってすごく罪悪感がある、、、としたら、自分を責めるより、どうして浮気をしなきゃいけなかったのか?を考えてみます。
「悪いもの」と決め付けるのではなく「不可避だった」という前提で物事を見てみるんです。
「浮気せざるを得なかった理由があるとしたら何だろう?」と。
そこには“理解”できる余地がきっと出てきます。

不満がいっぱいあった・・・
とても寂しすぎた・・・
余裕がなくて、どこかに逃げたかった・・・

「今日は気分がいいなあ。さあて、妻を困らせるために浮気でもしよう!」
て人はあんまりいないと思うんですね。
罪悪感を作るには何らかの自分自身の心の痛みがそこに隠れています。
それを受け入れ、理解することが最初の目標になるんです。

もちろん、してしまったことに対する責任はあります。
傷つけてしまった人もいるかもしれません。
でも、必要以上に責める必要はありません。

それは同じ事を繰り返さないために、すごく大切なことなのです。

●助けを求める、繋がりを求める

責めれば責めるほど、自分で自分を追い詰めていくのを感じられるでしょう。
そして、自分ではもう止められないくらい暴走気味に自己攻撃をしてしまうことも少なくないからです。
自分で自分を攻撃するだけでなく、他者からの攻撃にも晒されることが少なくありませんね。
心の中が戦争状態になってしまいます。
その攻撃を止める一歩目が「受け入れること」なんです。

そしてそれは「自分自身と向き合うこと」でもあります。
でも、一人ではなかなか難しそうでしょ?
ほんま、勇気が要ることですよね。
だから、誰かとの繋がりをその状態で求めてみることが大切です。
恋人、親友、家族、カウンセラー等々。

「え?こんな状態なのに?こんなひどい自分なのに?」

はい、そうですよ。
それが出発点になります。

その繋がりを求めることが即ち「助けを求める」ことになるのです。
カウンセリングに来る、それは自分を罰しに来るわけではありませんよね。
それが既に助けを求めることになるんです。
だから、まず僕達はあなたを受け入れようとするんです。

●受け入れた先にあるもの

もし、誰かに助けを求め、自分自身を受け入れることが出来たとしたら、どんな世界がそこに待っているでしょうか?
「許された~!もう無罪だ~!!」という気持ちは残念ながらやってきません。
改めて、自分のしたことで傷ついた人たちを見つめることができるようになるのです。

実は自分を責めている間、相手を思いやる余裕なんてありません。
逃げることで必死だったりしますから。
でも、自分自身を受け入れられたとき、初めて、相手の人と向き合えるのです。

浮気を繰り返して奥さんへの罪悪感がいっぱいになってしまった方がおっしゃってました。
「今、本当に妻の痛みが分かるような気がします。本当に申し訳ないことをしてしたんだな、という気持ちで一杯です。もっと優しくしてあげたい、もっと苦労をねぎらってあげたい、そんな気持ちが自然と湧き上がってきます。こんな私が言うのもおこがましいのですが、妻が許してくれたならば、本当の夫婦になるために出来るだけ前向きにやって行きたいと思います。もし、許してくれなければ、それは自分自身が犯した罪への罰として謙虚に受け入れて行きたいと思います」と。

許しへのプロセスはこれからですが、まずはその準備が出来たようです。

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