才能を見つける~あなたの“当たり前”を見てみよう~

才能とは特別なものではなく、あなたの“当たり前”の中にあるものなんです。

「やさしい人」というのは人に優しくすることは当たり前のことですよね。
だから、「優しいね」と人に言われても、「ああ、そう?ありがとう」とあまり感激は覚えないものかもしれません。

そんな風に自分自身が持つ才能とか価値というものは、当たり前すぎて気付かないところにあるものだったりします。
“才能”といえば、すごく特別なものであり、他の誰もがもっていない秀でたもののように感じるものですが、実際は、その人にとって一番自然なもの、何の疑問もなく使えるものなんです。

だからこそ・・・分かりにくいですよね。
それに自分自身では何の価値も感じないかもしれません。
でも、それがポイントなんです。
それくらい当たり前なものとして、あなたの中に備わっているもの、それが“才能”と呼ばれるものなのです。

絵が描ける、歌がうまいなど、目に見える形で出てくるものであれば分かりやすいものの、心理学やカウンセリングの中で扱う“才能”という言葉は、それ以上に抽象的なもの、性格的、心理的なものだからなおさら。

心理学的に見れば、絵がうまい!という才能も「表現力」と言い換えられます。
心の状態や物事を上手に表現する才能がある、という風に。

前述の「優しさ」についても、展覧会などの基準もありません。
だから、なおさら“当たり前すぎて”見つけられないことがたくさんあるんです。

●才能が問題になるとき

ところが、多くの人にとってその才能は心の奥深くに仕舞われてしまっていることも少なくありません。
気付きにくいから、という理由もありますが、もっと大きな理由は才能と呼ばれるものは、よりそれを使うのに困難な状況が与えられるからなんです。

例えて言うならば、幼い頃から神童と呼ばれるような頭の良い少年は、成績優秀のまま、一流の高校、大学へと進学しますよね。
そして、そのまま国や世界のトップクラスの研究所などへ進むかもしれません。

でも、そんな研究所に集まるのは国の、世界の頭脳と呼ばれる“天才”ばかりですから、自分が小さい頃から神童と呼ばれていたとしても、それを日常的に感じる場はどんどん少なくなっていくんです。
「小さい頃は神童も、大きくなれば只の人」なんて言葉があるのはそのせいかもしれません。

また、優秀な外科医は優秀であるがゆえに、難しい手術ばかりが回ってきます。
10回に1回しか成功しないような症例ばかりを扱うかもしれません。
そうすると自分が優秀な外科医であることよりも、助けれられなかった人のことを思い、メスを置きたくなるかもしれません。

才能というものは、その人をより厳しい、困難な状況に連れて行くわけです。

もちろん、頭の良さや手術の腕前というのは、これまた目に見える、分かりやすいものですよね。
でも、あなたも持っている内面的な才能というのも、また、同じような状況を招くのです。

●問題の影に才能あり

ある女性をカウンセリングしていた時でした。
彼女は幼い頃からお父さんとの間に問題を抱え、愛情をほとんど感じないまま大人になって来たようです。
高校生くらいから色んな男性とお付き合いをしてきましたが、二股をかけられたり、体だけの関係だったり、暴力的な彼だったり、不倫になってしまったり、彼女曰く「本当にロクな恋愛ができないんです」とのこと。

でも、ついつい近づいてくる男性を拒めないことも多く、男性を信用できないながらに、お付き合いを繰り返していました。
だから、最初にお会いしたときは、本当に疲れきっている様子でした。

男性から受けた痛みが本当にたくさんあり、それをできるだけ解放してあげることがまずは一歩目だな・・・との思いでお話を伺い、セラピーを行っていきました。

でも、2、3回目のカウンセリングの時に、少し心に余裕が出来てきた彼女が、ボソッとこんなことをおっしゃったんです。
「言い寄られたりすると、傷つくなあ・・・って分かっていてもついつい心を許してしまうんですよね。他にもきちんとした男性と知り合っていても面白味を感じなくて、ついついそんな人ばかりを選んでしまうのかもしれないです。私って傷つきたがっているんでしょうか?」

そのとき僕は2つのストーリーを思い浮かべました。
一つ目は“罪悪感”のストーリー。
彼女はひどい男性とお付き合いすることで傷ついて来ましたよね。
もし傷つくような男性を無意識的に選んでしまうとすれば、それはまるで、恋愛を通じて自分に罰を与えているように見ることもできます。
だとすれば、彼女自身、気付かないうちに男性に対して強い罪悪感を抱いてしまっているのかもしれません。

もう一つは、その罪悪感の更に下の感情を見ていくものになるかもしれません。
それは、傷ついた男性を助ける、というストーリー。
その時、こういう風に彼女に伝えてみました。
「あなたが今まで関わってきた男性って、ひどい人ばかりだったかもしれませんが、見方を変えれば、すごく傷ついた人ばかりではありませんでしたか?もしかすると、そうした痛みに気付いて放って置けなかったのではないでしょうか?本当は、助けたかったんじゃないでしょうか。」

そう伝えると彼女は涙を流しながら、黙って頷いていました。
助けたいのに、助けられなかったとしたら、とても大きな罪悪感を背負ってしまうでしょう。

でも、彼女にとっては傷ついた男性を見ると、助けたくなって手を差し伸べてしまうのかもしれません。
「今度こそ、助けたい!」と思って。

もし、戦場に例えるならば、彼女は傷ついた兵士を助けるためにやってきた看護婦さんのようかもしれません。
そうだとしたら深い傷を負った兵士を放っておくことはできないでしょう。
でも、そこが戦場だから、彼女もまた傷ついてしまうこともありますよね。
そこでは本当は自分の痛みを癒してから、兵士を助けるべきだったとしても、傷ついた兵士を見ればついつい自分の痛みを我慢して助けようとするのかもしれません。
足や腕から血を流しながらも。

そんなたとえ話をしながら、彼女にはまずは自分を癒すこと、そして、助ける方法を学ぶことを提案しました。
それくらい傷ついた男性が集まってくるとすれば、彼女には彼らを助ける才能があるはずですから。
その方法をまだ知らないだけか、あるいは、自分の痛みが大きすぎるか、だと僕は思ったんですね。

彼女は今も自分を癒し、助けを学ぶことにチャレンジしてくれてますが、一時期よりもほんと表情も雰囲気もだいぶ変わってきたようです。
女性らしさは元々たくさん持っていた方なのですが、それが作ったものではなく、本当に自然な形になってきたような気がします。
ご本人も「すごく変わったと思いますし、人にもそう言われます」ってこの前おっしゃってました。

才能の形は違いますが、似たようなお話しを以前、僕のプロフィールページに紹介させてもらったことがあります。

僕達は意外かもしれませんが、持って生まれたような才能を、なぜか封印してしまうことが少なくありません。
その分だけ、僕達の人生はとても辛く、しんどいものになってしまいます。

●才能を見つけるヒント

あなたが昔からずーっと苦手だなあ・・・と感じているところにこそ、その才能は眠っているかもしれません。
以前、エクササイズで自己嫌悪から自分の魅力を見つける方法をご紹介しましたが、それも同じ考え方です。

対人関係が苦手な人・・・あなたにはコミュニケーションの才能があるのかもしれません。
どうしたら人とうまくやれるのか、人生を通して研究してきませんでしたか?

そんな風にあなたの周りに集まってくる人、あるいはあなたが人生を通していつもテーマにしているような、考えているようなものがあるとしたら、きっとそれはあなたの才能の存在を教えてくれるヒントかもしれません。

あるいはこんな見方もできるでしょう。
「もし、今の問題を解決できるとしたら、それはどんな自分だろう?」って想像してみることです。

もし「そんなのスーパーマンにしかできないよ」と思ったならば、あなたはスーパーマンになる才能があるのかもしれませんよね。
それを受け取ることはできますか?

●才能を使える自分になるために

でも、最初は「そんなんイヤや・・・」とタブーになってしまうものなんですね。
なかなか見つかりにくいものでもありますし、自分のやり方や過去の成功法則にしがみついてしまって、チャレンジしにくいものです。

でも、実際は、才能と呼ばれるくらいのものですから、あなたにとって、とてもナチュラルで、負荷のない、ごくごく当たり前のことになることが少なくありません。
優しい人が、人に優しくするのが当たり前なようにね。

そうすると、ぐぐっと毎日が楽にすごせるようになりますし、いい方向に進んでる、いいエネルギーが回ってる、そんな気持ちを抱くことができるようになっていきます。

だから、自分自身や自分の周りを見つめてみること、そこが一歩目になりますね。
周りの人に聞いてみることも大切なことです。
自分一人では知らないうちに、視野を限ってしまうことが少なくないですからね。

そして、気付くことがあったり、教えてもらったことがあれば、そこに勇気を持ってチャレンジしてみることが大切です。
最初は違和感ありますが、やがて、自分に馴染み、自然なものへと変わっていくでしょう。

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