娼婦マインドと修道女マインド~恋愛が苦しくなる理由~

「別れたら良いのに」って思うのに、愛情もあってなかなか別れられなくて苦しい。

そんな気持ちの裏側にはこんな心の状態を見て取ることができるのです。

僕のプロフィールページで書いているミニコラムでとても評判が高かったので、今回、講座として纏めなおしてみました。
少し難しいかもしれませんが、よく目にする恋愛事例から、心の状態をご紹介します。

●こんな恋のパターンにはまっていませんか?

周りからも「別れたらいいのに」って言われていたり、自分でも「この人と付き合っていても将来はないかも」と思うのに、なかなか別れを決意できないばかりか、逆に執着が強まってしまうケースがありますね。

もちろん、好きって気持ちもあり、相手にも魅力を感じるのですが、一方で、つれなくされたり、都合のいい女に扱われたり、飴と鞭をうまく使われたりして、泥沼化してることもあります。

そんな恋愛をされる方は、とても情熱的だったり、慈愛深かったり、女性性が非常に強いのも特徴ですね。
(つまり、女性としての魅力をとてもたくさん持っていらっしゃるんです)

また、そんな女性が惹かれる男性は超自立タイプで感情を表現しないか、あるいは全く逆に、ヒモのようなタイプで、すぐ感情的になるか、どちらかに偏るようです。

こういう男性は心に強い痛みを持っているんですよね。
それを隠そうとして超自立するか、開き直って依存的になるかなんですが、そうした心の痛みを、この情熱的な女性達は見過ごすことができないようです。

彼女達には、そんな男性を癒したり、助けたりする才能があるので「ついつい好きになってしまう」のかもしれませんね。
そういう男性に対しては「助けてあげたい」という気持ちがすごく強くなるんですよね。

●「助けたい私」vs「不安な私」

でも、彼も手強く、なかなか助けられない相手です。
だから、情熱の女は一層燃えますが、その一方で、心の中に無力感をいっぱい溜め込んでしまうようになります。
それでも情熱的な分だけ、何度も何度も彼を助けようとするんです。
拒絶されて酷く傷ついて、それでも彼に手を差し伸べるような感じです。

ところが、自分自身は拒絶された痛みもありますから「愛されてないんじゃないか?」という不安も強くなり、それが一層、犠牲的になったり、依存的になったり、あるいは、おかあちゃんになって徹底的に面倒を見たりします。

彼に呼び出されたら、他の用事を放り出しても駆けつけてしまったり、いけないと思いながらもお金を与えてしまったり、本当に酷いことを言われても歯を食いしばって我慢して尽くしたり。

そうすると助けたい気持ちの方は麻痺してしまって「私、何してるんだろう?」と疑心暗鬼になり、ずぶずぶと底なし沼に入り込んでいくような感覚を抱くこともあるでしょう。

そんな風に自分が前向きなときには「彼を助けたい私」になり、後ろ向きなときには「不安な私」になって、彼に、この恋にすごく振り回されてしまいますね。
そして、ますます辛く、どうしたらいいのかが分からなくなってしまい、ぼろぼろになってしまうかもしれません。

●娼婦と修道女

そういう場合には、これが本能的なものなのか、母性と言われるものなのか、隠れた魔女性なのかは色々ありますが、“性”の問題を抱えるようになります。

○娼婦マインド

彼を助けたい、でも、助けられない無力感から、彼に与えられるものが自分には何も無いような錯覚に陥ります。
そうすると、彼に与えられるのはこの体だけ・・・とまるで“性の奴隷”になってしまうんです。
セックスもファッションも何もかも彼の要求を全て受け入れて、自分を見失い、心身を傷つけるようになります。

その姿がまるで自分の体を犠牲にして男性を満たす娼婦のように見えるので、こうした心理を“娼婦マインド”と呼びます。

○修道女マインド

ところが、過去にそういう恋愛をしていたり、思春期を過ごす上で性的な潔癖さや嫌悪感を持っていると、今度は逆に性的な欲求や関係を抑圧するようになります。
そこからセックスレスの問題を抱える方も少なくありません。

自信が無いから、私には無理だから、と彼の前で自分を表現したり、自分を出せなくなって窮屈になってしまうんですね。

この場合は「私にはもう彼を助けられないわ」と諦めてしまって、じっと耐えるだけの女性になってしまいます。
心には「愛されているのかどうかすごく不安」という気持ちをずっと抱え込みながら。

これは娼婦の逆の態度になり、あたかも窮屈な戒律で縛られるようになるので“修道女マインド”と呼びます。

つまり、前項の例えを使えば「助けたい私」の時には娼婦に、「不安な私」の時には修道女になりやすいようです。

●より深い愛情とコミットメントに向かうために

これらの二つのマインドは一方に偏ることも少なくありませんが、振り子のように娼婦と修道女が交互に繰り返される場合もありますね。
それも一人の彼と付き合っている間に両方出る場合もあれば、前の彼氏には修道女で、今回の彼には娼婦と相手を変えて出てくる場合もあります。

自分の魅力的な部分は「諸刃の剣」になるんだなあ・・・とカウンセリングをしていて実感しているのですが、強い女性性を持つ方は、こうしたマインドを作り出すんですね。

もっと楽な相手もいるんだろうけど・・・でも、難しい相手が好みなのかな?
何か宿命的、運命的なものを彼に感じてしまっている方も多いです。

これを癒していくアプローチは、一つは自分の女神様のような部分(女性性の美しさ)を受け入れ、許すこと。
もう一つはその魔女性を受け入れること、許すこと。

え?魔女になっちゃっていいの?なんて気持ちになるかもしれませんが、魔女性を強く持つ分だけ、女神様のような慈愛深さも同等に持つのが心のバランスなんですね。

娼婦から魔女へ、修道女から女神様へ昇華するようなイメージです。

もしあなたが娼婦じゃなくて、魔女だったとしたら???
彼をもっとリードし、もっと気持ちよくしてあげたり、自分も楽しめる関係を作れるんじゃないでしょうか?
「つれなくしたら殺すわよ」ってさらっと言えるようになるかもしれません(笑)

もしあなたが修道女から女神様に成長できたとしたら???
彼を大きく包み込み、優しさや愛情で、彼の傷を癒してあげることができるんじゃないでしょうか?
「私が癒してあげる」という言葉が自然と口を付いて出てくるかもしれません。

どちらも、彼へのより深い愛情とコミットメントを創ってくれます。

このアプローチにチャレンジしていくには強い勇気や思い切りが必要です。
でも、そこは情熱の女の強みで、その気になれば「それは無理だろう?」って状況でも、乗り越えられてしまう方が少なくありません。

そんなときには、まるで「奇跡」にも似た体験が出来るものです。

(補足1)奴隷マインド

娼婦マインド、修道女マインドを広義に捉える見方として「奴隷マインド」というものがあります。

奴隷がご主人様の命令に絶対なように、何らかの対象と支配的な関係性を作ってしまうことを言います。

男性もアッシー君になって、女王様に仕える奴隷になってしまうこともあります。
また、男女関係だけでなく、親子関係や会社との関係にも奴隷マインドは見受けられます。

奴隷マインドというのも一つの行動パターンになるので、奴隷マインドを持つ人は、得てして仕事でも、親子関係でも奴隷になっちゃってる方が多いのかもしれません。

会社に尽くして、家族に尽くして、皆に気を使い、そして、疲れてしまった・・・。
こう聞けば珍しいことでは無いような気がしませんか。

この奴隷マインドを癒し、手放していくには、自分自身の美しさ、輝き、才能、魅力を徹底的に受け入れていくことが必要です。
奴隷にならなくても十分人を助けられる、役に立てる、ということを知るために。
もちろん、そのプロセスの中で、奴隷にならざるを得なかった過去のトラウマに触れること(癒していくこと)ももちろんあります。

(補足2)マインド

“マインド”という単語が良く出てきますが、これは「心の状態」と捉えて下さい。
「娼婦マインド」というのは「娼婦のような心の状態」という意味です。

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