セックスレスの心理3~私が本当に望んでいるものは何だろう?~

セックスレスについてのカウンセリングを進めて行くと、とある不思議な心理に出会うことが少なくありません。

私達が持っているセックスに対する観念と、それを手放して行くプロセスを紹介します。

セックスレスは女性側が気付くことが多いんですが、それは一般的に女性がセックスを「愛情表現」として捉えていることに多いからかもしれません。
だから「セックスがない」⇒「愛情表現がない」⇒「愛されてない!!!」と不満を感じるんですね。

女性側からのセックスレスのカウンセリングはとても多いんです。
最初は「夫が抱いてくれない」という不安や不満から始まります。
それは愛されていないような気持ちになったり、何か満たされないような感覚から生まれるものです。

その上、カウンセリングに来られる前には最低は夫婦で一度くらいその話で揉め、
「お前を女として見られへんねん」
などと言われてグサッと傷ついてしまいます。
そして、そんな結婚生活の行く末や寂しい老後などを想像して心理的に参ってしまうこともあるでしょう。

●セックスを本当に望んでいるんだろうか?

でも、そこでふと立ち止まって考えて見て欲しいことがあるんですね。
それは「本当にセックスを自分が望んでいるのか?」という点です。

カウンセリングで自分の気持ちを見つめ、心を解放するプロセスが進んでいくと、当初の問題とはまったく逆の問題が出てくることがよくあります。
セックスレスの問題もカウンセリングを進めてしばらく経つと、最初はセックスがないことへの不満が強かったのに
「なんか、今、旦那に求められても応えられないような気がします」
とか、
「今はむしろ、あたしの方がセックスしたくないんです」
とおっしゃるようになったりするんです。

不思議なことですが、実は、私達の表層意識と深層心理には、そんな真逆の気持ちが隠れていることが少なくないんですね。

でも、そうして心の奥の本心に気付き始めると、改めて「どうして二人がセックスレスになったのか?」という本当の理由(感情的、心理的な理由、いわゆる“心因”)が分かってきたりするのです。

つまり自分の心を見つめていくうちに「今彼に求められても応えられないかも」と気付いた方は「セックスがあったときは、彼(夫)の期待に応えていただけ」なのかもしれません。
そうすると、相手から求められて、それに反応していたわけで(つまり、何らかの事情で主体性が持てなかった)、相手がその気にならなくなったら、そのままセックスレスになってしまったんですね。

また、元々自信の無さや恥ずかしさなどの理由で、元々セックスがしたくないものだとしたら、セックスがないことを心のどこかで望んでいた私がかつていたのかもしれません。

また、愛されたい欲求が強いと、セックスも同様に求められたい気持ちが強くなります。
セックスが愛情表現だと思えば、求められることこそが、愛されてることの確認手段になるんですよね。
(だから、セックスそのものにはあまり興味が無く、求められるだけで十分満足してしまうことも少なくないんです)
そうすると、セックスは“求められるもの”になってしまい、自分から求めることがタブーになってしまうんです。

●セックスに対する観念を見つめてみよう

特に結婚して夫婦になると「セックスはするもの、必要なもの」という風に思い込んでしまうことが多いんですね。
子どもを作るため、あるいは安定的な夫婦関係のために、愛されてることを感じる手段として。
夫婦だから仕方ないと思っている夫婦って意外に多いのかもしれません。

そうするとそこでのセックスは我慢や苦痛の連続になりますから、やがてはほんとうに辛くなってしまいます。
始めはうまく誤魔化していても、どこかに犠牲があれば、否定的(拒絶的)な態度や反応が出て来てしまうもの。
求められた時に一瞬表情が曇ったり、「早く終わらないかな」ってどこか遠い目をしてみたり、つい「疲れてるから・・・」って拒絶してしまったり。
そうするとお互いに全然楽しめなくなりますから、やがてはセックスレスになりやすい環境が整いやすくなります。

「夫婦だから」とか「愛情表現としてせめてセックスがないと・・・」って理性的な“考え”に支配されればされるほど、本当はしたくないことを無理にしてしまうんですね。
これが義務感になると、“お勤め”とか“お仕事”的な感覚でセックスを捉えるようになってしまいます。

もし、ここまで書いてきた話に頷けるところが少しでもあれば、「夫婦だから」とか「大人だから」とかの理由を除いて、改めて、セックスに対して自分がどう感じているのか?どう思っているのか?を見つめなおしてみてはいかがでしょうか?
必要なものとか、しなければいけないもの、という“観念”は私達は枠にはめこみ、自由を奪ってしまうものです。

例えば、自分から求めることは女性として“はしたない”“淫乱のすること”といった観念があると、そんな女になりたくない私としては自分から求めることは、すごく屈辱的だったり、否定的になってしまいます。
そうすると、ひたすら待ちの姿勢を貫くしか無くなってしまいます。
これも、自分から求めることが本当に“はしたないもの”なのか?を自分なりに考えてみるといいかもしれません。

そうした考えや理性から自由になることで、より柔軟にセックスや夫婦関係全般を見つめなおしていけるかもしれません。
(もちろん、より良い関係を築くために!)

また、こうした観念は、親の世代から引き継がれていることも少なくないんですね。
なかなかセックスに対してオープンな親ってあまり日本では見かけないと思いますから、両親(特に同性の親)がセックスに対して、どう考えていたのか?どう捉えていたのか?を考えてみると、自分の観念の成り立ちがよく分かると思います。

もちろん、そうした観念に気付いてもショックを受ける必要はありません。
なぜならば、観念は、変えること、手放していくことができるからです。

●セックスを通じて与える、ということ。

セックスレスになってしまうと、愛情に不安を感じたり、女としての自信を喪失したりして自分の世界に入り込んでしまいがちです。
(不満を感じて被害者の立場になっていたり、相手をどこかで否定したり、自己嫌悪したりするときは、自分の世界に引きこもってしまってることが多いです)

そういう一人の世界では、セックスも二人で創るものではなくなってしまいますから、まずは顔を上げて相手を見つめることが必要になってきます。

そこで次のようなテーマについてちょっと考えてみたり、思いをめぐらせて見てください。

「あなたはパートナーに何を与えたいでしょうか?」

例えば、あなたがパートナーに「優しさ」や「安らぎ」を与えたいと思っているとしますね。
では、今度は優しいセックス、相手が安らげるセックスってどんなものか想像してみてください?
すぐに浮かぶでしょうか?それともなかなかイメージしにくいでしょうか?

その時、とても大切なのがリーダーシップ。
自分から相手に与える、という姿勢、意識です。

つまり、安心感を与えたいと思ったら、安心できるセックスをプロデュースしていくことが今のあなたのテーマになるんですね。
もっとセックスを通じてパートナーを安心させてあげるにはどうしたらいいでしょうか?
答えはすぐに浮かばないかもしれません。
今まで躊躇してきたジャンルだとしたらなおさらです。
それが変なことではなく、そういう視点で捉えることが大切なんですね。

でも、そうしてセックスに積極的になることは恥ずかしいし、自信がないし、怖いし・・・と引いてしまうこともあるでしょう。
セックスレスのカウンセリングをしていても「自分から近付く」という話をすると、「え!?い、いや、そんなことできません・・・」と答えられる方もとても多いんですね。

だからこそ、この“与える”という姿勢が大切になってくるんです。
「安らぎを与えたい」
このモチベーションこそが、あなたとパートナーとの間を繋ぐ架け橋になってくれるんです。
それが、二人の間にある恥ずかしさや怖れといった“壁”を越えていくものになるんですね。

でも、いきなりは難しいので、あなたが与えたいものの延長にセックスがあると思ってみてください。
もし、パートナーに「楽しみを与えたい」と思うあなたがいるとしたら、セックス以外でも二人で楽しめるものをまずは与えてみましょう。
食事でもゲームでも何でもOKですから。
そして、その流れでセックスを捉えてみるとより自然な流れができ、自分から近付きやすくもなっていきます。

こうした与える姿勢は他の面でもお互いの関係性にとって良い潤滑油になってくれます。
待ちの姿勢(受身の姿勢)は流れを滞らせ、腐敗を招くものです(水が流れる場所がなく淀んでいるような感じになります)。

そして、こうして様々な面から与え続けてみると、やがてあなたが本当に欲しかったもの、望んでいることが見てきたりするんですね。
それは観念や欲求などを超えたところにあり、大きな驚きや感動と共に得られることすらあります。

カウンセリングの後で「私がこんなに夫のことを好きだったとは思いませんでした。早く会いたいです。」とトロンとした目でおっしゃった奥さんもいます。
色々あったけれど、ご主人とはただ愛し合いたいだけ、ということに気付かれたんです。

「彼とただ一緒にいたいだけ、それだけで幸せなんだ、と気付きました」と深く安心した表情をされた方も、「色んな考えに支配されてたことに気付きました。すごく体が軽くて自由になったような気がします」とホッとして、はにかまれる方もいました。

私達の本当に欲しいものとは、案外とてもシンプルで、そして、ちょっと自分を見つめれば気付けるものかもしれません。
そうした深い内面の気付きは私達をきちんと地に足を着け、自信をもたらしてくれるものです。

あなたも観念や義務感などを超える“与える”をテーマに、しばらく向き合ってみてはいかがでしょうか。

(補足:自己嫌悪の乗り越え方)

恥ずかしさや怖れの裏側には「自己嫌悪」があります。
それが強くなると人の目を気にして、どう思われるか?を気にしてしまいます。
そして、自分を抑えて、待ちの姿勢を取ってしまうようになるんですね。
特にセックスは自己嫌悪(コンプレックス)と向き合わなきゃいけない場面が多いですよね。
「胸が小さい」と自己嫌悪している方は、彼がどんな風に思うのか?気になってしまうかもしれません。
「自分はへたくそなんじゃないか?」と思えば、相手がちゃんと気持ちよくなってるか不安になってしまいます。

でも、その自己嫌悪を超える要素こそが、与える、という姿勢なんですね。
その嫌悪感はとても強いので、自分ひとりではなかなか越えられません。
でも、“パートナーのために”という気持ちが強くなればなるほど、意外なほど自分がパワーアップするのが感じられると思います。
そうするとセックスレスの問題でも、何を与えたい?どんなセックスを与えたいの?という方向にフォーカスできると、自分から近付きやすくなりますし、乗り越えやすくなっていくんです。

セックスの問題に限らず、自己嫌悪を乗り越える鍵の一つは“誰かのために”という意識です。
私達は自分ひとりのためには、なかなか動けないんですね。
自分以外の誰かのために!という気持ちを持てて初めて、自己嫌悪から抜け出せるのです。

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