夢なんてどうでもいい感じ

相談者名
みーちょむ
20代後半の女です。
私には昔からの目標がありました。
そう簡単には叶わず、劣等感に苦みもう嫌だと思ったことが
いっぱいありましたが
自分を世間の評価に晒すことを止めずにやってきました。
プロなのでそれは最低限の前提ですし誇りでもあります。

最近少し夢が叶いました。
大きな目標からは遠いですが凄くうれしかったです。

でもなんだか、もうどうでもいいって気持ちになることがあります。
疲れたというか…

私は、目標とすべきとされている人たちに対して本心では、
有能さと才覚は尊敬できても無神経で同情心の無い、人格破綻者って思ってます。
(それを言ったら負け犬なので言いませんが)

それと、私の父は実力者なのですが、
本人は全く納得していない部分があり、
数年前、社会的成功を目指す目標半ばで死んでしまいました。
父は休む暇もなく働き、楽しさをあきらめたように見えました。
その重苦しいどうにもできない絶望感が、私の中に染み付いているんです。
あくまでも私の中の父像なわけですが。
それに親子で似たような職業なので私に対する期待も感じていました。
そんな都合のいいわけにはいかず、十分応えられませんでした。

単純に比べられませんが、
少し夢が叶ったといっても父のレベルには全く達していません。
作業も遅く、稼げていません。
ですからおしゃれや暮らしを楽しむ暇があったら
稼ぎ、がんばって夢を実現させるべき、目標に近づくべきと感じ、
でも気づけば仕事もおしゃれも夢のための努力も出来ない最悪の日々が続いてしまいました。
よくここで相談されている、頑張って頑張って燃え尽きてしまった方とは
違う気がします。
人よりゆっくり歩んできたし、私は昔から度を越えた面倒くさがりだからです。
不況、自営業、若くない、こんな危機的状況なのに、まだずっとずっと寝ていたいと思ってしまう…

でもこの状況からなんとか抜け出したいです。
お知恵をお貸しください。
どうぞお願いいたします。

カウンセラー
三島桃子
みーちょむさん、はじめまして。今回担当させていただく三島桃子と申します。どう
ぞよろしくお願いいたします。

みーちょむさんのお仕事は自営業なんですね。自営業は、事務的なことから仕事の中
心的な部分まで全部目配りして考えるなど、いろいろとたいへんなのではないでしょ
うか。実績も積み上げておられるようで、すごいですね。

でもその一方で、もうどうでもいいや、と思ってしまう気持ちもあるんですね。そう
いう気持ちがあると集中できないし、集中できないと自分でも「何で?」と思うよう
なミスをしてしまったり、面白味をまったく感じられなかったりして、どんどんモチ
ベーションが下がってしまうのではないのでしょうか。

そうなると、すごくしんどい気持ちになってしまうと思います。やらなければ、とい
う焦り、どうでもいいや、というだるい気分、そんな自分を責めてしまう気持ちなど
がぐるぐる回って、そのことで疲れてしまい、ますますやる気が起きにくくなる、な
んてこともあるかもしれません。

このしんどい状態を抜け出していくためには何が必要なのでしょうか。二つのポイン
トからみていきたいと思います。

ポイント1 お父さんとの関係

ご相談文を読ませていただくと、みーちょむさんとお父さんとの間には「癒着」があ
るのではないかな、と感じます。

「癒着」とは、「くっついている」ということです。

>数年前、社会的成功を目指す目標半ばで死んでしまいました。
>父は休む暇もなく働き、楽しさをあきらめたように見えました。
>その重苦しいどうにもできない絶望感が、私の中に染み付いているんです。

お父さんの重苦しい絶望感が自分の中にあるように感じるとしたら、みーちょむさん
は感覚的にお父さんとくっついてしまっているのかもしれません。癒着してしまう
と、相手の感情と自分の感情の区別がつきにくくなります。

そして、「お父さんがこう思うから」「お父さんが期待しているから」と、お父さん
の気持ちを基準にして自分の行動を決めてしまうことが多くなります。

でも、本来は自分の気持ちで自分の行動を決めますよね。「自分はこれが好きだから
やる」「自分が興味をひかれるからやる」というように。そうすると、やればやるほ
ど「やっぱこれって好き!」と思えたり、「わ~、ほんとうに面白くてやりがいがあ
る!」と思えることが多いので、自然とモチベーションが上がり、自分のペースで着
実に進んでいくことができます。

でも、誰かの期待に応えようとしてがんばっている部分があると、どこかで「やらな
ければならない感」が出てきたり、自分ががんばっているというより、がんばらされ
ているような感覚になります。

よくありますよね。お母さんが子どもに「宿題はすんだの?早くやりなさい!」なん
て言うと、子どもは「もう~、今やろうと思っていたのに~、お母さんがそんなこと
言うからやる気なくなった!」って言ってふくれます。

自分の意志で宿題をやるのは、どこか達成感があるんです。自分で決めて、自分で行
動しているからでしょう。でも、お母さんに言われてやるのは、なんだかコントロー
ルされているみたいで、操り人形のような感じがして嫌なのです。やるのは同じこと
なのに、人間ってそういうものなんですね。

みーちょむさんはお父さんの存在がなくても、あるいはお父さんとの癒着がなくて
も、同じ道を歩いたかもしれません。

でも、同じ道でも、お父さんの期待に応えなければならない、という感覚があると、
自分の意志ではないものにコントロールされている感じが出てきてしまうのです。そ
うすると、人間はやる気を失ってしまいます。どうもおっくうで、めんどくさく感じ
てしまうんですね。

>人よりゆっくり歩んできたし、私は昔から度を越えた面倒くさがりだからです。

というみーちょむさんの言葉からも、「重い足をひきずって、いっしょうけんめいお
父さんの期待に応えようとしてきた」みーちょむさんの姿が見えるような感じがしま
す。表面的な意識には、そんな気持ちはなかったかもしれませんが、潜在意識、無意
識には、そんな気持ちが隠れていたのではないでしょうか。

>単純に比べられませんが、
少し夢が叶ったといっても父のレベルには全く達していません。
作業も遅く、稼げていません。
ですからおしゃれや暮らしを楽しむ暇があったら
稼ぎ、がんばって夢を実現させるべき、目標に近づくべきと感じ、
でも気づけば仕事もおしゃれも夢のための努力も出来ない最悪の日々が続いてしまい
ました。

お父さん、あんなにがんばっていた、私もがんばらなきゃ…
お父さんは道半ばで終わってしまった、お父さんのためにも私はもっと先まで行かな
くちゃ…
お父さんも、楽しむことは後回しにしてがんばっていた、それでも目標までは到達し
なかったんだから、私なんかほんと楽しむどころじゃないわ…

なんだかみーちょむさんのそんな思いが聞こえてきそうです。
お父さんのことをものすごく意識している感じがするんです。癒着があったとした
ら、そうなるのものなんですね。

でも、みーちょむさんの人生はみーちょむさんのもの。お父さんはこうだった、お父
さんはこう思っていた、というのは、手放していくと、ずいぶん心が軽くなると思い
ますよ。

親はわが子にいろいろな期待をしますが、結局のところ、どんな形であれ、我が子が
幸せになったらそれで嬉しいんです。お父さん、天国から、はらはらしながら見てい
るかもしれませんね。
「みーちょむ、オレはオレなりにがんばった人生だったんだ、あれはあれでいいんだ
よ。お前は、お前が幸せになる道を歩くんだぞ!」って。

お父さんとの癒着がなくなると、一瞬からっぽになってしまったような感じがして、
不安になるかもしれませんが、少し時間が経つと、じわっと自分の本当の「やる気」
が出てきますから、大丈夫ですよ!

ポイント2 自尊心について

みーちょむさんは

>私は、目標とすべきとされている人たちに対して本心では、
有能さと才覚は尊敬できても無神経で同情心の無い、人格破綻者って思ってます。

と書いていらっしゃいます。

みーちょむさんにとって目標とすべきとされている人たちは、実際いろいろと欠点も
あるのかも知れませんね。とはいえ、それなりに周りの人々に受け入れられているわ
けですよね。そうでなければ仕事ができませんから。

どんなに有能でも、才覚があっても、ある一線を越えてあまりにもひどい部分がある
と、やはり仕事にも支障をきたしてくるでしょう。その方たちは、ぎりぎりのところ
で、かもしれませんが、人間として許されないところまではいっていないのかもしれ
ません。

だとしたら、みーちょむさんも彼らのことを許してあげる、というのもありではない
でしょうか。

みーちょむさんが今のように彼らのことを見ていると、「自分も成功した時にはあら
捜しをされて、『人間的になっていない部分があるのに』という目で見られるんだろ
うな」、という感覚を持つようになってしまいます。

そうすると、何となく成功するのが怖くなったり、成功がいいことだと思えなかった
りして、知らず知らず自分にブレーキをかけ、成功を遠ざけるようになったりしま
す。

ちょっともったいないですよね。

また、みーちょむさんが彼らをそのように見ている、ということは、自分自身のこと
も、そのように見ている、ということでもあります。

プロとしてできているところはあるけど、人間としてダメなところがいっぱいある、
こんな私は全体としては全然なってない…、そんなふうに感じてないでしょうか?

人間は、「理想」というものを「空想」できる生き物です。だからこそ、いろいろな
分野で発展を遂げてきたのだと思います。でも、それゆえ、「理想」通りではないも
のに対して、嫌悪感を感じたり、幻滅したりします。

「理想」と照らし合わせると、私たちは誰もが不完全です。でも、「理想」そのもの
が現実には存在しない「空想」だとしたらどうでしょう?ありのままの現実の私たち
は、「理想」通りではなくても、それはそのまま、「空想」とは違う、ひとつの立派
な存在ではないでしょうか。

ですから、ご自分の存在を尊重してあげてほしいのです。ご自分のために、自分を大
切にする「自尊心」を持ってあげてほしいのです。そうすると、自分を責める感覚な
どが薄らいでいき、それだけでもかなり元気を取り戻すことができます。

周りの人に対する感じ方も変わってきます。

そういったいろんな変化の結果、みーちょむさんはラクになるし、仕事へのモチベー
ションも上がってくると思います。

二つのポイントをあげさせていただきましたが、みーちょむさんにとって参考になり
ましたら幸いです。

みーちょむさんのこれからが楽しみで、何だかわくわくします。
応援していますね。

ご相談ありがとうございました。

三島桃子

この記事を書いたカウンセラー

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