上司を動かす報告の仕方

どんな企業であっても、最低限のルールとして義務づけられていることのひとつに、「報告」があります。日報や週報、月報と、常に私たちと上司や同僚の間には口頭、書面併せて様々な報告が飛び交っています。

そんな報告を、あなたはどれだけ大切にしているでしょう?

以前働いていた会社を退職することを決めた時、当時の上司(社長) がこう言いました。

「いいか、もし次の会社も辞めることになったら、独立を考えろ。お前に会社員は向いてないぞ」確かに、当時の私には、会社員として致命的なほど協調性が足りず、正しいと思えば独断先行、事後報告は当たり前でした。

報告連絡相談。

社会人になって真っ先に学ぶ、会社のルールのひとつとも言える、このホウレンソウ。
当時の私には、どうしてこれがそんなに大切なことなのかサッパリ分からず、むしろ、そんな事に使う時間がもったいない、とすら考えていたのです。

<報告が億劫なワケ>
報告という業務に対してネガティブな印象を持っているという方は少なくないでしょう。面倒くさい、とか、意味がないと思えたりとか。

「業務をちゃんとやってればいいだろ?報告するためのミーティングや、書類を作ってる時間がもったいないじゃないか」 私も以前はそんな風に思ったものです。

けれどよくよく考えてみれば、月次や年次の報告はともかく、日次、週次の報告というのは実際はそれほど多くの時間が取られるものでもありません。最近ではモバイル専用の情報シェアツールも普及しているので、移動中の空き時間を利用したりと、ひと昔のように手書きの報告書を書くことも少なくなりました。

それでも、「報告せよ」なんて上司から言われると、何だか嫌な気分がしたり、どことなく不自由な感じがするのは何故でしょう。

そこにはどうも、業務だからと割り切れない心理的な抵抗感が隠れていそうです。

<報告というコミュニケーション>
多くの場合、報告というのは部下から上司に対して行われるものです。

部下と上司の関係というのは、時に子どもと親の関係に例えられます。それは子ども時代の私たちにとって、親というのは保護者であるとともに、従うべき対象。職場における上司もまた、管理者であり従うべき対象だからです。

報告が億劫だなぁ、面倒だなぁ、嫌だなぁ、と感じるその感覚は、かつて私たちが管理監督者としての両親に抱いていたネガティブな感覚と似てはいないでしょうか?

以前の私が報告というものに強い抵抗を感じていた理由はこうです。

「何を報告してもどうせ上司なんて文句を言うだけで何もしてくれないんだから、報告なんて意味ないさ」

今思えば、どうせ助けてくれないなんて勝手なものですよね。報告もしない部下は助けようにも、助けようがないんですから。

でもこれは、私が両親、特に父親に抱いていた感情によく似ています。

報告という上司とのコミニュケーションに、私たちは両親との間で日常化していたコミニュケーションを映し出している場合があります。

今日の出来事をあれこれと聞き出す母親にウンザリしていたなら、上司への報告もまた私たちをウンザリさせる面倒なものに感じられるかもしれません。何を言っても理解を示してくれない父親にガッカリしていたなら、報告なんて無意味なものに感じられるかもしれません。

今、あなたが上司への報告にネガティブなイメージを抱いているとしたら、そこには両親とのどんなコミニュケーションが隠れているのでしょう?

<上司を動かす報告書>
上司との関係に、両親とのコミニュケーションのパターンが投影されてるとしたら。

そのパターンの原点にあるコミニュケーションを見直すことで、報告嫌いを克服することができるかもしれません。それどころか、うまくすれば上司を味方につけて支援を引き出す、上司を動かす報告だってできてしまうかもしれません。

もしもあなたにとっての報告というのが、どうも自分を監視する面倒なもののようにら感じられるとしたら。

あなたは上司を、過干渉気味の母親のように、時に疎ましく感じているのかもしれません。そして、そんな上司から距離を置くために、報告をしないでいるのかも。

けれど、距離をとろうとするほど、報告を避けようとするほどに、上司はあなたが何をしているのか不安になり、あなたの行動を管理するためにますます面倒な報告を求めてくることはないでしょうか?

そんな時は、あなたの方から程良い距離感まで上司に近づく、つまり、無理のない範囲で定期的にあなたの方からコミュニケーションをとってみてはどうでしょう。立ち話でも、メールでも、手の空いたときにちょっとづつ。報告なんてかしこまったものでなくても良いかもしれません、あなたの方から近づくことが大切で、あなたの行動や考えを上司に対してオープンにしておくことが目的です。

過干渉気味な親は、子どもが心配だからあれこれと口を出したくなるのです。心配性の上司も、あなたの行動が見えていれば、必要以上に報告を求めてくることはないかもしれません。

いっぽう、もしも報告をするということがあなたにとって意味の無いものに感じられているとしたら。あなたは上司からの支援をあきらめて、期待もしていないのかもしれません。あなたを理解しようとしてくれなかった父親のように。

けれど、本当にあなたの上司はあなたを支援する能力を持っていないのでしょうか?あなたを理解しようとしてくれてもいないのでしょうか?

「理解されていない」と感じるとき、私たちはその相手を理解しようとは思わないものです。あなたが、上司から理解されていない、と感じるとき、あなたもまた上司を理解しようとしていないのかもしれません。

子どもの頃、充分に理解をしてくれなかった親に腹を立てたりがっかりしたり、そのうち私たちは親に助けを求めることをあきらめてしまったのかもしれませんが、そんな親にも何か事情があったのかもしれません。

上司なんて当てにならない。

そんな風に感じるとき、あなたのことを理解しようとしてくれない上司にもまた、何か事情があるのかもしれません。「忙しいのかな?」「疲れてるのかも」そんな風に、ちょっとだけ上司を理解してみる方に意識を向けてみてはどうでしょう。

頼りないと思っていた時には見えていなかった、上司の姿に気づくこともあるかもしれません。そして、自分に理解の眼差しを送ってくれている部下からの報告は、いつもよりも真剣に聞こうとしてくれるかもしれません。

どんなに嫌っても、避けて通れないのが報告。
それならば、報告する側も報告される側にとっても、意味のあるものであることはもちろん、気分のいいものになるよう努めていきたいものです。

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