無音の音楽を『視る』という体験から感じたこと

もう半年ほど前に観た映画のことを話題するというのはどうかと思ったのですが、
今でも私の印象に強く残っているので言葉にしておきたい気持ちと、
もし読んでくださったかたが興味を持ってくれたら嬉しいな
という思いがありましたので、今回のコラムの題材にとりあげてみました。
その映画は『LISTEN』という、アートドキュメンタリー作品で
1時間ほどの上映時間ですが、そこに流れる音は無く、全くの無音なんです。
映画館の入り口で配られる耳栓をつけて、観客もできる限り音のない状態で観ることになります。
スクリーンに映る出演者は全員が耳の聞こえない聾者で、内容のほとんどがダンスで表現されてゆきます。
プロの舞踏家から、まったくの素人のかたも出ていて、私はダンスの技術的なことはよく分からないのですが、
とにかく一人ひとりのダンス(というか舞い?)に、こちらの心に訴えてくるものを感じました。
指で、手で、表情で、体全体を使って、流れるように表現されるそれぞれのダンスにグッと心を掴まれて、
いつの間にかスクリーン上の彼らの動きに、私の目は釘付けになっていました。
心の内側の深い部分から湧き上がってくるものが、
瞬間瞬間、彼らの身体の動きで表現されているようで、
「たましいが躍動している」と書くと、なんとも陳腐な表現になってしまいますが
そうとしか言いようがない何か、心の深い部分とつながっているとしか思えない何かを感じざるを得ませんでした。
今思うと、それはカウンセリングの現場でクライアントさんが
人生の問題を通して、本当に感じたかった「自分の願い」とつながった時の感動や、
その「願いを表現して生きたい」という想いと重なって視えていたのかもしれません。
その分だけ、彼らから私へ強く伝わるものがあったと感じたのでしょう。
無音ですから、もちろん何も聞こえてこないのですけど、音のない映像からなぜか音楽を感じる不思議な映画でした。
出演者の動きからは、私には確かに音楽が聴こえていました。
いや、「視えた」といったほうが良いですね。
映像はさまざまな場所でダンスをする場面が、断片的に切り替わっていきます。
ある場面では普通の家屋、スタジオの中、ビルの屋上などの人工的な建物で。
次の場面では、波の打ち寄せる砂浜、水が穏やかに流れる川辺、
風が吹き抜ける大木の下など自然の中で。
多くの場所での舞いは、ふだん当たり前に見ている風景にも
もしかしたら音楽が宿っていて、彼らはそれを感じて表現しているように思えます。
その音はテレビやインターネットから流れてくる、リズム・メロディー・ハーモニーのある
私たちがふだん「曲」として聞いている、外側からくる音楽とは違って、
自分の心の鼓動であったり
喜怒哀楽の感情であったり
内側からもたらされるモノが先にあって、
対象を「視る」ことで同調・共鳴すると、音楽として内側から「聴こえる」ものじゃないかと、
映画を観てから時間が経った今ではそう感じています。
それは聴者のきこえる世界から、聾者のきこえない世界へ近づいていった体験、
音楽を「聴いて」いる世界から、
音楽を「視て」いる世界へ、
境界線を越えてみる体験だったようにも思えます。
ただ、まったく別の分かれた世界かと言えばそうではなくて
音楽を「感じる」という共通の地平があることに気づかされたのです。
なんだか私たちが誰かと関わりながら生きていくためのコミュニケーションと
同じ要素があるようにも感じます。
人は一人ひとり、価値感も好みも生活スタイルも違いますよね。
ここは譲れないというモノが誰にでもあるでしょう。
ただそれはあくまで「わたし」という一人の世界でのお話。
周りの誰かと関わる時、そして誰かとともに生きていこうとする時に
いちいち自分の世界を相手に押し付けいていては、
毎回どちらかが勝つか負けるかの競争の世界にしか生きられなくなってしまいます。
自分と周りとの違いがあることは認めながら、
相手の世界に興味を持ったり、近づいてみたり、その良さを一緒に味わってみたり。
立ち位置は違っても、じつは深い部分ではつながっている。
同じ地平にいると感じることができたときに、
誰かと共に生きるという道が見えてくるように私には思えます。
大切なのは、まず自分自身(心の真実や、たましいの求めるモノ)とつながること。
「聴こえる」「視える」以上に、もっと感覚を開いて「感じる」こと。
それから周りの人や世界と、どう関わりたいのか?
内と外とをつなぐ「関係性」をどう築くか?
そんなところへ思いが辿りついてしまいました。
関東近県での上映は終了していますが、クラウドファンディングで資金を集めて
日本各地で上映は続いているとのことです。
チャンスがあったらぜひ観てみてください。
無音の音楽を視るという体験から、みなさんはいったい何を「感じる」のでしょう?
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

超自立男性との恋愛・コミュニケーションに関わるお悩み・慢性的な生きづらさの解消などを得意とする。 理論的な“心理分析”と、感覚を使った“心理セラピー”を活用する多面的なサポートが好評。 問題の裏に隠れた「真実の物語」を読み解き「自分の本質を生きる」ことを目指すカウンセリングを提供している。