トイレの神様はどこにいる!?

数年前に『トイレの神様』という曲がヒットしましたね。あの曲は自宅のトイレがモチーフとなっていましたが、今回は学校のトイレのお話です。
学校のトイレというと「3K」や「5K」と呼ばれ、「臭い、汚い、暗い、怖い、壊れている」というイメージが強いようです。
確かに、私も小学校、中学校、高校の頃を思い出してみると、ほとんど良い印象は残っていません。
『トイレの花子さん』というホラー映画の影響もあり、私はいつも3番目のトイレは使わないようにしていたり、暗くなるとトイレの前を通るのが怖かったりしました。
小学校の頃はトイレにスリッパがあったのですが、途中からトイレ内でのイタズラが多くなったためにスリッパの設置がなくなり、自分達の履いている上履きのままトイレを使用するようにもなりました。
その方が汚いようにも思うのですが、トイレのスリッパがなくなったり便器の中に捨てられていたりするイタズラが多発していたので仕方のないことでした。
また、中学校の頃はトイレの電気のスイッチが陥没させられて使えなくなっていることもありました。
教育関係者の方には良く知られていることのようですが、生徒が荒れるとトイレが荒れるといわれるほどに、学校のトイレは生徒たちの様子を表しているようなのです。
なぜトイレなのか??
トイレでは先生や周りの目を逃れて非行やイジメが起こりやすいという環境があるようです。
それに加えて、トイレという場所に抱く心理的な要素も大いに含まれているのではないか、と私は思っています。
本来、トイレは排泄をしたり身なりを整えたりする場所です。
とてもプライベートな空間であり、人が社会生活を営むために必要なものですね。
プライベートな場所では人の素性が表れやすいものです。
すると、まるで自分を扱っているのと同じようにトイレを使うことが起こるようです。
特に、トイレというのは自分の排泄物を目の当たりにする場所ですので、嫌悪感を伴います。
排泄物をキレイなものだと思うのも無理がありますから、この嫌悪感は誰にでもあるものです。
しかし、排泄物に嫌悪感を抱くのと、排泄物をキレイに処理できるかどうかは別の話ですね。子どものしつけでもトイレの使い方を教えますが、キレイにトイレを使うことができると褒められ、汚してしまうと叱られます。
そうしているうちに排泄は便や尿をキレイに処理する場所であることを学ぶわけなのです。
また、トイレで鏡を見て身なりを整えるときに自分の姿を見て「かわいいな」「かっこいいな」と思える人もいれば、「いまいちだな」「冴えないな」と思う人もいるでしょう。鏡を見るという行為は自分自身への嫌悪感を抱きやすいものでもあります。
このように、自分自身への嫌悪感をどの程度もっているのか、また、それをどう扱っているか、ということがトイレの使い方にも表れることがあると考えられます。
ですから、トイレを粗末に扱っている人は、もしかしたら自分への嫌悪感が強く自分のことも粗末に扱っているのかもしれませんね。
逆に、トイレをいつも快適な空間に保とうとする人は、自分自身に抱く嫌悪感があったとしても自分のことを優しく丁寧に扱ってあげようとしているのかもしれません。
もし、トイレの神様がこの世にいるとしたら・・・
それはあなたのこころの中にいるのかもしれませんね。
あなたのトイレの使い方はどうでしょうか?
あなたの自分自身への扱い方はどうでしょうか?
さて、うちのトイレも掃除しなきゃなぁ・・・笑
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