いてくれるだけでいい存在

私には1才になる孫(男の子)がいます。
よく孫はかわいいと聞いてましたが、本当にその通りで
最近では私の顔を見ると、高速ハイハイで寄ってきて
満面の笑みで両手を広げ『抱っこして』のポーズ。
これにはキュンキュンしてメロメロになってしまいます。
でも、そうかと思えば、不機嫌な時には「おいで」と言っても
ぷいっと冷たい扱いをされ、ハートブレイクなのですが(笑)
それでも、やっぱりかわいいと思ってしまう私は、見事な
ばぁばバカだなぁと自分でも思います。
自分の娘を育てていた時は、ほぼ年子状態だったこともあってか
必死過ぎて、可愛いと感じられる余裕もなく
(今から思うと貴重な時間だったと思いますが)
「ばぁば」という、美味しいとこ取りのポジションならではかも?
とも感じています。
私だけでなく、ママである娘1号も、パパである婿殿も
じぃじであるだんな、おばになる娘2号
そして婿殿のご両親であるじぃじとばぁばも、彼にはメロメロで
とにかくいてくれるだけで、周りは自然と笑顔になり
癒しの存在となっています。
そんな孫を見ていると、自分の祖父の事を思い出します。
私のおじいちゃんも、私のことをこんな風に見ていてくれたんだろうか?
私の祖父は、私が4才の時に亡くなりました。
両親は共働きで、祖母は父が幼少のころ亡くなっていたので
祖父が病床に臥すまでは、祖父が私を育ててくれました。
明治生まれで、ちょっと怖くて頑固なイメージがあり
小さかったのであまり覚えてはいないのですが
私には優しかったような気がします。
こたつに入り、祖父の胡坐の上に座って、ぬりえをしていた記憶が
あります。
亡くなる前日の夜、もう病院では出来る治療もなく自宅療養中だった祖父が
「チョコレートをあげるから部屋においで」と私を呼びました。
でも、アニメを見ていた私は、ちょうどいいところで楽しかったので
「行かなーい」と言い、祖父の部屋には行きませんでした。
すると、次の日の朝、起きたら祖父は亡くなっており・・・
母から「最後に顔を見たかったのかもね」と言われ、子ども心に
「やってしもぉたー!!おじいちゃんに悪いことしちゃった!!」
と思ったことを覚えています。
私が最初に感じた大きな罪悪感だったかもしれません。
大人になり、そんな風に思ったことも忘れていたのですが
心のことを学ぶうち
自分のやりたいことや楽しいことをやろうとすると、心のどこかで
また大切な人がいなくなってしまうんじゃ?という感覚が出てきて
ストップをかけてしまうのは、きっとこのせいだ!と思い
祖父の思い出は、どこか罪悪感とつながっているようでした。
(それも、おじいちゃんからすれば迷惑な話で(笑)
 いやいや、そんなことで怒ってないし、って思ってたでしょうけどね。
 実は、自分が前に進むのが怖くて
 その体験にこじつけていただけなのかもしれません。)
でも、孫が生まれて、彼の存在を見る度に、祖父に対する気持ちも
「ごめんね」より「ありがとう」に変わっていきました。
ただただ孫が愛おしくて、こんな風に私も見てもらってたのかと思う
と、胸がいっぱいになり、こみあげてくるものがあります。
そして、彼には幸せであって欲しい、自分の望むとおり自由に生きて欲しい
と思うと同時に、きっと祖父も私にそう思っていてくれるんじゃないか?
と思うようになりました。
以前私は、役に立つ人だと言われたくて、すごい人だと言われたくて
意地を張ったり、競争をしたりと、頑張りすぎて疲れしまったことがあります。
頑張るのが悪いことだとは思いませんが
特に役に立つ人になろうとしなくても、すごい人になろうとしなくても
ただいるだけで、孫が私を幸せにしてくれるように、
私も誰かを幸せにしてきたんじゃないかと、今は思うのです。
私たちは誰しも、誰かにとってそんな存在で
あなたの存在が誰かにとっての癒しになり
あなたの笑顔が誰かにとっての救いになり
ただいてくれるだけでいい存在なのだと思います。
だからこそ、自分のやりたいことをやり、幸せに自由に生きていいんだと思います。
あなたのことをそんな風に見てくれた人は誰でしょう?
もし、今、何かしらうまくいかなかったり
やりたいことが出来なかったり
頑張りすぎて疲れてしまったり
自分に制限をかけていることがあるとしたら
きっとその人が応援してくれています。
あなたが、誰かにとって、ただいてくれるだけでいい存在であること
思い出してみてくださいね。
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