断捨離で出会った女の幸せと母からの想い

こんにちは、大みぞなおみです。
年末に向け、断捨離熱が高まっています。
洋服、靴、バック、本、CD、DVD、使わなくなったカーペット、
捨てるのが面倒で壊れたまま押し入れに隠していた家電などなど
奥地へとしまい込まれていたものたちをも、勇気を持って発掘し、
エイヤっと処分しました。
おかげでクローゼットも押し入れもスッキリ、スペースにも余裕が
できました。
使いやすさを考えて、しまう場所を改めたり古くなっ
たものを新調したりして暮らしも快適。断捨離いいことづくめです。
先日、今年最後になるであろう大きな断捨離をしました。
私にとっ
てラスボス的存在であり、ずっと後回しにしてきてしまったもの…
それは食器でした。
後回しにしてしまうことにはそれなりの理由があるものです。
それなりの理由…何とな~く、重くネガティブな想いを感じること
になりそうな気がしてそれで回避しちゃうんだと思います。
罪悪感
だったり寂しさだったり、痛い思い出だったり…。うっかりそれを
感じたくないから、つい後回しにしてしまう…そういうことって結
構あると思うのですね。
私の場合はというと…食器を通して、どうやら母への罪悪感を感じ
てしまうようで…それがイヤで食器の断捨離には、なかなか取り掛
かれなかったようです。
考えてみたら結婚して15年、ほとんど食
器を捨てたことはありませんでした。
我が家の食器は私の結婚を機に、母から譲ってもらったものがほと
んどでした。
結婚前に母と一緒に買ったものや、実家で使っていた
ものをおさがりでもらったり、「いいものだから」と半ば強引に押
しつけられて、使わないまましまい込んでいたものもありました。
私は食器に対してこだわりがない女だったので、ありがたい気持ち
でずっと使ってきたのですが、ここ数年、これらの食器に対して違
和感が芽生えていました。
私のしたい暮らしや作りたい料理に合わない、なんかしっくりこな
いんだよな…考えてみたら、これらの食器は母の好きなものであっ
て、私が好きで選んだものではないんだな…と、気づいたんです。
そう気づいてしまうと…ああ、なんだか楽しくない…料理も洗いも
のも、やってて気持ちが弾まない…たかが食器と思うなかれ、使う
ものが好きなものか、そうじゃないかは主婦にとって、女にとって
は、結構に大事なことなのです。
とはいえ、使えるものを買い替えるなんてもったいないし…何より私
にとっては、母からもらったものに対して「いらない、必要ない」と
感じてしまうことにも、それを捨てることにも、大きな罪悪感があっ
たのです。
こうして我が家の食器は、断捨離のラスボスとして居残り
続けていたのでした。
「いらない、必要ない」と感じることへの罪悪感…これは私の中にあ
る、母からの影響力、母との古い関係性への想いそのものでした。
子供は誰しも母親が大好きです。
母を喜ばせたい、期待に応えたい…
そうやって母に愛されたくて、子供は多くのことを頑張るものですが…
私はそれがめちゃくちゃ強い子供でした。
それは大人になってからもずっと続き、母の好みや期待というものを
意識し続けていました。
でもそれだと…自分の好きなように生きること
が、母を寂しくさせたり裏切ることのように感じてしまって、苦しかっ
たり自分らしさが何なのかわからず、生き辛くなっていました。
母への想い、母からの想いが強すぎる場合、想いと想いがくっついてし
まって子が生き辛くなったり、母から離れることに罪悪感を持つことが
あります。
これを心理学用語で「母子癒着」というのですが、私が心理
学の世界に入ったのは、この癒着をひっぺがして自由に自分らしく生き
るためだったのでした。
何にもとらわれず自由に生きたい、自分の好みや自分らしさを貫きたい。
ここ数年そう思い続け、それを実行してきたように思います。
服装も言動
も生活も、自分らしさを大切にできるようになってきて、ずいぶん自由に
軽くなった気でいましたが…癒着の罪悪感は食器という形で、私の日常
に、まだまだ寄り添いひそんでいたのでした。
気付いた時は「ひえ~っ…」
て感じでした。
そうわかったので、癒着ごと食器を断捨離しようと決めました。
思い切っ
て買い替え、一新することにしました。
新しい食器はどれも高価なもので
はありません。でも、自分の好きなもの、家族が好きな料理に似合うなも
の、我が家の暮らしに合うものを、一つ一つ選ぶのは、とても幸せな作業
でした。
食器棚を空っぽにして新しい食器をしまうとその美しいこと!感動です!
食器の組み合わせを考え、盛り付けも丁寧に。こうことも女の幸せだった
りしませんか?家族にも「お~、新しいのいいね」なんて言われてごきげ
んです。
これが私の暮らし、我が家の食卓って感じ…満たされる思いです。
さて、母からもらった食器ですが、多くは手放すことにしました。
罪悪感
を味わうのを恐れて、断捨離を後回しにしてきたわけですが、結果として
はこの作業、苦しいものではありませんでした。
食器一枚一枚に想い出があります。
私が子供の頃から母の料理を乗せて使っ
てきたお皿も、新婚時代に使ったお皿も、息子がまだ赤ちゃんのとき、始
めてのバースデーケーキを乗せたお皿もありました。
残そうと思えば残せるけれど、もう使うことはないしただ場所をとるばかり。
今まで本当にありがとう、おかげでここまで来れました。
心から感謝を送り、
お別れをしました。
ごめんねや寂しさもありましたが、なりたい自分や家族
にふさわしい暮らしのためだから、手放すことができました。
処分が終わる
と、とても清々しい気分…
全てを捨てたのではなく、慎重に選び、残したものもあります。
母がくれた
食器の中には、改めて見ると、年齢重ねてこそ、使うにふさわしいものがた
くさんありました。
若い頃はわからなかったけど、この年齢になったからわ
かる、価値のある食器もあったのです。
母はこんな日が来ることも見越して
私に食器を持たせたのでしょう。
朱塗りの夫婦茶碗やどっしりした湯呑みなどは、日常使いはしなくても、特別
な日には使おうかな。そんなゆとりのある日々を過ごせる大人になっていくの
も素敵なことかも。そう思うと、母のくれた食器への思いは、罪悪感からとて
も愛おしいものに変わり、今後年を重ねながら、使う楽しみになりました。
母の愛を改めて受け取り直すこともでき、改めて深い感謝の気持ちが芽生えて
います。
罪悪感と向き合い、なりたい自分を選び、今までの自分と罪悪感を手放したら、
たくさんの喜びと楽しみと愛に出会うことができました。
ネガティブと向き合
うのって何度やっても怖いけど、必ずご褒美があるんですよね。頑張ってよかっ
たです。
これからの年末イベントの食卓を、新しい食器とともに、新年は特別な食器も
一緒に使って、楽しく大切に過ごしたいと思います。
お読みいただきありがとうございました。
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