私が野球を好きなわけ

「好きなものは何ですか?」
よく質問されることですよね。
私にも好きなものはいろいろありますが、その中のひとつとして“野球観戦”と言うと「へぇ~、意外ですね!」と言われることが多いです。
好きになるには、それなりに理由があります。
私の場合は遥かかなたの中学時代、好きだった人が野球部でエースとして活躍していたことがキッカケです。
放課後、教室の窓から野球部が練習しているのを、よく見ていたものでした。
その人、【くまさん】というあだ名だったんですよ。
ガッチリしていて目は小さめで愛嬌があり、くまのプーさんにちょっと似ていたような気がします。
中学2年生の時の話ですが、たまたま野球部の顧問をしていた先生が担任でした。
夏休み、野球部が合宿をすることになり、食事担当は家庭科の先生だったのですが、サポートが欲しいということで、私ともう一人同じクラスの女子に白羽の矢が当たりました。
彼女も、野球部に好きな子がいたので、願ったりかなったりの状態でした。
こうして、2泊3日の野球部合宿に私達も同行することになりました。
朝ごはんが終わったら、練習。
昼ごはんの後、少し休憩してまた練習。
食事係りの私たちは、その練習の合間に家庭科の先生の指導の下、まるで炊き出しのように食事を用意するのですが、これを【くまさん】に食べてもらえるかと思うと、何だかとても嬉しくてウキウキしていました。
その頃の中学生のお付き合いなんて、目が合っただけで喜んでいるような純情さでしたが、あんなに純粋なトキメキは大人になるとともに忘れてしまったかもしれません。
少し話が脱線してしまいました^^;
その合宿の期間中に、顧問の先生に野球の基本的なルールを教えてもらったり、スコアブックを見せてもらったりしているうちに野球と言うスポーツの面白さを知るようになりました。
私は一つのことをやりだすと、かなりの凝り性なんです。
ピッチャーの投げる1球1球には意味があり、ピンチに陥った時などには、どれほど落ち着いて状況を見ながら投げることが出来るかが大事だということが解ってきました。
淡い初恋は学年が変わる頃、ほどなく終わってしまいましたが、【くまさん】を好きになったおかげで私は野球を観戦する楽しさを知りました。
高校は甲子園球場に近いところにありましたから、自然と野球に親しみました。
高校野球もよく見に行きましたよ。
私は自然と阪神ファンになりましたが、好きなものを好きだと言っていると、いろいろと良いことがあるのは本当のようです。
「そんなに好きなんなら、見に連れて行ったろか?」という人が現れたり、「球場の年間指定席、使えるのがあるからあげるよ。」と言ってもらったりしました。
そんな時、私が言うのはたった一言。
「本当!嬉しいわ~、ありがとう!」
野球は、よく人生に例えられることがあります。
9回のウラ、3点差で負けていて二死満塁、次のバッターがホームランを打てば、劇的な逆転満塁サヨナラホームランという場面。
これは、相手のピッチャーから見れば9回まで抑えて勝ち進んできて、「あと一人」の状態です。
1球1球、固唾をのんで見守る観客。
打席に立っているバッターは、もちろん緊張しているはずですが、ピッチャーにしてもプレッシャーは相当なものです。
苦しいのは自分だけじゃない、相手だって苦しいのです。
それならば、“今ここ”にいかに集中できるかが勝負の分かれ目です。
野球は、「打たれるか」「抑えるか」のどちらかになるわけですが、人生においては、たとえ望まない結果であったとしても「ベストを尽くした。」と思えたことは必ずや、その経験を今後に生かせるのではないかなと思います。
勝負が決まった時、そんな極限の緊張感から、解放される瞬間が大好きです。
今から12年前の、2003年9月15日。
それまで下位を低迷していた阪神タイガースが、当時の星野監督の元、甲子園球場でリーグ優勝を決めました。
あの歓喜に包まれるまでには、シーズン中何度も極限状態が訪れていたのを、よく覚えています。
それを乗り越えてこそ得られた喜びに、私も酔いしれた一人です。
こんな楽しみを教えてくれた初恋の人【くまさん】。
今はきっと良いお父さん(もしかしたらおじいちゃん?)になっているかもしれませんが、心の中で今改めて“ありがとう!”の気持ちをを伝えたいなと思います。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

1957年生まれのシニア世代。 自身の豊富な人生経験を生かした、自分らしく生きていくためのサポートが好評を得る。 得意ジャンルは、対人関係・自己啓発・恋愛。 “何かを始めるのに遅すぎることはない”の言葉通り、いくつになっても新しい人生を切り開いていけることを、身をもって実践している。