父への思い

今年の夏は、梅雨明けとともに例年にはないほどの猛暑となりましたね。 暑さバテなどなさっていませんか。
厳しいこの暑さで思い出すのは、父のこと。 父が亡くなった年も今年のように暑い夏の日でした。
父は20年前の8月1日に病気で亡くなりました。
60歳というまだまだ早い年齢で、病気がわかってからわずか4ヶ月ほどのことでした。
葬儀の日に、「これだけ暑い日に葬式だと誰もひろちゃん(父)のことを忘れないよ」と親戚たちが話していたのを今でも
覚えています。
私にとって父は、距離がある存在でした。
父が厳格だったとか、冷たい人だとか、家庭を顧みなかったとか、
そういったことではなかったのですが、なぜか近い関係ではなかったのです。
私が小学生の頃は、父は出張で留守がちだったたせいか、あまり遊んでもらった記憶がありません。
時には遊園地やプールに連れていってはくれましたが、どちらかと言えば自分がしたいことに家族をつき合わす感じでした。
父は行きたいところがあると、急に「おい、行くぞ」と言い出し連れて行かれること多かったように思います。
平城旧跡(その当時は広い野っぱらです)に行って寝転がる、奈良公園へ写真を撮りに行く、など突然つき合わされるのです。
そうでなければ、好きなゴルフや野球、サッカーの試合をテレビで見てゴロゴロしてばかりです。
思春期の頃には父が海外へ単身赴任をしたこともあり、ますます遠い存在となりました。
今のようにメールはありませんから、連絡をするのは手紙か電話。 でも、ほとんど手紙を書くこともありませんでした。
電話代もかなり高い時代でしたから、こちらからかけることはほとんどありませんでした。
 手紙も電話も父からはたまに
ありましたが、父の字は達筆すぎて(字が上手く草書体)、読めないこともしばしばでした。
 電話がかかってきても
何を話していいのかわからず、私も素っ気無い態度だったように思います。
父と距離を感じていたのは、一緒に過ごす時間は少なかったからなのかもしれませんが、本当の理由は妹をかまうようには、
私はかまってもらえなかったという思いにあるのだと思います。
妹は活発で甘え上手なマスコット的な存在、それに対して私は引っ込み思案であまり甘えない子どもでしたから、
同じことを私と妹がやったとしても、私は怒られ、妹は怒られることもなく笑って終わるというそんな思いずっとがありました。
だから、父に近づきたくても、その度に傷つくという経験をしたように思います。
そんな感覚でしたから、大人になってからの父との関係は、話すとケンカになることも多かったのです。
 こちらは冗談のつもりで
言ったことに父が激怒したり、また反対に父から言われたことやすることに私が文句を言ったり怒ったりということが
増えていきました。
 そして、私の中では、父は気分屋で、怒りんぼで、自分勝手な人という思いが強くなり、
同じ家にいても、ほとんど話すことはなくなってしまいました。
 悲惨なほどの冷戦状態とか険悪とかではないのですが、
なぜだか歩みよれず、お互いが関わりずらいと思っているようでした。
「もうパパなんか嫌い!」と思いながら、でも仲良くなれないのがとても寂しく悲しかったのだと今なら思います。
私が1人暮らしを始めてまもなく、父の病気がわかりました。
家族みんながほとんど病気もせずに過ごしてきただけに
ショックは大きいものでした。
 母は毎日朝晩と病院へ通い、私は仕事が終わってからたまに病室に顔を出す程度でした。
それでも、やはり私と父とはすぐケンカになってしまうのです。
 普通に話していても、結局お互いが機嫌を悪くするパターンが
続いていました。
 そして、私は「もうこんな人なんか知らん」と思ったりしていました。
父のイメージはずっと変わることはなかったのです。
だけど、父の葬儀の後、父が勤めていた会社の方からこんな言葉を聞きました。
「あなたのお父さんは、本当に誰にでも
親切で優しく、人に怒るようなこともなかった。いい部長でした。
」と。
私の頭の中では、もう??? はてなマークがいっぱいです。
 どういうこと? なんでそんなに家と外で違うの?
最初は、まさかそんなはずはない、と信じられません。 でも、他にも「部長は人を疑うことを知らないような人で、
すごく温和な方でした」とか、「お父さんが機械を設計して作っってくれたから工場の問題が解決した。」なんてことも
聞くのです。
(当時、父は中堅の部品メーカーの管理職でした。

私はすごい思い違いをしていたのかもしれない・・・とだんだん思うようになりました。
 そして、頑なだった父のイメージが
徐々に変わっていくように思いました。
  もっと話しておけばよかった、もっと上手に甘えておけばよかった、ごめんね、と
素直に思えたのです。
 
当時はまだ心理学を学んでいなかったのですが、今思うと私の中の父と和解ができたのでしょうね。
小さな頃、突然父の行きたいところに連れ出されたりしたこともあったけど、でも、バレエ発表会があると朝から
ずっとみんなの写真を撮り続けてくれたりしたよね。(当時妹とバレエを習っていたのです。

切手集めが流行っていた頃は、海外出張のたびに切手を買ってきてくれたりもしたね。私が1人暮らしを始める時には、
電化製品を買ってくれたりもしたね。 
単身赴任をしていたシンガポールへ遊びに行った時には、美味しいレストランやホテルのバーにジャズを聴きに連れて行って
くれたり、高校生では体験できないようなことをさせてくれたね。そんな思い出や感謝がいろいろ湧いてきます。
思い出すパパのイメージはすっかりいいものになってしまったようです。
パパは今も天国で写真を撮ったり、ゴルフをしたりしているのかな。 空の上から、私たちを見守っていてくださいね。 
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

自己否定、自己嫌悪、疎外感、自己肯定を得意とする。「その方の心に寄り添い、一番の味方でいること(安心感)」をモットーに、わかりやすい言葉で恋愛問題や対人・自己との関係を紐解き、改善・生き易さへと導いている。  東南アジア2カ国での生活経験もあり、国や文化の違いについても造詣が深い。