「恩送り」を教えてくれた人

初めての海外旅行は20歳のとき、北イタリア~スペインへ、40日間の一人旅でした。
そのために一生懸命バイトをして、日がな『地球の歩き方』を眺めて、トーマスクックで列車を調べて…。
今みたいに手軽に多様多種な情報が得られる時代ではなかったので、私はもっぱら、個人旅行のアドバイスをしてくれる小さな旅行会社に行って、そこのおじさんからいろんなネタを教えてもらいました。
「えっ、一人で海外?女の子なのに、危ないんじゃない?」
そんなことを言いそうな人には、一切相談しませんでした。
「おっ、一人旅?いいねぇ。若いうちにいろんな世界見といたほうがいいよ!」
そう言って、応援してくれるような人を、本能的に選んで相談していました。
私はもう「行く!」って心に決めてたんですね。下準備をすべて済ませてから、父親に話しました。
確信犯です。
当初は旅先をスペインのみに絞っていたのですが、心配した父が、ミラノ郊外に住んでいる知人を紹介してくれて、旅の最初に訪ねていくことを条件に、一人旅を承諾してくれました。
「お前は、言いだしたら聞かないからな…。」
そう言って、父は旅費を少し援助してくれました。
子供にはとても厳しい親で、誰も父には反抗できないほど怖い存在でしたが、私は5人兄弟の末っ子で、兄弟の中ではいつも特例を許してもらえる立場でした。
思い返すと、やっぱり私は父に守られていたんだなぁ、信頼してくれていたんだなぁと、親心に感謝します。
ずいぶん前のことなので、旅行中にあった出来事の一つ一つは、もうぼんやりしています。
でも、見るものすべてが新鮮に輝いている、あの心の弾むような感覚がよみがえると、顔は自然に上を向き、急に視界が開けてきます。
世界は広い!
今この瞬間も、世界中の人がこうして生きているんだ!
今日は何をしよう?何を見に行こう?
毎日が驚きと感動の連続でした。
バルセロナからバレンシアの火祭りを見て、トレドからアンダルシアを周り、首都マドリッドへ。ガウディ、ミロ、ピカソやダリといった、類まれなる個性を世に出した風土を感じたかったのですが、私はその世界にすっかり魅了されました。
とにかく、圧倒的な光の量!この光こそが万物を育んでいるのだと身体で感じた体験です。
毎日、オレンジを買って食べました。
今日は間違えずに地下鉄に乗れた、生ハムのはさんだサンドイッチをちゃんと注文できた、たったそれだけのことが嬉しくて嬉しくて、しかたありませんでした。
水よりも安いワインの美味しさを覚えました。
バルで苦いエスプレッソを立ち飲みすると、一瞬だけ、街に溶け込んだ気分になれました。
私が会ったスペインの人々は、本当に優しくおおらかでイキイキしていました。
私はスペイン語が全くできなくて、身ぶり手ぶりと笑顔で乗り切った、今思うと本当に無謀な旅でした。
世界のでっかさと自分のちっぽけさを思い知らされ、「こんな所まで来て、私は何をしているんだろう?」と寂しさに打ちのめされそうになった夜もあります。
それでも、世界はこの未熟な旅人を、そのまま受け入れてくれました。
「旅を楽しんで!」笑顔で言ってくれる人。
公園で一緒に遊んでくれた子供たち。
途中で出逢った日本人にもずいぶんお世話になりました。
ある時、ポルトガルから自転車で旅をしているという日本人の男性に会いました。
観光案内所で宿を探している時に知り合い、夕食を一緒に食べることになりました。
どんな顔だったかも、もう思い出せません。でもたしか、「恩送り」という言葉を教えてくれたのはその人でした。
旅人は、その土地の人に助けられて、旅を続けることができる。
自分でできることは限られていて、助けてもらうばかりだ。何かお返しをしたいと思っても、自分には何もあげるものがないし、相手も「そんなのいいよ。」と受け取ってくれなかったりする。
それどころか、「はるばる日本から、私の町まで来てくれてありがとう。」なんて言われちゃうんだ。自分が来たくて来ただけなのに、なんだか恥ずかしくなっちゃうよ。
でも、本人に恩返しをしようと思わず、自分が受けた恩を、次に出逢った人にプレゼントしていくといいんだよ。それを「恩送り」というんだよと。
彼は私に話すというより、まるで自分に言い聞かせるように話していました。
そして、お互いに持っている情報を交換し合って、翌日にはまた次の街へと向かって行きました。
こんなこと、もうすっかり忘れていたエピソードです。
でも先日何かで「恩送り」という言葉に触れて、そう言えばこの言葉を最初に聞いたのは…と、そこから芋づる式にスペインの空気と旅の思い出がよみがえってきました。
あれからずいぶん、長い年月が経ちました。
私はどれだけたくさんの人に助けられてきたか、わかりません。恩返しをしたいと思っても、もうこの世にいない人もいます。
そこに虚しさを感じたことも何度もあります。
でも今、「恩送り」という言葉を教えてくれた人の気持ちがわかるような気がします。
「恩送り」って、自分が恵まれていることに感謝する思いなんですね。
もらうばかりでそれが当たり前になっている時は気づかない。満たされない思いばかりに注目してしまうのです。
でも、受け取った恩恵を自分から誰かに与えようと意識した時に、自分はこんなにも恩恵を受けていたんだということに気づきます。
あの自転車の人、今ごろどこで何をしているんだろう?
私もずいぶん年を重ねましたから、けっこういいおじさんになってるはずです。
お礼を言いたいけど、その代わりにこの思いを記事にすることにしました。
そうして、私が受けた恩恵を次の人に送っていこうと。
私が受けた恩恵、その最たるものは「応援」だと思います。
それぞれの人が、それぞれの関わり方で、私の人生を応援してくれました。
相手の想いにうまく気づけなかったり、受け取れなかったりしたことも多々あります。
傲慢にも、自分はたった一人で生きてきたように感じてきた時代も長らくあります。
でも、そんな私だからこそ、今、私は人を応援して生きて行きたいと思っています。
孤立無援と感じている人に、私は伝えたいんです。
あなたを応援している人はちゃんといるよと。きっと、思っているよりもたくさんいるよ。たしかに、ここにいるんだよと。
それが、私の「恩送り」です。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。