母のこと

最近、私の周りでは、母親が大病を患ったという友人が、一人、二人と立て続けに出てきました。
私も友人も40代、やがて50代ともなると、親も体力が衰えてきたり、病気や介護という時期に差しかかるので、何も特別なことではないとはわかっています。
しかし、子どもにとって、親、特に母親の存在は大きなもので、母親の大病を知って、どうしようもなくうろたえたり、押しつぶされそうな不安を感じたり、これまでを振り返り後悔したり、自分の行いを強く責めたりと、心が大きく揺さぶられるものだと思います。
私の母は、十数年前に亡くなりました。
母は、リュウマチと目の病気を患い、40代後半から手足の痛みがはじまり、視野も徐々に狭くなっていきました。
その頃、私は高校生で、反抗期の真っ盛りでした。
母に反抗的な態度をとっていたので、母自身のことは、気にとめてもいなかったのか、その頃の母をあまり覚えていません。
50代後半になると、母の手の指は大きく曲がり、足の裏も凸凹としていて、何をするにも不自由になっていました。
目もほとんど見えないような状態だったので、何処へ行くにも、誰かが手を引き、目の代わりとなる介助が必要でした。
社会人になっていた私は、母に頼まれて一緒に外出したり、母の代わりに用事を済ませる事が多くなっていきました。
母の曲がった、手をみるのが、とてもつらかった。
いまでも思い出すと、涙が出てくることもあります。
あまりに痛々しかったので、母が生きている時に、その手を取って撫でてあげたことはないように思います。
母が死ぬ半年前、病状が急変してICUに入ることになりました。
人工呼吸器をつけ、意識がなく、寝たきりになった時、しげしげとその手を眺め、意識が戻るようにと祈りながら、その手を握りしめました。
母が病気になったのは、私のせいではない。
手足をさすりながら、「痛い、痛い」と言っていたのも、ただ痛かったからで、私を責めてのことではない。
だけど、母のそばにいて、私は自分でも自覚はありませんでしたが、罪悪感を感じ、自分を責めていたのだと思います。
母は、父と話し合って、万が一の可能性にかけて、積極的な治療をすることにしました。
人工呼吸器をはめると、いや、もう生きて話すことは出来ないと思ったのかもしれません。
人工呼吸器をはめる直前に、母は私たち家族に向かって、「幸せでした」と一言いいました。
罪悪感にどっぷりと漬かっていたその当時の私には、その一言が真実とは思えませんでした。
自由に動けずリビングのソファーにいつも一人ぽつんと座っている母、手足が痛み暗い表情の母、そんな母だけをみてきたので、とても幸せだったとは思えなかったのです。
母の死後も、大きな罪悪感を抱えたままの私は、人生に行き詰ってしまいました。
自分は罪深く悪い人間だと無意識的に思っているので、自分を責めたり、呵責に耐えかねると人を責めたりして、心が苦しい。
自分がいけない駄目な人間だと思っているので、犠牲的に仕事をしたり、責任を過剰に感じたりして役割を抱え込み、身体も疲れる。
仕事でも、プライベートでも、悪循環にはまっていました。
そんな時、アロハシャツがはちきれんばかりに太った心理学の先生に出会います。
当社の社長、平準司です。
セミナー会場の部屋を、熊のようにノソノソ歩きながら平が話をします。
「お母さんが台所で一人、白菜漬けでお昼を済ましていたのは、あなたたちのことを思って辛抱していたからではありません。お昼を作るのが面倒だったからです。
」という話に大笑いをしました。
そして、私の母に対する罪悪感も、大笑いした話と同じような側面があるかもしれないなと思ったのです。
すると徐々に、母の陽気で明るかったところや、天然で面白いエピソード、鼻歌を歌って楽しそうにしていたことなどが思い出されてきました。
そして、母によく話を聴いてもらったり、母の明るさにつられて気分が晴れたり、目新しいことを教えてくれたり、一緒にいて楽しかったという母の友人の話も、故人を懐かしむ感傷的な思いからではなく、実際にそうだったのだろうと思えてきたのです。
だから、いまでは、母が最後に言った「幸せでした」という言葉も、母は本当にそう思い私たちに言ったのであろうと思えるようになりました。
私は、母と似ています。
母の様々な長所や友人たちから慕われた面を、私も持ち合わせていることに気づいた時、母はいつまでも私の中で生きているんだなと思えました。
いまでも時折、ふと母のことがよぎる瞬間、誰もいない空間に向かって、小さな声で母を呼んでみます。
すると、ちょっと切ない気持の後、暖かい気持ちで満たされるのを感じます。

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6件のコメント

  1. 偶然こちらのサイトにたどりつき、コラムを拝読いたしました。
    涙がぽろぽろと止まらなくなりました。
    昨年母が亡くなってから一年、一度も涙をこぼすことはありませんでした。
    何もできなかったふがいない自分には悲しむとか泣くとかすることは許されない、してはいけないみたいに思えていて、今も自分のどこかに重い蓋みたいなものをかぶせています。
    泣いてもいいんですね?ありがとうございます

  2. あんどうまり on

    かなみさんへ  コメント、ありがとうございました。
    きっと、この一年、ずっと我慢されていたのでしょうね。泣いていいんですよ。まずは、思いっきり、泣きましょう。

  3. しーちゃん on

    まりさんの気持ちが今の自分と重なって、涙が出ます。
    母と一緒に楽しい時間を過ごしたいと思う反面、この先を思うと悪いイメージばかりが浮かんできて、不安で、不安で。
    気持ちを切り換えなければと思うんですがね・・・
    母を思う気持ちは、みんな同じですね。
    まりさんのお話を聞かせて頂けて、感謝しています。

  4. あんどうまり on

    しーちゃんへ
    コメント、ありがとうございました。
    おっしゃるように、母を思う気持ちは、みな同じかもしれませんね。
    “この先”を意識すると、不安に押しつぶされそうになりますよね。
    そんな時は、目の前にいる“お母様”に意識を向けると、少し落ち着くかもしれませんよ。

  5. あんどうさんには一度海外からお電話させていただきました。
    その際はそんなお話にはなりませんでしたが、私の母も病気で、指が大変なことになっていました。
    十数年前に亡くなりましたが、同じようなことを感じていた人がいたと知ったのは、私自身の救いになりました。
    二十代の頃は周囲は皆、両親が元気で、話題は恋愛や結婚。そんな中で、病気で苦しみながら死ぬ母を看取りました・・・私は罪悪感でいっぱいです、なんて話はとても出来なかったです。
    書いてくださってありがとうございます。

  6. あんどうまり on

    はなさんへ
    コメント、ありがとうございました。
    はなさんのコメントを読んで、私も20代のころを思い出しました。
    私も、母親と一緒にショッピングをしている女性を見かけると、表面上は、何でもないことのように流していました。
    いま思えば、水面下では、羨ましさやさびしさ、悲しさを感じていたのかもしれませんね。
    またいつか、“母親のこと”について、はなさんとお話してみたいなぁと思いました。