遠くにいるからわかる事

徐々に夏へ向うべく季節が変わっていくこの季節。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私は、毎月東京から実家の京都に帰省をしています。
1ヶ月に1回の帰省なのですが、いつも帰省するたびに、その時その時の風景が変わってくるのがとても楽しいな、と感じずにはいられません。
移り行くその風景を楽しむのも、私の中での帰省の密かな愉しみの一つとなっています。
国内や海外からも多くの人が来る観光地でもある京都ですが、実は梅雨の季節に入ると京都の観光はいわゆるちょっとしたシーズンオフになるんですね。
時期的にも、桜の季節と祇園祭のちょうど間でもありますし、雨も多い季節だからなのかもしれません。
観光地等を通っても比較的、人も少ないなという印象があるんです。
そして、これは自分自身実家の京都に居た頃には気づかなかった事なのですが、梅雨の時期の京都ってとても素敵なのです!
雨の中の京都のあらゆる所に出歩くのは一見大変そうだし、観光で行った際はなんだか残念な気持ちに鳴ってしまう事があるかもしれません。
しかし、梅雨が明けるか明けないかという初夏の京都はあらゆる所で素敵な風景に出会えるのです。
三方を山で囲まれている京都はとても緑豊かな場所でもあります。
いつもどこかに木々の緑が目に入ると言っても良い程、山々の緑を堪能する事ができるからこそなのですが、この時期の緑はとても趣き深い色をしています。
特に、雨が降っている時や、雨があがった直後のお寺さんや神社に行くとそこにある木々の緑がとても色鮮やかで綺麗なんですね。
夏に向けて木々の葉が柔らかい緑をぐんぐんと伸ばしているんです。
そして、雨の水によりその緑がすごく活き活きとし、艶やかなんです。
もちろん、木々の緑もそうなのですが、岩についている苔もとても美しい緑なんです。
苔がはじく水滴に映る緑を見るのもとても心がぱっと明るくなったりもするんですね。
昔の私だったらありふれた風景なので、あまり気にも留めなかったと思います。
が、しかし。
東京に居を構え、1ヶ月ごとの京都の風景を見ると今までの当たり前だった風景がとても新鮮に感じたり、今まで気づかなかった所に気づき感動する事が多くなってきました。
もし、以前の私が、今の私がこうやって梅雨の緑の話をしても「???」な顔をしてるかもしれません。
それくらい昔の私にとっては日々の生活の中に埋もれてしまっていた“あたりまえの風景”で感動しているのですから。
そして、地元京都の梅雨の季節の愉しみ方を発見したと同時に日々の生活の中でも、色々な意識の変化がありました。
今まで、私の中で雨というイメージの中に『外出するのが面倒だなぁ』という感がありました。
雨の日は、お洗濯やお買い物に行く時も億劫な気持ちになるし、お日様に当たる事も無いから気持ちもどんよりしがちだったんです。
しかし、梅雨の京都のあらゆる場所にある緑の美しさを知り、『雨も外出ありだな』という気持ちに切り替わりました。
ちょっとした気づきや愉しみ方の発見で、私自身の中にあった雨というイメージもがらりと変わってしまいました。
なんだか、雨の京都に感謝いっぱいです。
遠くにいるからこそ、気づく事っていっぱいあると思うんです。
その気づきというのは、自分自身の中でも意外な所に潜んでいるかもしれないんですね。
大きな気づきもあれば、小さな気づきかもしれません。
それは、場所であっても、人であってもそうなんじゃないかな、なんて感じるのです。
ちょっとした変化は近くにいるからこそわからない事も多いかもしれません。
でも、遠くにいるから、あまり会う事がないからこそ、その場所、久々に会う人の変化とか、今まで気づかなかった素敵な所に気づけるのかもしれません。
もし、近くにいたり、あまり移動する事がないという場合でも、「もし久々に来たとしたらどうだろう?」「もし久々に会ったとしたらどうだろう?」という視点で物事を見ると新鮮な“何か”に出会える切っ掛けになるかもしれませんね。
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