ある日の1日。癒されるということ。

今日の宮古島はとってもいい天気でした。
初夏のような真っ直ぐな陽射しに、涼しい風が肌に心地いい。
薄手の長袖シャツがちょうどいい散歩日和。4月1日に海開きもあって、いよいよ夏は目の前です。
せっかくのお出かけ日和を満喫しようと、友人と来間島へドライブランチに行ってきました。
島とはいっても宮古島から1.7kmほどの長い橋でつながっているので、車で行くことができます。
真っ青な海の上を真っ直ぐに伸びる道を走り抜けるのはとっても爽快です。
この時期、年に1度の大きな干潮を迎えた海はいつもと違う表情。いつもは海底にいるサンゴ達が姿を現し、陸となって天然の橋のように島がつながっていました。
海面が近くなったぶん、宮古ブルーに透明度が増して、海底がキラキラと全部透けて見えます。
向かったカフェは、天井はあっても地面は外とつながっている半分屋外みたいな空間。
風が吹き抜けてとっても気持ちいいがいい席。ゴーヤ、島人参、紅イモ、黒糖。島で取れた食材で美味しい食事を頂きました。
太陽をいっぱい浴びて育った植物達の元気をもらえる気がします。
帰りにちょっと寄り道をしようと脇道に車を止め、植物がうっそうと茂る散歩道へ。
ガイドブックにない怪しい脇道が宮古島の醍醐味。ちょっと公道から外れただけで光景がガラッと変わります。
幹同士が絡まりあうガジュマルがカーテンのように地面に向かってつたを伸ばし、幹の間からは種類の違う植物が芽を出している。どこからどこまでがオリジナルの樹種かわからないくらい草木が混じり合って共存している。知っているサイズより10倍大きなシダが生えるそこはジャングルそのもの。さっきまでの強い日差しはうっそうと生い茂る木々や大きな葉に閉ざされて、そこだけひんやりと薄暗い。木々の隙間から注ぎ込む陽射は光の塊のようになって力強く神秘的な舞台を作り上げる。まるで宮崎駿の世界。そこここに木霊(こだま)がひっそりと首をかしげて見守っていそうな空間。足元に延びる石畳だけが「どこかにつながる」安心感を与えてくれるくらい、非日常な光景が拡がっていました。
ふっと眩しく光る芝生が見えて散歩道が終わり、見晴らしのいい高台の公園へ到着です。
なんでつくったの?というような大きなタコのオブジェがでんとそびえていて、いままでの散歩道とのギャップに笑えてしまいました。
帰り道、「なんだかわからないけど、充電した気分だね」と笑顔で言った友人の言葉が心に残りました。
カウンセラー的な気づきやシェアはまったくない今日のコラムですが、感覚で感じることの「癒し」をお伝えできたらなと思い、書いてみました。
もちろん、ここでの人との出会いやつながりにもたくさんの気づきをもらっていますが、生活しながら目に映るもの、経験することそのものが「癒し」につながっています。
早いもので宮古島に来て9カ月。生活にもすっかり慣れて、目に写るものすべてが感動だった頃に比べたら少し感覚も変わってきましたが、まだまだ飽きることはありません。
「いつ帰るの?」と聞かれますが、それもタイミングに委ねていくつもりです。
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