自立というキラキラした言葉は・・・

こんにちは、山田耕治です。
この5月からプロカウンセラー2年目に入りました。
コラム初登場、よろしくお願いします。
今回、私に影響を与えてくれた人シリーズ[名もなき編1]として、書かせていただきます。
みなさんにもそんな人がいらっしゃるかと思います。
名前とか覚えてないけど、なんだか印象に残るすごい発言をしてくれた人が・・・・。
その人は私が高校の時の数ヶ月だけいらっしゃった臨時の先生でした。
申し訳ないことに、名前も、何の教科の先生だったかさえも覚えていません。社会だったかな。でもこの先生の風貌と言葉だけはなぜか覚えていたのです。
目がギョロっとして、髪もぼさぼさで、襟がよれよれでしらけたような紺か、緑のシャツを着ていて、何だかうだつのあがらない感じ。そう、刑事コロンボみたいな感じです。
しゃきっとした体育担当の担任やスマートな生物の副担任とは、明らかに違う世界から来た感じの先生でした。
「自立なんか、くそくらえ、そんなキラキラした言葉なんか、くそくらえなんです。
」その先生が最後の日にそんな言葉を残して教室を出ていくのです。
どんな文脈だったかも覚えていません。「教師だからと言って、夜の街に飲みにも行くし、教師だってただの人間なんです。
」そんな話もあったかな。きっと衝撃だったのだと思います。
だからいまだに覚えていた。でもその時はその先生の言っていることがよくわかりませんでした。
「自立というキラキラした言葉」。確かに、私たち生徒にとって「自立」という言葉はとてもキラキラしていたと思います。
一刀両断で迷いがなく、魅力的なかっこいい言葉だったと思います。
その頃の私自身、中学で、今思えば依存的だった恋に破れた後で、厳しい父親からの距離も取り始めていたと思います。
高校に入り、自立というものに目覚め、憧れ、自立することを目指していたと思います。
そんな状況ですから、それをくそくらえと言われてもわかるわけもなかったと思います。
その後、当然のように、所謂、キラキラした自立の階段を上っていくことになります。
自分の力でやること、ひたすら勝つことをめざしていたような気がします。
高校では中学に続いて、バスケットボールのキャプテンでした。
浪人時代には、予備校には行かず、町の図書館で孤高の戦いでした。
大学では、故郷を離れ、一人暮らしです。
サークル活動はわいわいやっていましたが、どこか距離をおき、一人で生活することに拘っている自分がいました。
そして就職。自立のパワーの炸裂です。
故郷には帰らず、父とは遠くかけ離れた仕事につき、その分、「成功しなければ!」とハードワーカーになっていきます。
絵に描いたような超自立です。
ずっと負けないようにやってきたわけです。
ここで負けるわけにはいきません。ただただ自分で立つことを目指し、どんどん一人で行っていたと思います。
GWも毎日のように仕事に出かけ、正月も返上。他社に出し抜かれないこと、同僚に負けないこと、ノルマを超えること、勝負に勝つこと、結果を出すことに力を注いでいたと思います。
暴走していたと今は思います。
おかげで多くの人々に出会い、多くの経験を踏むことができました。
ノルマも達成し、選ばれてリーダーとなり、新人教育も任され、部長になり、部下も持ちました。
役員にもなりました。
結果もついてきたとは思います。
経済的な自立はできていたのだと思います。
そのおかげ家族も養えてきたことも事実です。
でもはたしてそれが本当の自立でしょうか?
助け合いながら、支え合いながら、自分も立っていることに気づいていたでしょうか。自立というようなキラキラした言葉を使ってもう二度と傷つきたくないと人から逃げていただけだったのではないかと思うのです。
競争心を燃やし、勝ち負けに拘り、孤立していたと思います。
人にも厳しくなっていきます。
そして誰かに依存したい気持ちを抑圧していたのだと思います。
気がつかないうちに、その抑圧された依存が、暴走をしていたのだと思います。
人を振り回し、傷つけあい、疲れ果てて、夜の街に溺れ、孤独にもなりました。
行き過ぎた自立から行き過ぎた依存の反動、そこには幸せはありませんでした。
折角めぐりあえた妻とも、それぞれが自分でたっていることがベースであるとの思いが強く、婚姻の籍も入れることはありませんでした。
もちろん結婚式も挙げることはありませんでした。
超自立の主導権争いが続き、ひどい喧嘩の毎日もありました。
臨月で息子を亡くし、気づきを得るまでそれが続きます。
しかもそれに気づいてからもその暴走は簡単には止まるものではありませんでした。
心理学を学び始め、夫となり、父となり、会社を退職し、カウンセラーになって、やっと、そう言えば、あの先生の言っていた言葉はこのことなんじゃないか、とわかるようになった気がします。
きっと自分でとことんやってみて、やっとのことで理解できるようになったのだと思います。
「きっと自立をめざすのだろうけど、いつかは気づくだろう。だからその時にしっかり認識できるように伝えるだけ伝えておくよ。」と、あの先生はこれからの僕たちに向けて、先生なりのやり方で、真実を伝えようとしてくれたのだと思います。
愛だったのだと思うのです。
その時は受け取れませんでしたが私の心の深いところに確かにひっかかりました。
刑事コロンボのようなその先生の顔が浮かびます。
その時は受け取れなかったこと、それはそれで仕方がなかった。でも受け取れなかった愛を受け取ることに、遅すぎることはないと思うのです。
時間がかかったけれど、確実に成長した自分を感じるとともに、どこかで愛を与えてくれていた誰かがいてくれたんだなと思えることは生きるエネルギーにもなります。
会うことはないかもしれないけれど、あの時、伝えてくれて、ありがとう、名もなき先生。今度はしっかり受け取って、先生がしてくれたように愛をもって誰かに伝えたいと思います。
「自立なんか、くそくらえなんです。

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この記事を書いたカウンセラー

About Author

1967年広島県呉市生まれ。早稲田大学法学部卒。家族は妻と小学生の息子3人。 恋愛、婚活、夫婦、家族、職場等、対人関係全般が得意。 臨月で子を亡くした喪失体験が人生に大きく影響し、18年勤めた会社を退職、心理学を学び直し2010年プロカウンセラーに。現在はサラリーマンとのWワークを推進中。

3件のコメント

  1. 初めて山田さんににメントします。
    正直今まで山田さんのアメーバのコラムを読んでも、私にはすごく読みづらかったんです。
    字数が、とか
    行間が、とかの問題ではなくて
    文章を読んでいるというよりも、データを読んでいるような感じがして
    生の感情を感じることができませんでした。
    でも、今日の文章にはものすごく心が動かされました。
    私はカウンセラーのワッペンをつけてる人は好きですが、カウンセラーの鎧を着ているような人は嫌いなんです。
    私の好みをここで吐露しても、『困っちゃうゼ』でしょうが。
    これからのコラムにも期待しちゃいます。

  2. とってもいいコラム~^^
    「やまださん」が届いています^^
    受け止めてくれて、返してくれて、ほんとにどうもありがとう^^