想い出の、夏~~空にいる友人たちに逢える季節~~

 『祐子は駆け足で夜の駅前を走ってゆく。新しい冬の到来。町は綺麗に星々の瞬きで忙し(せわし)なく輝いている。
 “先生、私はこんなに元気になったのよ。ホラ!”』 
(「サプライズ 世界で一番幸せな片想い」阿端萌窪著 文芸社)より抜粋
 冒頭は、約2年前、49歳の誕生日を目前に、空に戻っていった友人が残した私小説的闘病記の始まりの部分なのですが、彼女は5年余りを病気とともに暮らし、「私は本当に幸せ者やわ」と言い残して、空に帰っていきました。
 特に、入退院を繰り返していた時期の行動力は、元気だったころを上回っていたのではないか、と思わせる節も多々あり、彼女の歩く後には生命力のオーラが尾を引いているようでさえありました。
 
 繰り返す再発。副作用。どれだけ不安だっただろうか。私に何ができたのだろうか。
 自問自答は尽きないのですが、彼女がくれたたくさんのギフトを今、紐解いてみようと思います。
 彼女はまさに、「明日はないものと思え」と考えていたのでしょう。亡くなる3週間前までワークショップに参加をし、友人に逢いに行き、3日前には私たちを病院に呼び出し、3時間あまりを涙と笑いですごしました。
~行きたい所に行き、やりたいことをするの。今まで我慢ばっかりだったから。
そう言っていたのは実は最後に逢った亡くなる3日前。もうほとんど何も食べないで補液で栄養を摂っていたのに、アイスクリーム1個を完食し、周りを驚かせていたな。
~誰と一緒に食べるのかが大切なのよね。
 
その光栄に預かったわけなのですが、このひと時こそ、私にとっても、生きることについての本音・・・「誰といるかが大切」ということが、浮上してきた大切な瞬間でもありました。
 最近は、緩和ケア医療にかかわっていることもあり、様々な方の人生の終着点に触れる機会が増えました。
緩和ケア自体は、心身の痛みを和らげる医療の一環なのですが、治癒を目指すことが難しいケースも結構あるからです。
 そういったケースでは、・・・人生においての時間は、誰であってもいつかは必ず終わるのですが、その時期が遠くはないことをご自身が知っている訳です。
私の友人のように、自分のやりたいことにひたすら向かっていく方もいれば、一番近くにいたい人・・・多くはパートナーなのですが・・・と少しでもいい時間を持ちたいとただ願う方も、とっても多いように思います。
 私が出逢った方の中には、言葉を発する力がもはや無くなっていても、最後の力で愛する人の手を握り返し、かすかに頷いて応える姿が何人かおられました。
 
 そこに灯る命の火は神々しく、見守っている家族や親しい人のみならず、関わっている医療従事者の胸にさえ、いつまでも深く刻まれるのだと思います。
 旅立っていく人、見送る人、それぞれの胸には、時にはただただ想いだけが、時には出来事としての思い出が去来するのかもしれません。
 ―――降り注ぐ蝉時雨を払いのけるように見上げたら、そこに懐かしい笑顔があったような気がしました・・・本当は、眩しいほどに白い雲がただ浮かんでいるだけなのかもしれないけれど。
 いつの日か、私も白い雲と漂うようになる時には、優しい笑顔たちが私のことを待っていてくれるのかな。随分と先なんでしょうけどね。
 なんてことを書いていると、空から叱っているように雷鳴が・・・。まだまだ来るなってことかな。
 日々一刻を重ねて、人生と言う美しい風景を織り成している、最後の仕上げを、ほんの少しだけ垣間見させていただいているわけですが、思うに―――最期の数日間、には数時間を一緒に過ごす相手を、人はどこか深いところで選んでいるのかもしれないな、と。
 限りがあるから美しい、と語るほどには達観できていない私ですが、最近はそんな風にも考えることが多くなりました。
 メメント・モリ(memento mori、「死を想え」というラテン語)と言いますが、陳腐な表現ではありますが、悔いないように生きるには、いつか来るその日を想うことはとても大切だと、私は思うのです。
 
 それは、どんな人にも赤ちゃんの時代があったことを考えるのと同じくらいに。
 白い雲を見ては、冒頭の「祐子さん」をはじめ、帰っていった友人たちの笑顔や、数知れないたくさんの人生に思いを馳せる今年の私、です。

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