ギリギリにならないと火がつかない!

このコラムもそうですが、原稿を書く時には、書き上げて提出する締め切り日というのがあります。
その都度私は、自分の中の困った癖と向き合うことになります。
それは、「ぎりぎりにならないと物事が始められない癖。」
いつも締め切りに追われるようにやっとの思いで提出することが多いのです。
自分はいつもそうなりがちとわかっているので、あらかじめ自分なりに余裕がもてるように工夫もしています。
たとえば、今回の原稿でもスケジュール帳にはあえて締め切りの数日前を「締め切り日」として書き込み、さらにその数日前を「できたらこの日に仕上げる目標の日」と設定し書き込みます。
そんな万全な状況…(?)にもかかわらず、残念なことにまたもや真実の締め切り日ギリギリの段階でこれを書いているという事実…。
中学生のころは、試験前の勉強は結構計画的にこなしていました。
高校以降は、一夜漬けとか、極端な場合当日の朝になってとりかかることもありました。
そんな時はものすごい集中力で勉強するのですが、それでうまく試験が突破できると妙な達成感があったものです。
「コレでもいける!」と自信がつく感じです。
(突破したといっても、いったい何点で突破しているかは内緒です)
以前テレビ番組で特集していましたが、何かを仕上げなくてはいけない時、ぎりぎりでも間に合ったという経験が、ある種快感となると悪循環ができあがり、このパターンからなかなか抜け出せなくなるということでした。
まさにこの悪循環にハマっていたのだと思います。
しかし、若いころはそのような瞬発力が効くこともありましたが、いまは本当に早め早めにやっておきたいと心から思います。
40才を過ぎてからのある日、締め切りのある文章を久しぶりに書くことになりました。
簡単に仕上がるだろうと甘く見ていたら、予想の何倍も時間がかかり、結局徹夜しないと間に合わなくなり、12時間以上ずっとパソコンの画面と向き合って朝を迎え、やっとの思いで仕上げました。
かなり身体に堪えて、その後数日間生活のサイクルが乱れてしまい、大変つらい思いをしました。
(お仕事で徹夜などされる方、本当に尊敬します)
身体は正直…もう若くはないと悟った私は、睡眠時間は大事にしようと決心しました。
おかげで徹夜になることは避けるようになりましたが、いまだに追い込まれてから動き出すパターンは同じです。
そもそも、ぎりぎりにならないと物事にとりかかれないというのは、行動の原動力に怖れや不安を使っている場合が多いとのこと。幼いころの影響も大きいのだそうです。
確かに、気にしてみると「怒られないように」とやっていることがとても多い私です。
小さい頃に「悪いことをすると怖いおじさんがくるよ」などと言われて育つと、そうなりやすいと聞き、「うち(実家)にも架空の怖いおじさんがいた!」と深く納得です。
当時の親の知恵のひとつで、言うことを聞かせるには効果があったのだろうし、そのような子育てが主流の時代だったのかもしれません。
そういえば、大学を卒業して何年もたってから、
「まったく勉強しないまま迎えてしまった試験当日の朝に『あ~どうしよう!!』と泣きそうに焦っている」
という夢を何度か見ました。
学生でもないのにそんな夢をみるのは自分だけかなと思っていたのですが、つい最近「そのような夢を見たことがある人いますか」とワークショップでトレーナーがみんなに聞いていました。
見渡すと私以外にも手を挙げている人が結構いました。
その時に言われたのが「怖れが動機で勉強をしていると、卒業してだいぶ経ってから、そんな夢をみたりする」とのことでした。
やりたいから勉強する、ではなくて「落第したくないから」とか「先生に怒られるから」とかそのような気持ちがを土台になっていたわけです。
その夢をよく見ていたのは、我が子が2歳くらいで私自身は子育てに忙しかった頃です。
もう学校や勉強とはまったく縁のない生活を送っている頃に、焦って目が覚め「夢かあ、よかった~」と安堵する自分がおかしくて、当時の子育て友達に「一体どれだけトラウマなのか!いまだにこんな夢をみるんだよ~」と話したのを覚えています。
勉強というと一般的にやりたくないものというイメージですが、本来ひとは知識欲というものをもっていて何かを学んだり、知っていくことは好きなはずなのです。
純粋に自分の好きな勉強だったら楽しいと思います。
(私もカウンセリングの勉強は大好きです)
そして先ほどのワークショップで「なるほど」と思った言葉があります。
それは、
安心できる場所だから、怖い夢をみることができたのかもしれない、
という言葉でした。
もうテストで苦しむこともないと、どこかで感じていたからそんな夢を見ることができたのですよね。
ひとは、その渦中にいる時は感情を感じる余裕もなく無我夢中で、精いっぱいです。
あとから考えたら足がすくむことって、ありませんか?その場では呆然としてしまい何がなんだかわからなかったけど、家に帰ったら涙が止まらなくなったとか、あとから感情が溢れだすこと、そのような経験がある方もいるのではないでしょうか。
何か怖い夢を見た時って嫌な気持ちになるけれど、もしかしたら、今の自分が安心できる場所にいる証しなのかもしれないですね。
ずっと怖れを土台にして行動することが多かった私も、ここ数年は、楽しいことをやる、好きだからやるというように、意識を変えていくようにしています。
そうは言っても、長年慣れ親しんだやり方はなかなか頑固です。
しかし、仕事を余裕で仕上げる友達がそれを楽しそうに話すのを聞いていたら、とってもうらやましくなり、そんな風に仕事ができたらどんなにいいだろうと私の理想になりました。
そんなこともあり最近は以前の自分にくらべると、だんだん余裕がでてきたような…気がしています^^♪
うえの道子のプロフィールへ>>>

この記事を書いたカウンセラー

About Author

退会しました。