本当に欲しいものは何??~過去の忘れもの~

以前、心理学のセミナーに参加していたときのこと・・・。
欲しいものは、何ですか?という質問がありました。
そこで考えついたことを発表していくわけですが、欲しいものを話しているはずなのに、自分の様子がおかしいことに気づきました。
欲しいものを話しているとき、わくわくして笑顔になったりしそうなものですが、
話せば話すほど、どれをとっても嘘っぽく感じて落ち込んでいく私がいました。
おかしいことには気づいているのですが、原因が分からずモヤモヤした時間を過ごしていました。
そして、セミナーは進んでいき、ヴィジョン(未来像)を思い描くというテーマでセミナーが進行されました。
未来像は自由に描けるはずなのですが、私のテンションは、ますます落ちこんでいきます。
それでも、原因が分からず、更にモヤモヤする自分がいました。
欲しいものを考えることと未来像を描くこと、私にとっては、どちらも落ち込む内容ではないと自分では思っていたので、
頭の中には『???』がいっぱいでした。
もちろん、心理学的にいえば、欲しいものの話で落ち込む時は、『手に入らない』と思っていると考えることができますし、
ヴィジョン(未来像)で落ち込む時は『ポジティブなヴィジョンは手に入らない』と思っていると考えることができます。
でも、それに当てはまるとも思えず、当てはまるとしても、何故、自分がそう感じているかが分からずにいました。
そして、この様子の納得いかない様を仲間に話すると、仲間がこういうのです。
未来に答えがないのなら、過去に答えがあるのではないかと・・・。
カウンセラーをやっていても、自分のことは見えませんね。
そこで、私は過去に答えを探すことにしました。
しばらく、思いめぐらすと・・・
ありました!!
私の欲しいもの、それは『仲の良い家族(育った頃の家族)』でした。
新しい家族を作ることは、今からでも可能ですが、私の両親は離婚していますので、もうそれは叶いません。
それは充分理解しているつもりでしたし、過去の話だと思っていました。
『大人だから』
『終わったことだから』
『もう、望んでも手に入らないんだから』
いろんな理由をつけて、私は1番欲しいものをないものにしていたことに気づきました。
1番欲しいものを、抑圧したり、ないものとして扱うと、世界はモノクロになってしまいます。
自分にとって、1番価値のあるものですからそれをないものとするとなると、
それ以外のものに価値や魅力を見れなくなってしまいます。
それが分かった時、見つけてもらえた感情がぽろぽろと涙となって流れたのを覚えています。
1番欲しいものを認めることができたときに、景色はモノクロからカラーに変わっていきました。
1番め以外の欲しいものを欲しいものとして感じることが出来るようになりました。
私たちは、欲しいものが手に入らないと感じた時に、本当は欲しいのに『もう、いらない!!』ということをよくやります。
それをやり続けると、欲しいものは欲しいものとして認識されません。
そして、認識されないものは、手に入らないんです。
もったいないです。
今回の私の欲しいものは、もう手に入らないものでしたが、これを欲しいと認めることで次なる欲しいものを認めることへの一歩になりました。
欲しいものが見つからないとき、それはどこかに欲しい気持ちを忘れてきたときかもしれませんね。
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この記事を書いたカウンセラー

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人間関係の築き方・コミュニケーションのスキルアップ・個性を生かすことを得意とする。 お客さまのテーマを多角的な視点でとらえて分析することにより、新たな視点や心の気楽さを持つことが出来ると定評がある。ゆるぎない安心感の基盤を基に行うカウンセリングは、心のうちを語りやすいと評価が高い。