幸せな生きかた~~一瞬を大切に~~

 年の瀬の近さを感じるものの一つに、街の景色の変化があります。
光を多用する昨今、いつもと違う彩りに染められた、見慣れた景色。街路樹を美しく染め上げる光彩。
何となく心弾む季節でもあるのです。
今年もまた、この季節がやってきました。
冬間近の道路は、春の薄紅一色とはまた違った彩りの華やかさ。すっかり静まり返った夜半の路上は、
豪華絢爛な宮殿の廊下の様でもあります。
ひらり、と揺れて落ちた葉っぱを手に取ると、鮮やかな臙脂で描かれた葉脈を中心に、緩やかなグラデーションで色を変えているその一枚一枚が、似ているようで全然違うことに気づきます。
枝から離れる前には、樹全体をあでやかに色づけ、光さえ感じさせていた一枚一枚は、手に取るとまたさらに個々の美しさが際立ちます。
 そして・・・路上に広がった模様は一瞬の風で舞い上がり、弧を描いて緩やかに舞い落ち、また違った顔を見せてくれます。
 一瞬として同じ時は無い、と感じる瞬間です。
 さて。言い古された言葉なのですが、時間は、誰にとっても平等であると言います。
 本当にそうなのかな。
 友人が空へ帰っていったり、昨今のニュースを見たり、やるせない想いと共に、そう感じることが以前に増して多くなりました。
 「秒」、「分」と言った単位で見ればそうなのかもしれないのですが・・・、平等だな、と思えるときもあれば、そんな風にはとても感じられないときもあります。
 楽しい時間を過ごしている時や、やらなければいけないことが多かったりすると、時間の動きは魔法のように早いし、仕事が無かったり、退屈なときの時間は、澱んだ河のようになかなか動かないように感じます。
 時間を数字で計ってみると、例えば1日と言う単位の中で与えられている時間数は同じなのかもしれないのですが、そのときに必要だと感じている時間自体はやはり、その人・その時で違うのだろうな。
例えば。
 明日も明後日もずっと続くと思って生きていたのに、一瞬の事故や事件に巻き込まれてしまう命。
誰にもあるはずの、時間制限。でもその残り時間がはっきりと示されてしまった命。
そこにも同じ刻みで時は動いているけど・・・。
「それは本当に平等なんやろか?絶対に平等なんかやない、と俺は思う。こんな平等なんてない、って思う。」
先日、そう言ったのは、やるせないニュースを一緒に見ていた長男です。
そう言っている彼は、私の記憶の中にいる、笑顔のかわいい小さな男の子とはもう、重ならないことも多くなりました。
彼らとこんな話を真剣にする日が来ることを夢に見ていましたが、うれしい気持ちもあり、あの頃の彼らの姿が懐かしくもあり、重ねてきた時は確実にここにもあることを実感します。
今日の夕陽は、とてもきれいでした。
いや、今日「も」夕陽がきれいでした。
こちらが正しいです。
 西の空、下の方から少しずつ赤の分量が増えていきます。
 まだ青さが勝っている空では、口を開いた龍が通り過ぎたあとに唐突に現れた、宵の明星。その右側ではまるで絵筆をなぞったような雲が、背骨のように空を伸びています。
 背骨のすそが広がり、翼を広げた大きな鳥のように変わり、その際を二羽の鳥が我関せずとゆったりと、仲良く並んで飛んで行きました。
 この、今日の夕陽も、もう二度と逢うことはない。でもまた明日には、違う夕陽に逢えるんです。
 いや・・・夕陽、太陽そのものには変わりはありません。ただそれを色なす光景や、その景色を見る私の気持ちが、今日とは違うだけなのです。
 すべてのことは、永遠ではない。一つ場所にとどまることはない、のかも知れません。
 でも、そんなことを考える心、美しいと感じる人の気持ち、大切なものを愛する気持ち、誰かを想う気持ち・・・変わっていくように思えても、奥深くで息づいているものは変わらないな、とも思います。
 好きなものは好き。大切なものは誰がなんと言っても大切。たった一つ、大切なものがあるとしたら・・・そんなことを感じられる自分の心、なのかな。
 そして、そんな私を大切に思ってくれる人たち。私の「とき」を彩りながら、そんな人たちがここにいてくれる幸せ。
 私もまた、誰かのときを彩る景色です。
 互いを彩りながら生きる。
 
 それって本当に、素敵に幸せな生きかただな、と心に深く刻む、今年のこの季節の私、です。

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