●仰げば尊し〜桜の季節に寄せて〜

 三月、春とはまだまだ名ばかりのこの季節、それぞれの学び舎から巣立っていく姿が見受けられます。
2年前まで学校を職場としていた私には見慣れた光景であり、その裏方を20回以上(学校により、2回の卒業式があったためです)させていただいたことも思い、少し遠い所から、現職の時とは少し違った感慨を以って眺めています。
 かつては卒業式につきものであった「仰げば尊し」と言う曲は、私が小学生の頃には歌うこともなかったのですが、それは「教師は聖職ではなく仰がれるような立場ではない」と言うような考えが主流であったことを誰からか聞かされた記憶があります。
その時代、地域、と言ったこともあったのでしょう(他の地域はどうなのか私は知らないのですが)、子供心には「???」と言う感じでした。
 
私の通っていた小学校は今では創立70年を越えたくらいでしょうか、当時の校舎のそこかしこに第二次世界大戦の戦禍が遺されていました。
中でも印象的だったのは、講堂前の階段の手すり。重厚な木製なのですが、痛々しいやけどの跡のように、焼け焦げた後が残っていました。
今では震災の後に校舎も新しくなりましたが、その手すりはそのまま特別室に保存されている、と聞いています。
 私が小学生のころ、「この小学校と同じくらいの歳」と言いながら、機会があると自分たちの子供の頃・・・つまり、「戦時中」から「戦後」にかけての話をしてくださった先生が何人かおられたのですが、今思うと両親から聞いた話と混在しているのか一致しているのか、まさに私の記憶は混沌としていますが、子供の頃に感じた痛みを思い出す話がいくつかあります。
 戦争中は憲兵が学校に常駐していたため、教壇に立つ先生はいつも緊張していた。玉音放送があり事態が変化した後、それまで使っていた教科書と墨と筆を出すように言われ、「今から言うところは墨で塗るように」と言われたというのですが、教科書のほとんどは墨で塗られることになった、つまり、それまで学校で教えてきたことのほとんどを覆さなければならなかった。病気の子供には親が苦労をして手に入れた石鹸みたいなバターや茶色い干しバナナを食べさせたが、ほかの子たちには与えられることはまずなかった。代々伝わってきたような高価な物品がわずかな米に換えられて家族の命をつないだ。などなど。
 教科書に墨を塗ったときには、今までいったいどんな思いをして学校に来ていたのか、とか、同じ先生がこんなことを言うのか、と思ったというのは母の弁です。
もちろん今はそんな極端なことはないのですが、親や教師や上司、あるいは医師や看護師などの医療従事者、そして私たちカウンセラーの一言というのは、言う側よりも言われる側には深く響くことがあります。
つまり、言う側の認識よりも影響力が大きいということ。このことをあまり意識せずについ自分たちにとってはさほど問題とは思わない発言をしてしまうこともあると思うのです、なぜなら・・・みんな人間ですから。
 仰げば尊しと言う歌を学校現場の卒業式で歌わないという世代の中心は、母の世代の先生たちが教師として中堅層の時代だった気がします。
今は、「君が代」も「仰げば尊し」も歌われているようですし、その歌詞の意味も私の子供の頃ほど説明をされてはいないのかもしれません。この歌についての特別な思いと言うより、たとえば教師を職業として選び、生業としている人たちの多くは、自分を聖職者とは呼ばないでしょう。これは医療や福祉に携わる人も同じだと思うのです。
でもその向こうで心から感謝をしている声もまた、少なくはないのですが、感謝をされる側はどうも当たり前のこととしていることが多いように思ったりするのです。
 私が小学生だった頃、あの焼け焦げた手すりを撫でた最後の日はやはり卒業式でした。
あの頃の私はまだまだ幼く、担任の先生をとても上に見上げていましたが、今から思うと今の私よりもずっと若かったんです。
自信のないこともあっただろうし、私たちの言動に傷ついたことだってあったのではないかしら。言葉の影響力なんてあまり考えなかったんだろうな。
その後とてもお世話になり大好きだった中学校の美術の先生は、新規採用でまだ23歳と若く、今から思うと若さゆえの熱さもそのやさしさも、私個人に関して言えば絵に関する興味を引き出してくださったのも、忘れがたいことなのです。
大人になり、同じ世界で仕事をするようになり20年ぶりくらいの再会を果たしたときに、「あのときのこんなこと」をいくつか話し、どれほどうれしかったか、を伝えたのですが、半ばあきれたような驚いたような顔をされて、こう言われました。
「おまえ、しょうもないこと覚えててんなぁ。」
でもね、私にはわかりました、先生はとってもうれしかったんだということ。その後、私が着任した最後の学校に、「表敬訪問」をしてくださったのです。
先生は小学校の校長先生に着任されていました。
中学校の教師よりかわいい小学生を教えたい、とよく言っていたことを思い出して、言いました。
「先生、念願かなったね。」
そうしたらやっぱりこう返ってきました。
「ああ、そうやなぁ。おまえ、しょうもないこと覚えてんなあ。」
先生、と呼ばれる立場の人のちょっとした言葉って意外に心に残るものなんです。
これは私が子供の立場から見てのお話です。
つまり、私にしたところで、同じことが言えるわけですから、私の一言が誰かにとって重要な意味を持っていることだって、考えられるんですね。ところが、私自身の認識といったら・・・そこまでは思っていない、というのが本音に近いと思います。
そしてこれは私に限らず誰かに向かって言葉を発する立場の人の多くがそう感じているのでは、と思います。
 こうして考えてみると、「仰げば尊し」を歌わないでおこう、としていた時代の教師たちの心の中を流れていたのは「私はそんなに偉大ではありません」「私の影響なんてちっぽけなものです」ということだったのでしょうか。う〜ん、それも違う気がする・・・。まあ、実際のところ感覚的には私にはわかるのですが、表現するのに少しためらう気持ちもあります。
簡単に言うと「時代の趨勢」というところでしょうか。
さて、三月も終わりに近づき、校庭に咲く桜は見ごろを迎えます。
卒業していった後には、新しいランドセルを背負った小学生、まだ大きいまっさらな制服を着た中学生、希望に胸を膨らませて少し大人顔の高校生・・・さらには専門学校や大学の門をくぐる学生、配属先にどきどきしながら初出勤する新人たち・・・。それぞれの春が始まろうとしています。
仰げば尊しわが師の恩・・・この言葉はきっと後になってじんわりわかってくる言葉なのかもしれません。そこに教育の真髄があるような気がします。
人が人に教えられることはたくさんあるようでもあり、本当はエッセンスが伝わればいいのかもしれません。問題の解き方であるとか公式や技術や理論・方法論よりも先生の余談やちょっとしたエピソードをより覚えているのはなぜなんでしょう?面白かったとか楽しかっただけではなく、そこに人間味を感じたから、人生の哲学があったからのような気が、私はします。
職業人として、一人間として、ひとと向き合うことを仕事として選んだことを誇りに想う今日この頃。いろんな先生の顔や言葉を思い出して、ちょっぴりにやにやしているのです。

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