●誕生

実は今日9月6日は僕の誕生日です。
わがままを言って、この日にコラムをスケジュールしてもらいました。
なかなかタイミングが合うことって少ないですからね。
僕はそもそもイベント事や記念日を大切にする人なのですが、中でも誕生日というのは、とてもとても特別な一日です。
この日が有意義だと、この一年、すごく良く回りそうじゃないですか?
それで一つ一つの出来事にとても意味を感じてしまう一日でもありますから、前の日から、どんな一日になるのかをワクワクドキドキしながら待ってるんです(笑)
まあ、ちょっと子どもっぽいことかもしれませんが・・・。
誕生日というのは、自分自身が生まれてきたことを感謝する日だと思うんです。
一年で、一番自分自身のエネルギーが高い日でもありますね。
ですから、たくさん受け取り、たくさん与える日だと思ってます。
そして、何よりも自分を産んでくれた両親に感謝する日ですね。
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僕も半年前に親になったばかりですが、子どもが生まれてみると、実感として「親」が分かるようになりました。
親の心理はカウンセラーをしていて感覚的に分かっているつもりでしたが、やはり現実の学びは深いです。
もちろん、これから色んなことを経験しながら「親」に磨きをかけていくわけですが、考え方や価値観も気付かないところで随分と変わっているはずです。
妻ともよくそんな話をします。
妻は精神的にも肉体的にもとてもタフに強くなりました。
物事や状況に元々逃げずに向き合うタイプでしたけど、更に腹が括れてるというか、細い体でありながら、地に足が付いた感じがしますね。
僕も妻やお客さまや仲間から「変わったね〜」と言われることも増えました。
「深みが増したよね〜」とか前向きな言葉を下さる方が多いので、それだけでも、娘に「生まれてきてくれてありがとう!」です。
娘はまだ6ヶ月になったばかりですが、本当に日々、色々なことを教えてくれる存在です。
存在するだけで意味があり、価値があるということ。
家族というものを教えてくれたこと。
人間の強さや成長力。
自然体であることが、いかに大切かということ。
そして、自分自身の命、体や心を大事にすることが、いかに大切なことかということ。
そして、親になって分かることは、やはり自分の親のこと。
こういう気持ちで子どもを見つめていたんだな・・・と実感を持って理解できます。
もう父親は他界してしまってますが、改めて感謝の気持ちで両親を思い出します。
○父について
父から愛されてるって実感は小さい頃からありました。
たくさん遊んでくれたし、僕も大好きで誇りでもありました。
でも、不器用な人だったんですよね。
ストレートな愛情というのは専ら母親に譲り、少し離れたところから愛情を注いでくれるような存在でした。
だから、思春期に入る頃にはその距離のためか、父親の存在は僕の心からは少しずつ薄れてしまっていました。
ちょうど新しい事業を始めて、家にあまり帰ってこなかったこともあって。
父は幼い頃に実母を亡くし、継母にいじめられながら育ったそうです。
だから、父は愛された経験がなかったのでしょう。
だから、母や息子、妹達に愛情を感じながらも、どう愛していいのか?どうすれば良いのか?がずっと分からなかったのかもしれません。
父とのエピソードで印象的なことが二つあります。
ひとつは小学生時代、地区の運動会があったんです。
その時父は自治会長としてその運動会を仕切っていたんですけど、最後に“親子二人三脚競争”があったんですね。
父はそれに僕と一緒に参加するのが楽しみにしていたようなんですが、思春期に入っていて、そんなことをするのが恥ずかしい僕は最初は断ってたんです。
でも、二人三脚用の紐を持って右往左往している父を見ていたら、妙に寂しくなって、哀しくなって「出ようよ」と声をかけたんです。
父親は表情にはあまり出さなかったけど、すごく喜んで、張り切って、夢中になって、そして、僕を半ば引きずりながら走ってました。
結果はもちろん1位。
僕も恥ずかしい一方で、実はとても嬉しかったんです。
それが今から思えば一番の父親孝行だったような気がします。
あの時、断っていたら一生後悔したかも・・・と思う出来事です。
もうひとつは浪人時代。
その頃はもう両親は離婚していて、父親に会うことはめったになかったんですが、ある日、家に僕一人でいたときに、ふっと父親がやってきて「お母さんはどこだ?」って一言だけ声をかけてきたんです。
なんて答えたかは忘れてしまったんですが、父親が「そっか、分かった」と言って、家を出ていった瞬間、どうしたわけか涙がぶわーっとあふれ出てきたんです。
わけがわからなくて、僕自身が途方に暮れるくらい涙が出てきました。
それくらい寂しかったんだな・・・父に会いたかったんだな・・・と気付いたのは、その何年も後のことです。
その時はそれが不思議で仕方ありませんでした。
でも、結局それが父親を見た最後だったように思います。
もしかしたら、僕はどこかでそれが父との別れだったことを知っていたのかな?
だから、あんなに涙が出たのかな?
なんて考えてみると・・・ちょっと怖いです・・・。
○母について
とても情熱的で愛情の深い人です。
それが普通の母親だと思っていたのですが、色んな母親の情報を耳にするに連れて、うちの母はちょっと違うんだなあ・・・と思うようになりました。
その愛情が高じて、過干渉になってたきらいはあるかもしれません。
でも、基本的には何でもやりたいことをやらせてくれて、全身全霊で応援してくれる存在ですね。
僕が何をしても絶対的な味方でいてくれる、というのは、ものすごい安心感でした。
だから、すごく自由を感じられるんですよね。
苦しい時代もありましたが、常に僕自身の「わがまま」で生きられてるのは、そんな母親のお陰かと思います。
母は家が神道の教会をやっていたためか、小さい頃からとても貧しく、お金ですごく苦労したそうです。
その時代にはよくあったことかもしれませんが、頭はよかったのに高校進学をあきらめざるを得なかったんですね。
だから、子ども達に対してはお金で苦労させない、学校はできるだけ出す、という方針で、一時期は教育ママゴンになるくらい一生懸命でした。
その一方で、何と言うか深い優しさや愛情に満ちたところがあって、僕ら兄妹はそんな温かいものに包まれて成長してきました。
自営業でしたから、大変な時代もあったそうなんですね。
でも、子どもには、家族には絶対迷惑をかけないと、完璧なほどに守ってくれました。
母親とのエピソードで印象的なのは、僕が小学校1年生の時。
随分昔のことですが、今でもはっきり記憶してます。
その頃から落ち着きがなく(笑)、慌てん坊だった僕は、祖父母の家の近くで遊んでいて思い切りこけたんですね。
その時、大きな石に左足の膝をぶつけまして、白い骨が見え、次の瞬間、血がぶふぁーっと吹き出たんです。
母が慌ててすっ飛んできて僕を近くの病院に連れて行ってくれたんですが、あいにく、その日、村はお祭りでして、お医者さんも出かけてたんですね。
で、その時僕を腕に抱きながら母親がこう叫ぶんです。
「私のことならどうなってもいいけど、この子だけは助けて下さい」
その言葉を腕の中で聞いていて、とんでもない強い愛情で守られているんだな・・・とすごく実感しました。
今でもその膝の傷は残っているんですが、それを見るたびに、母のその強い愛情も一緒に思い出すものです。
もう一つの思い出は高校生の頃。
甘えん坊の僕は昔から母親の膝枕が大好きだったんですけど、思春期に入ってからはさすがに遠慮するようになっていたと思います。
高校2年か3年のときだったと思うんですが、何の気なしにふと膝枕してもらったんですね。
随分久しぶりだなあ・・・と思いながら。
でも、それと同時に「もしかしたら、これが最後になるかもしれないな・・・」と漠然と思ったんです。
そして、すごく寂しく、哀しくなりました。
ほんの小さな出来事ですが、僕が子どもから大人になった瞬間があるとすれば、この時かもしれません。
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他にも両親に関するエピソードはたくさんあるのですが、今の僕にとても影響を与えたお話をさせていただきました。
妻からも周りからも「裕幸ってすごく親に愛されたって感じがするよね」って言われるんですけど、僕としては「当たり前」になっちゃってるんですけど、こう見返してみると、ほんとに愛されてるよなあ・・・といつも思います。
とはいえ、実際には5,6年か前まではカウンセリングを受ける時以外は、家族の話はうっとおしくて、恥ずかしくて、絶対しなかったんです。
ある意味厳しい親の愛情に不信感を抱いていたこともありました。
表向き仲はいいんですけど、ちょっと距離を置くというか。
その頃は自立することに一生懸命だったんでしょう。
自立の妨げになると思って両親やその愛情を否定していたのかもしれません。
その頃は自分は子どもがいらないと思ってましたし、結婚も・・・うーん、あんまり前向きじゃなかったかもしれません。
(子ども時代に辛い思いをしたり、自己嫌悪が強かったりすると、自分の子どもが欲しくなくなります)。
でも、今はこの両親の元に生まれてきたことが凄く幸せだと思ってます。
だから、大きな感謝を込めて、僕が生まれた日に感謝を贈りたいと思うのです。
どうも、ありがとう。
根本裕幸

この記事を書いたカウンセラー

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