●♪Sence Of Wonder♪

数年前図書館で偶然手にした本のタイトルなんですが、ふと、思い出していました。
その本自体もとても素敵でしたが、タイトルが気になったのにはもう一つ理由があります。
20年ほど前の私は、神戸のとあるライブハウスにしょっちゅう入り浸っていました。
よく見に行ってたのは”Sence Of Wonder”という名のバンド。3人編成で、”プログレッシブロック”の流れを汲む実力派で、メンバーは難波弘之さんというキーボーディスト、そうる透さんというドラマー、田辺モットさんという若いベーシスト。大阪のライブにはなかなか行けなくて(帰れなくなるのです、終演が遅いから電車が無くなって)神戸に来るときには必ず行ってました。
一番真中のいい席を陣取って、まさにかぶりつき。このライブハウスにはカシオペア、スクェア、憂歌団、大村憲司、etc.知る人は知る大物が来ていたんですね、当時も。中でも Sence Of Wonder もしくはGearというバンドの時にはほとんど欠かさず参加。どちらも難波さんのバンドなんです、これは余談ですが。
この、Sence Of Wonder という言葉を私が知っていたのはこのバンドのことがあったからです。
難波弘之さんはミュージシャンとしても幅広く活躍していましたが、SF作家の顔もまた持っていました。
私は彼のピアノやシンセサイザーの音色が大好きで、誰かのバックで演奏していてもわかるくらい。独特の温かさと耽美な響きがあるのです。
それは今も変わりません。彼のライブで知り合った友達はSFマニア?でした。
一方の私はと言うと、当時はご飯より音楽、という時代でした。
同じ人を応援している、というところでつながっていて、本当にたくさんの共通点とまったく違う側面の両方を持つ初めての友人だったと思います。
そういえば、今一番近い友人はそう言う人やなあ。
彼の音楽はとても文学的で、そして文章はとても音楽的です。
一つの才能が更なるほかの才能を呼び起こすということを言いますが、まさにそういう人だと思うんです。
相乗効果、というのはこういうことやな、と思っていました。
一方で私は、ごく最近まで自分の「中途半端さ」が好きではありませんでした。
どちらかというと器用な方ではあると思うのですが、モノになるものがないということが悩みで、何がしたいのか、何を目指すのか、まったくわからない時期をそれでも社会という地面に足をつけて生活をしてきたな、と思います。
小学校時代はオール3、ただし、音楽と国語と、図工と体育は除く。前者はずっと5で後者はずっと2でした。
ちなみに図工は中学生になって美術になったとたんに5。私の描く絵はあんまり整っていないんですね。描きたいと思ったところから始めるので、どうしてもデフォルメした感じになるみたいなのです。
このところ、あんまり絵を描く時間をもてないのですが、はがきくらいの画用紙に水彩絵の具や色鉛筆でちょこちょこと手近な野菜や風景の一部を切り取ったように描いていました。
あまりうまいとは思えないのだけど、楽しいんですね。
そう言えば、絵を見るのも大好きです。
時間があれば展覧会に顔を出すこともあります。
これ、と思った絵の前では立ち止まったまま微動だにしない私は挙動不審やろなあ(笑)。まさに絵の中に入り込んでしまっている感じで、怪しい人かもしれません。先日も友人の絵を観に行ったのですが彼の絵の前に行くと、なぜか涙が出てくるのです。
数人での展覧会でしたが、ほかの人の作品も素敵だったけど、彼の作品にはなぜか心が共鳴してしまったようでした。
そういえば、思いっきり時間をかけて絵などを観ることがめっきり少なくなりました。
好きな作家の画集をいつまでも飽きずに眺めていたり、1枚の絵の中の風景や静物、人物の周りに思いを馳せているといつのまにか時間が…ということが以前は確かによくありました。
私の好きな作家は、まず一番にユトリロ。奥行き感があり、かすかな人影が却って孤独な思いをそそります。
ユトリロはアルコール中毒で、外に出られなかったといいます。
平面的な絵葉書を元に、奥行きを持たせる絵を描いていたのだそうです。
そういった彼の背景を最近まであまりよく知らなかったのですが、そういう目で見るとさらに奥行きのある風景に思えるんですよね。そして、コロー。空や水面、地面の光に心惹かれます。
コローの絵の中の森や教会に続く道に立って、風の香りや水の揺らぎ、雲の動きを感じてみた気分になったり。これがまさにSence Of Wonder の入り口かもしれません。
自然に関心を持つ。驚異を感じる。そんなしなやかな感性をいつまでも持っていたいものです。
そうそう、一番身近な自然といったら何だと思いますか?ペット、街路樹、庭先の小鳥、夕焼け、雷や夕立…。そう、たくさんありますよね。でも、私はこう思うんです。
私たち自身、だと。
人体は小宇宙などとも言います。
子供のころ、不思議でしようがありませんでした。
同じようなつくり、でも一人一人形も機能も少しずつ違う、それが親子であっても、双子であってさえも。そんなことを、親友と話していました。
体の内外もそうだし、内側つまり心の中で起こっていることはもっともっと複雑で、まさに宇宙のようにブラックホールや銀河や、太陽系があったり…そんな風に感じます。
人間って不思議ですよね。見えたり聞こえたり、嗅いだり触れたりするような物理的な刺激以外にも、ぴん!とくると言ってみたり、はっきりとした表現がなくてもキャッチできたり。いわゆる「察する」という一連の行為なんて不思議でたまりません。人の心の動きというか流れというか、これはまさに不思議の世界です。
人の心に触れる仕事に携わる私たちにとっては、これこそが Sence Of Wonder だと思うのです。
いっしょに感じる。関心を持つ。感動する。働きかけてみる。恩恵として受け取る。カウンセリングの現場では欠かせない感性です。
これは、カウンセラー側はもちろんですが、クライアントさんの感性がカウンセリング(セラピー)を成り立たせている、と思うことは少なくありません。一人一人の内側にある宇宙のような感性を、いつも感じていたいと思うのです。
 そう思ってみると、自分を中途半端だと思っていたことも、すばらしい才能のように思えます。
かじりさし、と言えばそうですが、関心の対象がたくさんあるという事は小さくても入り口がたくさんある、ということではないかな、と。
そんなふうに自分のことも思い直してみたりする今日この頃です。
中村ともみ

この記事を書いたカウンセラー

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