●Pastral Myth 〜伝えられてきたお話〜

何となく、相手の気持ちを感じたり察したりすることがありませんか?
私は子供のころから両親に「気配り」を教えられてきました。
思ってみれば父と母の教えてくれたことは少々異なるのです。
母は、「お茶」と言われる前にお茶を出す、といった類のことをよく私に言っていたように思います。
これがまた苦手で…母と台所に立つと、「あそこの棚の中からあれとあれを取って、そのお皿に並べて」…どの棚のどの段の、どの食品や調味料なのか、などということをゆめゆめ言ってはならないのです。
聞こうものなら「そんなことわからへんのっ」「もうよろしい」ということになり、修羅場を見ます(おおげさか)。でも、妹はとってもうまいんです、何を言っているのかを把握するのも、わからないときに聞き返すのも。うーん。末っ子の才能だ、なんて私は思うのです。
 妹とは年齢が離れています。
妹は私から見ると甘え上手です。
彼女自身はそう思っていないと思うのですが、長女の私から見るとずいぶん違います。
妹が母の「あれ」「それ」を感じるのがうまいのはこのことともしや関係があるのか?と考えてみました。
すると、甘えていいタイミング、ということにすごく上手に気づいているように感じました。
一方で私はほんまに甘えべた。
「甘える」という言葉は私の辞書にはない。
なんて言いはしませんでしたが、誰かに甘えたりおねだりをすることは本当に苦手でした。
なので、わかってくれない〜〜〜って気持ちになることも多かったな。これは今もかもしれません。まさに、「三つ子の魂百までも」です(笑)。そう、妹はタイミングもいいけれど、欲しい物についての表現が上手だったのかもしれません。どちらかというと弟もそうだったと思うんです。
一方で私は、ほしいものは自分で何とかするの、って言うタイプでした。
…今も、まだ、そう、かな。
 人は愛されるように生まれてきているな、と子供のころから思っていました。
と言うのは私の家族は私を筆頭に年子の弟、8年あいて妹そして両親なんですね。一番初めにやってきた私、性別の違う年子の弟、年の離れた妹。親はどの子もかわいいと思うんだけど、それぞれに何らかの「目新しさ」があるな、と子供の時代の私は思っていたのかも知れません。
長女の私はお腹の中にいる時には「チユー太郎」と呼ばれていました、覚えているわけじゃないけど。子年生まれだからです。
(計算しないでね〜。)私が生まれて女の子だったことに両親はどう思ったのか、、、がっかりしたのかなあ?という思いもあったのですが、母によるとこんなエピソードがあります。
 私が生まれた当時にはネズミが天井裏を走っていることがあたりまえでした。
ある朝起きてみると赤ん坊の私の指先が血で滲んでいたそうなんです。
赤ん坊っておっぱいの匂いがしますからね、ネズミはきっとそそられたんでしょうね。父は激怒し、ねずみ捕りの罠をしかけました。
かかったネズミの指先?をはさみでちょん、、、そして水攻めにしたのだそうです。
「うちの大事な娘をよくも齧ったな!!」と。残酷ではあるのですが、父が私をどんなにかわいがっていたかを子供心に感じざるを得ないエピソードです。
 確かに父は子煩悩、と言われるタイプの人だったけど、この話にはさすがの私も降参でした。
笑っちゃいますよね。
 母はこんな風に、父と私たちとの間をつないでくれていたんだな、と思います。
頑固でワンマンなくそ親父、だけにならないでいたのはこんなことがあったのも要因だと思うんです。
それに父にはお茶目でかわいいところがたくさんありましたし。
 一方で父が教えてくれた気配り、というのはこんな感じです。
 「洗面所やトイレにいって、汚れていたら黙って片付ける。次の人が気分良く使えるように、と。まあ、自分の手くらいは洗えば良いんやから。」
 それともう一つは、「気難しい、人が煙たがる人に近づいていくんや。なかなか勉強になるで。」ということ。つまり、心理学的にいえばシャドーを統合する、ということになります。
うーん。今思い出しても味わい深いものがあるなあ、と思うんですよね。実際父は実行していたようです。
また父自身、仕事はできるけどワンマンで頑固で、時には厳しいことを言う人でしたから、煙たがっている人もいたかもしれません。
 こんな両親のもとに生まれ育った私、現在にいたります。
 「三つ子の魂百までも」「親の背中を見て育つ」 …なんて趣のある言葉なんだ(笑)。
 自分のしていること、問題、変えたいこと、ネガティブなことばかりじゃなく、何かのときに思い出すことがあるのです。
自分がここにいること、誰が何をしてくれたのか、どんな愛情を受け取っている(きた)のか。年のせいなのか?仕事のせいなのか、振り返ることも多くなってきました。
 息子たちに私は何を伝えられているだろう。息子たちは何を感じているんだろう。
 時にはそう思います。
話をする機会も時間もすっかり少なくなりましたが、彼らの核にある思いは時々話してくれます。
目の高さが「親らしく」ないというのは自覚しているのですが(物理的にも、ですね。笑。)、ちょっと(だいぶ)年上の友達という感覚もありながら、でもやっぱり権威も使います。
ミドルティーンの彼らは、私から見るとまったく理解に苦しむことが少なくないのですが、おそらく逆もまた真なり、ということなのでしょうね。ありきたりというよりこんな家族もいるのか、というタイプかもしれないけど。
 父や母にもらったものを私なりに子供たちやいろんな人に伝えていけたら、また新しい芽が出るんじゃないかなって思うんです。
そしてつながって大地を埋めていく…これがいろんな所から始まって地球を覆っていく…なんてことを考えるんです。
人って生まれてきた意味を一人一人持っているんですよね。
中村ともみ

この記事を書いたカウンセラー

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