●あるがまま

カウンセラー仲間の源河が無事出産をし、私達夫婦は生まれてほやほやの10日目の赤ちゃんに会いに行ってきました。
私には8歳年下の妹がいるので、妹の赤ちゃんの頃をよく記憶している方ですが、実際に生まれたての赤ちゃんを目の前にすると、「ち、ちっちゃい・・・。」とこんなにも赤ちゃんって小さかったのかと驚きました。
そしてジタバタと動いたり、色んな表情をする赤ちゃんの顔に時間も忘れて見入ってしまいました。
私達がいた1時間半位の間に、おっぱいを飲んだり、おむつをかえてもらったり、泣いたりと、赤ちゃんもお母さんも大忙しでした。
でもその横で見ている私達は、とっても安らいだ気分でした。
赤ちゃんを見ていると何故かとっても平和で、穏やかな気分になりました。
赤ちゃんはただ、一生懸命自然の摂理に従って過ごしているのですが、それを傍で見ている者はこんなにも癒されるんだ・・。と久しぶりに思い出しました。
何の恐れもなく、ただあるがまま、無邪気に生きている赤ちゃんからたくさん教えられるものがあるような気がしました。
私が高校生になった頃でしょうか。その頃私は将来何か特別なことをしなくては、という思いがありました。
平凡に会社で働いて、結婚をして、子供を産んで・・。そんな一生に一体どんな意味があるのか?そんなんで幸せを感じられるのか?と、生意気にも思っていたんです。
私は平凡では終わらない。なにか特別な、人とは違ったことをして生きていきたい。そうでなくては、幸せを感じられないのではないか?そんな気持ちがずっとその後も、何処かにあったような気がします。
今では仕事柄、私と同じように感じている方のお話をよく聞かせてもらいます。
OLの方、サラリーマン、主婦の方・・・。多くの方がもっとがんばらなくては、もっと自分の能力を高めなくては、もっと特別な存在にならなくてはと感じていらっしゃるように感じます。
私もかつてそうだったので、その気持ちはよくわかる気がします。
そしてその気持ちの下には、もっとがんばって評価されれば、特別になればもっと人から好かれるかもしれない。もっと人から愛されるのかもしれない。もっと毎日充実感を感じられるかもしれない。そんな叫びがそこにあるように感じます。
でも誤解を恐れずに言うなら、今の私は思うんです。
特別さが自分を幸せにするものではないんだと。
もし自分が人とは違う特別さがあったとします。
社会的地位とか、能力とか・・。それはそれで素晴らしい事だと思います。
でもそれと同時にこんな恐れがあったとしたら・・。
この地位を失ったら、誰も振り向いてくれなくなるんじゃないか?とか、私にこの能力があるから人がついてきてくれるんだとか。
そしてその為に何かを我慢したり、本当の自分自身とかけ離れてしまっているとしたら、人生がとてもしんどく、辛いものになってしまうかもしれません。
あるテレビ番組で放映されていた、海外の質素に自給自足で生活している村の人の言葉が、私の心に残りました。
「人間は、毎日の生活を一生懸命して、子供を産んで育てて、それだけで十分幸せな人生なんだと。」
ある意味本当にそうかもしれないと思いました。
最近私が思うのは、何もドラマティックな人生ではなくても、日々の生活でどれ位自分が幸せを感じられるか?これに尽きるように思います。
今与えられている自分の環境で如何に楽しむか?楽しめるか?それは自分次第だと思うんです。
そう考えると今の環境が自分の望んだベストの状況ではなくても、まだその途中だとしても、楽しみや充実感を見出すことは可能だと思います。
今出来る事、したい事、逆にしなければならない事、それすら楽しんでできるとしたら
平凡な毎日でも十分幸せを感じることができるんですね。
そのコツの一つが、「あるがまま」だと思います。
「あるがまま」ってどんな状態?
というと、私の解釈は自分らしさだと思います。
自分らしさって?
これは最近よくカウンセリングの場でもお伝えしていますが、自分の嫌な所も好きな所も、何もかも全部です。
自分の気持ち・感情、考え方、立ち居振る舞い、行動パターンetc・・・。
それを全部自分が許して受け止めてあげられたとしたら、とても楽になります。
好きな所はさらに好きになってあげるとして、嫌いな所、頭ではわかってるんだけどできない事は、「こんな風になりたいなぁ」と目標に変えてあげるといいと思うんです。
自分らしくいられる時、私はとても心地良いです。
私が心地良くいられる時、きっと周りの人も心地良いんじゃないかなと思います。
安心しきって何もかもを委ねられている赤ちゃんのようになるには、私もまだまだですが、そんな風になりたいなと赤ちゃんを見ていてつくづく思いました。
根本理加

この記事を書いたカウンセラー

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