【癒着】を手放して、私の人生を生きる

あなたは、【癒着】という言葉をきいたことがあるでしょうか?

一般的に【癒着】は、病気で臓器がくっついている状態や、企業間の悪いイメージで使われていることをイメージされると思います。

心理学的には【癒着】は、【母子癒着】と耳にすることが多いかもしれませんね。
自分と誰かの境目が分からなくなってしまい。相手の感じている感情を自分のものと感じてしまったり、相手を一人の人間として扱えず、自分のように扱ってしまうなどの、接着剤でピッタリとくっついてしまった状態のことを指します。

【癒着】のあるところでは、自分の気持ちや生き方がわからなくなることがあるので、生きずらさを感じてしまうことも少なくありません。

今日は、私が子供との癒着を剝がして、私や子供達が自分らしく自分の人生を生き始めた、体験を交えて、【癒着】を手放して、あなたの人生を前に進ませるヒントにしていただければと思います。

私は結婚して30数年になります。忙しい日々を送っていて、何も問題がないと思っていた20数年前、夫の浮気が分かりました。

私は2人目の子供を出産して2週間ほどたった頃でした。

女性してはもちろんのこと、人間としても否定されたように感じて、夫に怒りをぶつけていました。
なじるような暴言はもちろんのこと、手や足も出しました。食器も空中を飛びました。
そして、元々自己肯定感が低い私は、ますます自信をなくし、絶望的な気持ちになり、鬱状態になっていきました。

絶望的な、真っ暗闇の中での唯一の光は、産まれたばかりの息子と、小学校一年生の娘を育てることでした。
息子のオムツを取り替える。ミルクを飲ませる。着替えさせる。お風呂に入れる。
息子が生き延びるための、身の回りのお世話をすることが、私の生きる全てでした。

相変わらず家に帰ってこない夫に対して、私は、息子と娘をパパである夫に近づけさせないえぐい復讐を始めました。
子供達の世話は、全て私一人でやりました。
娘の小学校の行事。息子の保育園の送迎や行事等、全て夫には手を出させないようにしてしまいました。

そして私達夫婦は、必要最小限以外は口をきかない冷たい夫婦となり、夫は【同居人】となり、私と2人の子供達はピッタリとくっついて【癒着】してしまいました。

娘は、母親である私を、いつも心配し、家事のお手伝いもやってくれて、勉強もよくできて、お友達も多い、『いい子』をずっとしてくれました。
その無理がたたったのか?過敏性大腸炎や強迫観念をもつようになってしまいました。
息子は、小学校に上がる頃には「僕はママを助けるためにここに来たんだ。ママが欲しいものは僕が大人になったら全部買ってあげる」と言い出すほどでした。
時には「ママが心配で学校にいけない」と言ったこともありました。

やがて子供達も成長し、息子が中学2年生の頃です。
学校にいけない日がポロポロと出始め、不登校になりました。
大学卒業後は就職活動もできず、企業への就職もできませんでした

その頃の私は、生物学的には生きていても、生きている実感がない状態で精神的においつめられていました。

そんな時、カウンセリングを受け始め、その後【神戸メンタルサービス】のカウンセラー養成コースの受講生になり、家族が変わりたい一心で本格的に心理学を学び始めました。

ある日、神戸メンタルサービスのヒーリングワークという癒しの実習に参加していた時のことです。
たくさんの方達の話を聞いていた私は、突然「もしかしたら夫も苦しかったのかもしれない」と夫を理解する思考が働いたのです。
それまでの私は、「夫が悪い。私は夫に苦しめられた。悪い夫に変わってもらいたい。」と夫を責める気持ちばかりで、何故、夫は浮気をしたのか?とか、夫の気持ちに寄り添う思考は全くありませんでした。
でもこの日は何故か「夫も苦しかったのかもしれないなぁ」との気持ちがわいたのです。
それから、夫の気持ちになって、夫の言動を考えるようになりました。

そして思い浮かんだのが、夫のお母さんです。夫のお母さんは躾の厳しい人で、夫は子供の頃からお母さんに注意されるばかりで、信頼してもらえず、兄弟と比べられて、母親に愛されているのかわからない寂しさを持っている人だったことを思い出しました。
「どんな自分も愛してもらいたい」と、真実の愛を自分に傾けてくれる人を探している人なのかもしれないなぁと思い始めました。

本来ならば、私と結婚して、夫は私から真実の愛をもらえるはずだったと思います。
でも私は子育てや、家事に忙しく、夫のことを思いやる心がありませんでした。

ある時は、会社の愚痴をこぼしてきた夫に対して、「大人なんだからさ。自分で頑張ってよ!自分で何とかしてよ!」と、労わりの言葉一つもかけることができない、厳しいばかりで、優しくない妻でした。
職場での夫の苦しみを、夫婦として共に感じ、共に乗り越えるということは全く出来ていなかったのです。

【温かい家族に変わりたい】と心理学を学んでいた私は、ある日、意を決して、夫に話しかけました。
「ねえねえ、私さ、ヒーリングワークに参加していたら、パパも苦しかったのかな?と思うようになったのよ。私はパパの気持ちを全然わかってなくてごめんなさい。これからは、一生パパの気持ちを理解し続けていくからね」と恥ずかしかったのですが、一生懸命伝えました。
夫から「今更なんだよ!」と拒絶されるかとおもいましたが、「ゆうこさんありがとう」と目にうっすらと涙を浮かべて言ってくれました。

それからの私達夫婦は、我慢することをやめて、ネガティブな気持ちになった時は、「あの時は悲しかった」とか「あの時は寂しかった」と言葉でコミュニケーションをとることを心掛けていきました。

そうやって、コツコツと数年かけて、私達夫婦の関係性がよくなった頃、娘は今のダンナさんとの出会いがあり、結婚していきました。

一方、息子は相変わらず家にいて、時々アルバイトをする程度の状態でした。
「母ちゃんごめんなさい。働けない俺は生きている価値がありません。いっそいなくなったほうがいいです」と私の目の前で泣き崩れることもありました。私は、「そんな事を言わないで!働けないなんてなんてことない。生きててほしい。生きててほしい。と息子を抱きしめたこともありました。

実は私は、息子がまだ4.5歳の頃、夫が家に帰ってこないイライラを感情的に息子にぶつけていました。
大きな声で怒鳴りつけ、手や足で息子の体を叩いていました。
私は、息子が引きこもりになったのは、それが原因なのだろうと思い、猛烈に自分を責めていました。
そしてその罪滅ぼしをするかのように、息子が欲しい物は全て買い与え、やりたいことは全て叶えてあげてしまっていました。
その結果、私と息子の癒着は、増々強くなっていったのです。

でも、ふと「息子はもう二十歳をすぎた大人なのだから、母親の私がここまで息子の世話を焼くのはおかしいんじゃないかな?」と思う瞬間がでてきたのです。

そして、過去に息子に対して感情的になってしまった罪悪感があるからこそ、青年となった息子には「自分自身の人生を歩んでほしい。幸せになってほしい」と切実に願うようになっていったのです。

そして、まずは、日常生活の言葉かけから変えていきました。
「○○ちゃん」と子供扱いの呼びかけをやめたり、息子のやりたいことを先回りして私が準備するのではなく、息子が「母ちゃん○○お願いします」と、私に依頼してきたら、その準備をするようにするとか、具体的に変えていきました。
又、息子に対してどこか遠慮があって言いたいことが言えなかった私でしたが、「もう大人なのだから、伝えます」と、我家の経済状況なども伝えるようにしていき、息子を一人の青年として扱うように心掛けていきました。

そしてそれは、私が心理学の勉強会に参加し【癒着剝がし】の勉強をした後の出来事です。
突然、私のイメージの中で息子が「母ちゃん、バイバイ。オレ行くわ」と私に背中を向けて歩き出した光景が、私の頭の中で思い浮かんだのです。
イメージの中で私は「いかないで~」と息子の足にすがりついていました。

その時私は、「息子がひきこもりで困ったな~」と長い間思っていたけれど、息子に癒着していたのは、私だったのだな。と実感しました。
それは20数年前、夫の浮気が分かった時に、私が生きるために必要なすべでした。

でも、夫の浮気を乗り越え、夫婦関係が良くなった今では、もう必要のないすべなんだな。と、私が府に落とすことができたのです。

不思議なことに、このイメージを感じた2か月後、息子は寮のある仕事が決まり、家を出ていき、あっけなく自立していきました。

最後に【癒着】を手放すために、私なりのメソッドをあげてみました。
① 「誰かとの関係性で、この関係性はなんか変だな?」と違和感に気づく。
② 癒着した原因をさがす。(私→夫の浮気により自分自身の無価値観から不安が大きくなった。それで息子を育てることに執着した)
③ その癒着は、今も必要なのか?立ち止まって考える。
④ もう必要のないものなら手放す。(イメージを使うのもお勧めです)

長年にわたり自分自身にしみ込んだものです。
一度にスパッとは変われないかもしれません。
でも、よかったらカウンセリングを利用しながら、一歩一歩、前に進めていかれるといいですね。
あなたがご自分の人生を生きられることを応援しています。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

夫婦関係、ひきこもりの子供との関係など、重ねてきた年齢相応の幅広いジャンルを得意とする。圧倒的な受容力をいかしたカウンセリングが好評。お客様から『温泉のように温かい』『安心感がある』大きな懐で包み込んでもらうような包容力があり、価値を見る応援の力が大きい』と定評である。