人を育てる人が考えて欲しい事

カウンセリングを通して、あるいは社会生活を通して多くの方々と接しますが、お話をしていて感じる事は、根っこにある価値観は「よい」「悪い」という場合がとても多いように思います。
この世に生まれた頃、私たちは「よい」も「悪い」も関係なく、その概念すらなく生きてきました。その代わりにあったのが、「快」「不快」という感覚です。
お腹がすけば不快になって泣く、体の具合が悪いと不快で泣く、何か面白いと感じると快になって笑う、といった感じでしょうか。
私たちは感じるままに生きていたわけです。
ところが、ある時から躾が始まり、社会で生きるためのすべを身につけさせられます。
多くの人が、この躾の体験の中で、同時に「よい」「悪い」という思想を学びます。
「そんな事したら怖いおじさんに怒られるよ」とか「おまわりさんが来るよ」とか、
「よい」「悪い」が「罰」と結びついて人間社会という型にはめ込まれていくのですね。
子供の頃の理解力を考えると、これはこれで意味があるし、重要な事ではないかと思います。
しかし、大人になった今でも、その価値観に大きく左右されてしまっているとしたら、それは大きな問題ではないか、と思います。
なぜならば、多くの物事を「よい」「悪い」というフィルターを通してしか見られなくなってしまうからです。そしてそのフィルターを通して見る事により、自分自身ですら「よい」「悪い」の価値観の世界に閉じ込めてしまうのです。
私は、多くの人達は“善”や“愛”の心に基づいて生きていると思います。
例えば、「もっと人に優しくしたい」と考えている人が「人に優しくできない」という問題を抱えます。「人の役にたちたい」と思っている人が「人の役にたっていない」と悩みます。
「もっとテキパキと仕事をしたい」と思う人が「仕事ができない」と思います。
これらは、「人に優しくできない事は悪い」「人に優しくできる事はよい」「人の役にたたない事は悪い」「人の役にたつことはよい」といった価値観を反映しており、また、その価値観を以って自分を、そして人を裁いているにほかなりません。
確かに、人には様々な感情があり、事情があって、うまく自分を評価できない場合には、人に迷惑を及ぼす行動や態度をとったりもします。
しかし、「人から嫌われたい」と思って生きている人がいるのでしょうか。
そこには、上手くいかない事や自分自身を責めていて、そこから逃れたいという思いや、「自分は悪い奴だ」という自己概念(自分の感じている自分の姿)を実現すべく行動してしまう深層心理が隠れている事がとても多いのです。
企業を始めとする集団のマネージャーや学校の先生、更に親など人を育てる役割を担った人には、ぜひ「善」や「愛」をもつた姿が人間の本質であるという目で見てほしいと思います。
どんな人にも心の事情があり、その本質を信じられなかったり、本質に背いてしまう言動をとる事もあるでしょう。特に心の痛みが激しい状況では、とても「善」とか「愛」とかは信じられません。
だからこそ、誰かがその人の「善」や「愛」を信じてあげる必要があるのではないでしょうか。

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この記事を書いたカウンセラー

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恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。