師も走る~~年の瀬に思う~~

 師走です。「師」も走る慌ただしい月、とされていますが、私にとっては、
あっという間に年を越した実感が、ふつふつとわく季節でもあります。
 4年前までは、学校現場の事務を執っていたので、この季節は職員の年末
調整事務や、3月の年度末に向けての準備などが、経常の仕事に加えてあっ
たよなぁ、と思い起こしています。


 どんなお仕事でもそうだと思うのですが、「現場は生き物」ですから、ほ
んの少しでも間が開くと、まさに「浦島太郎」の気分。
 変化がそんなにあるようには思えなかった事務仕事も、実際のところは、
上級官庁(学校ですから、文部科学省ですね)からの下達があるたびに、ま
た社会保険制度などの変更や、毎年何かしらの改訂がある職員の給与にして
も、そう少なくない事務量でアップアップしていたことを、思い出します。
 そういえば今年は政権が変わったための改定が多そうです。教員の給与の
国庫負担率が変わる・・・とあったので、教員自身が受け取る給料の額自体
にそう変化は無くても、教育委員会や学校事務の現場は、こりゃ事務量が多
そうやな・・・と思いつつ。もと同僚たちの健康を思ってしまいます。
 こんな風に、自分のなじんだところから社会全体、もしくはごく一部にし
てもその空気の流れ具合の変化を感じているのは、私だけではないだろう
な、と思います。
 社会人として生きていくとき、個人の事情や状況、家庭や地域、そして勤
務先での自身のあり方・・・といろんなことに折り合いをつけて生きてかな
ければならなくなります。
 それまで育ってきた環境との、ある意味での訣別をも余儀なくされるほど
の想いを持つことも、時にはあるかもしれません。
 半年ほど前に49歳になりました。もう半世紀も生きているとはとても思
えない傍若無人ぶり?の私ですが、この身上に起こったことは紛れもなく、
49年分の汗と涙と、埃と・・・そしていくばくかの誇り。
 そんな風に思います。
 二十歳すぎの頃の私は、いろんなバイトをしていました。主に事務仕事だ
ったのですが、親戚の飲食店を手伝ったり、イベント系の販売もしたことも
あります。
 事務といっても官公庁がメインでしたが、仕事の無い時には運送屋さんの
内勤事務をしたことがあり、ここでは酷い評価を受けていました。
 それは、お歳暮の配送のための仕分けなのですが、お届け先が転居されて
いたりしたときに再度調べなおしをすることがありました。役所で仕事をし
慣れていた私は、徹底的に調べようとします。役所ではそれが重要だからな
のですが、その現場の人から見れば、それはどうやら迷惑だったのです。
 役所でしていたことといえば、居住地の変更があった場合の台帳修正であ
ったり、この時期だと確定申告書や市県民税の申告書の送付準備のため、正
確を期すわけです。また、日付も重要な意味を持ちます。
 ところが配送の現場で同じことをしても、これは受け容れられはしないの
です。要は、正確さも大切ですが、迅速さであったり、送る側の想いの鮮度
なども大切、ということでしょうか。
 
 そんなことは、作業の手順さえ見よう見まねの現場ですから、なかなか理
解はできません。増してや一ヶ月あまりの期限付きの職場だったので、そん
な「奥義」に達するにはいたらず・・・。
 まぁ、一緒に働いていた人たちにとっては、私がなぜそこまで追求して調
べるのかが、たぶん解らなかったということも同時に起こっていた、とも、
今にして思いますが。
 かくして、その年の年末、そんな想いと引き換えに手に入れたものは、当
時2世代目が発売されていた、ソニー社のウォークマンの赤い物。いたくお
気に入りで、壊れるまで毎日使っていて、それはそれで親に、「何耳栓して
るの!」と叱責されたこと数知れずだったのですけど・・・。
 多いときには3つバイトを掛け持ちしていましたが、そのバイト料の殆ど
を、音楽と本に費やしていたことを、この季節には懐かしく想い出します。
言ってみれば、その頃の財産で、今の自分ができているようなもの、かな。
 さて、「現場は生き物」と書きました。
 個々の現場自体も、呼吸をするように、あるいは血液が身体を循環するよ
うに、新しいものを取り入れては不要なものを落としていきます。
 細胞が新陳代謝により身体の恒常性を維持しているのと同じで(ホメオス
タシス)、その現場なりの状態を保つには、新しいものをうまく取り入れ、
時にはそれまで培ってきたやり方を手放す必要もあるでしょう。
 ただそれは、廃れると言うことではなく、再生、あたらしく生まれ行くた
めの礎であることを、時々私たちは忘れてしまいます。
 かつてのやり方を、ただもう古い、現状に合わないから、と破り捨てるの
ではなく、そのことが存在したからこそ、次の世代への引継ぎが行われるこ
との意義がある、と思います。
 時代はどんどん成長していきます。私たち自身(と言う個体)は成長をい
つか、「老化」と言う表現で受け容れなければなりません。
 今あるすべてのことには、その土台となった何かがあり、そこから生まれ
た変化や変遷が、あたらしい「現場」「現状」を成していく。
 その姿を見守りながら、自らも決して廃れるのではなく、自分自身の在り
方をも守っていく。
 私たちの年代に求められているものがあるとすれば、そういうことなんだ
ろうな、と思います。
 新しいやり方で進んでいく時代を、その土台を築いた世代から見れば、も
どかしく歯がゆく思うことも少なくないはず。でもそこには必ず、それより
も前の時代の先人たちの、汗や涙や、埃も必ずあるはず。
 誇りを持ちましょう、それぞれの世代なりに。「今・ここ」の自分がいる
位置なりに。
 私たちの世代に、真に望まれていることは、自分たちが引き継いできたり
守ってきたり、築いてきたこと自体の素晴らしさを固持し続けることより、
もしかしたら、その内側に流れている大きな流れ・・・魂(Spirit)
というべきようなものではないのだろうか。
 そんな風にも思います。
 街では、若かった頃の私が闊歩していたのと同じように、パーソナルな音
楽を持ち歩く人たちが、「ジングルベル」の音符をくぐって歩いています。
 変えようとしなくても、変わっていくものは変わっていく。
 残そうとしなくても、残るものは残ります。
 ただ変わらないのは、師走の持つあの独特の、慌ただしい街の空気と煌め
き。そこに人々が何を求めているのか、などと考えている、この私。
 自分自身が社会の流れに流されないように頑張っていた、あの頃の頑なな
私はもういませんが(たぶん・・・)、その心持ちがそれでも変わらずある
ことは、誰よりも私自身が知っています。
 あの若い日の苦い想いもまた、私の細胞のひとつのように感じます。そし
て、生き続けるものは残り、淘汰されるものは消えてゆきます。でも、淘汰
はそのまま消えてなくなることではなく、「何か」を必ず残しているように
私には思えます。
 「今ここ」の自分を成す細胞の、組織の中に脈々と生き続けている。
 日々の暮らしにそんなことを感じることも、そう感じる自分の心も、大切
にしていきたいと、切に願う今日この頃です。
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