介護生活の必需品2 【自分への対応編】~少しでも、楽になる為に~

難病で2年半の闘病をし、最後の一年間はほぼベッド上での生活だった母の介
護の経験から、少しでも大変さを軽減する為に、必要だと思った事をお伝えし
ようと思います。今回は自分への対応の仕方です。
両親の機嫌を取る事も大変でしたが、それ以上に自分の機嫌を取る事は至難の
業でした。先の見えない不安や、自由に行動する事のできない苛立ち、やらな
ければならない事の多さや、できない事への自責の気持ち。いろいろな思いに
押しつぶされそうになりました。その中で、少しでも楽になる方法をいくつか
提案いたしますね。


〔その日を生きる〕
先の見通しを立てる事は大切ですが、もう、今日が大変で、未来はもっともっ
と大変になるんじゃないかと思うと、今持たなくていい荷物が重くて、今日も
持ちきれなくなります。叔母が母が治りにくい病だと知った時、「一日一日を
大切にしましょう」と言ったのを思い出して、その日、その時を生活する事だ
けを考えるようにしました。その日をとりあえず過ごす事ができれば、明日を
迎える事もできるのですから。明日の荷物は明日持てばいいのです。
〔できることしかできない〕
あれもやらなきゃ、これもやらなきゃとやらなければならない事に追いかけら
れ、けれど、時間的にも体力、気力的にも限界があり、できない事で自分を責
めているうちに、体が動かなくなってしまった事がありました。やらなければ
ならない事がうず高くそびえたち、いったい何から、手をつけたらいいのだろ
うという感じでした。もう、お手上げ。
がんばれば、できるかもしれないけど、私にはできないという気持ちでした。
けれど、そうしているうちに、ああ、所詮、できることしかできないんだなあ
という事に思い至りました。
がんばれば、何でもできると言われて来た私たちは、限界とか気持ちとかを無
視して、なんでもやらなければと考えてしまいます。できないのは努力が足り
ない自分が悪いのだと。でも、できない、やりたくないという気持ちも、状況
によっては、許されていいのかもしれません。
できることしかできないのだから、できない事はできなくてもいいので、でき
ることだけやろうと思いました。すると、なんとなく気が楽になって、いくつ
かできそうな事が思い浮かび、動く事ができました。そして、まだ、できるこ
とがあったんだなあという事に気がつきました。それからは、できない事やや
りたくない事は仕方がないと思うようにしてしまいました。
〔「まっ、いいか!」と声に出して言う〕
不安や不満などいろいろな思いで、頭の中がぐるぐるして、気分が重くなる時
は、「まっ、いいか!」と声に出して言ってみました。辛い思いはいつも心の
中にあるので、それに飲み込まれてしまうと、出られなくなります。
「まっ、いいか!」と言う事で、それらの思いを断ち切り、今、している事に
目を向ける事ができました。
〔生活の中に楽しい事を取り入れる〕
一日、一つとか二つ、ちょっと、わくわくする事を取り入れるようにしました。
たとえば、今日はおいしい朝食を食べようとか、夕食は好物にしようと思って、
楽しみにしたりしました。朝食は普通のジャム付きパンと紅茶なんですが、思
うだけでも、少しばかり楽しくなれました。
好きなテレビ番組やDVDを見たり、音楽を聞いたり、散歩をしたり、歌を歌った
り。おかしかった事を思い出すのもいいかも知れません。思い出し笑いの時間
だけでも、気分が変わります。
大変な時でも、少しぐらい楽しんだっていいんだとか、明日がどんな日だとし
ても、今日は楽しく過ごそうと自分に言い聞かせていたりしました。
〔自分の気持ちを受け入れる〕
実は、一番私を励ました言葉は介護を経験した友人の「ほんとの事を言うと、
逃げ出したかった」というものでした。
親は大切ですが、やはり、生身の人間だと、できれば、介護は勘弁願いたいと
いうのが本音です。逃げる事はできませんが、「辛いなあ」とか「逃げ出したい」
と思ってもいいんだという事が救いになりました。そういう思いを禁止して、
自分を責めてしまったら、辛さはもっと大きくなっていたと思います。
辛さを感じる事で、もう少し楽に切り抜けるには、どうしたらいいだろうと
やり方を工夫する事もできます。
どんな自分の感情も持ってはいけないものはありません。そう思わないように
するよりは、認めてしまった方が、楽になる場合もあるのではないでしょうか。
私の場合、自分の少しおかしな行動も受け入れていました。
それは、頻繁に石鹸で手を洗ってしまう事でした。食事の支度の途中は特に多
くなり、食事に関するもの以外にさわっては、いちいち石鹸で手を洗っていま
した。自分でもおかしいのではないかと思っていましたが、それほど、時間が
かかるわけではなく、清潔を保てますし、幸い手の皮が丈夫で手荒れも起こさ
なかったので、放置していました。石鹸はあっという間に小さくなりましたが。
今、思うと介護の苛立ちを手を洗う事で、表現し、発散していたようです。
たぶん、そこにしか、ぶつける事ができなかったのでしょう。手を洗う事で、
さまざまな感情を洗い流し、バランスを取っていたのかも知れません。
〔自分を労い、褒める〕
私の場合、介護保険制度は活用していましたし、父が主に介護をしていたので、
必要な事では外出もでき、全部、一人でやる必要もなく、たぶん、楽な方では
なかったのではないかと思っていました。けれど、その思いもまた、自分を苦
しめていたようです。
他の人はもっと大変なんだから、できて当たり前だし、もっと、辛い思いをし
ている人もいるんだから、辛いと思っては申し訳ないのではないかと思ってい
ました。こんな事はやって当然で、たいした事ではないんだから、とも思って
いました。辛い思いを認めようとはしていたのですが、十分ではなかったよう
です。
そんな思いが、知らない間に自分を責めたり、無理をする事につながったのか
もしれません。最後の方では、訪問看護士さんやヘルパーさんなど家に来る人
に会う事が苦痛になっていました。自分でお願いしていた知り合いの鍼灸師さ
んにさえ、顔を見せる事ができませんでした。
疲れもあったのかもしれませんが、どこかで、がんばらなくちゃと気を張り、
自分に対するケアはしていなかったのかもしれません。もっと、自分のやって
いる事を認め、労い、褒める事も必要だったのではないかと思います。
「私はけっこうがんばっているし、やっているじゃん。えらいよね」
と自分に言っていてもよかったのかもしれません。どんな小さな事であれ、人
の役に立っていた事は確かですから。
介護生活において、いくつかの楽になるコツをご紹介いたしました。まだ、介
護の環境が整っていない現在、介護をする方もされる方も負担を強いられてい
る事は否定できません。これらの方法で改善できる事は少ないかもしれません
が、今日の小さな「楽」が明日を迎える手立てになる事を願っています。
介護する人の人生も、される人の人生も大切にできるといいですね。
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