理不尽さの原点 ~~絵本「あんじゅとずしおう」の思い出~~

 昔から、絵を見ることがとても大好きでした。
 特に風景画、そして絵本や挿絵。その世界にいつも、私は入って遊んでい
るような、子供でした。
 その中にすっぽりはまり込み、カンバスの向こうの世界の住人になったよ
うな気持ちになっていた、幼いころ。
 
 今だって私は、そんな気分にすぐなれるのですけど(笑)。
 私の中にある、絵に関する一番古い記憶は、一緒に住んでいた二人の大お
ばのうち、先に亡くなったおばあちゃんの持ち物だった、川岸に繋留された
何艘かの古びた渡船を描いたもの。
 もう、40年以上も前の記憶なので、古かった絵そのもの以上に私の記憶
も褪せていて、そのことが更に想像を呼ぶのですが・・・今はもう、どこに
あるのか、・・・誰かが捨てたのか、そのこと自体も定かではありません。
 小さな額縁に入っていた絵は、誰かの直の筆によるものだったのか、多分
そうではなかった気がします。
 鴨居にかけてあるその絵をいつも見上げ、よく見入っていた様に思います。
 時に、渡船に揺られている気分になったり、また、あたかも岸から離れん
とする様に感じて不安な想いになったり、と文字通り、絵の世界に入り浸っ
ていたなぁ・・・。
今思うと、幼児が心を惹かれる様な、美しい色合いでも景色でもなかった
のですが、とにかく、どこが良いのか解らないまま、日常生活の一こまに
なっていた様に思います。
 古びた絵でそうなんですから、子供向け絵本に書き直された文学作品なん
かを読むと、結構大変でした。
 一番記憶にあるのは、森鴎外の「山椒大夫」。
 絵本のタイトルは「あんじゅとずしおう」となっていました。何度も何度
も読んだので、綴じ目がほつれたり、角っこが丸くなったりしていた記憶が
あります。
 姉の安寿の行く末に、子供ながらに理不尽さを覚え、絵の中の、閻魔大王
のような風貌の山椒大夫を憎みました。
 そして、二人の母が歌っていた歌が(「安寿恋しやほうやれほ、厨子王恋
しやほうやれほ」と言うのです)、あまりにも哀しく胸に残っていて、こう
して思い出しても涙が出るくらいです。
 安寿の母や安寿自身の不幸は、私の心の中に、理不尽な差別として刻まれ
ました。
 そのあらすじは、親子それぞれに離されて売られ、奴隷として苦労をする
のですが、姉である安寿は弟・厨子王を逃がし、そのために山椒大夫の息子
に惨殺されてしまうのですが、目を病んだ母が、二人の子供を慕う歌を歌い
ながら、物乞いなどをしているところへ、出世して山椒大夫を懲らしめた息
子・厨子王に見つけられ救われる、と言うものです。
 安寿がすでに亡くなっていることを知り、母親は泣きますが、体を張って
弟を助けたのにそれだけかよ~~~と思ったような気が・・・します。
 そうです、憎いのは山椒大夫ではなく、作者の鴎外・・・?しかし。この
話自体、伝承を基にされているそうですからね。鴎外一人のせいにしちゃ、
いけませんね。
 その舞台は丹後の国、今の京都府北部。伊根のゆったりとした港の近くを
ドライブしたことがあるのですが、そういえばおばあちゃんの舟の絵をどこ
か思わせる佇まいでした。
 家にあった、おばあちゃんの古い絵にはどこか、山椒太夫の景色を重ねて
いたのだ、と今書きながら思っているのですが、あのお話がどうしてこんな
にも、私の心に刻まれているのか。
 せっかくですから、私なりの考察を重ねてみることにしますと・・・。
 私は三人きょうだいの長女、年子の弟と9歳下の妹。あの頃にはまだ妹は
生まれてなく、両親、二人の大おば、私たち姉弟と言う家族構成でした。
 当時の私はまだ、3歳の頃に負った傷のために、左の足に補装具をつけて
いた頃です。今思うと、結構きつくって、重くって、フェルトの内張りがあ
りましたが、当たるところがいつも同じなのでそれが痛く、随分窮屈な思い
をしていました。
 結果論ですが、それでもそのお陰と何度かの手術と、誰より厳しく、そし
て愛情を以ってリハビリに付き合ってくれた母のおかげで、今はほぼ遜色な
い生活が出来ているのですが、外に出る機会はおそらく少なかったので、絵
の世界・本の世界になじんだ子供時代をすごしたのかもしれません。
 つまり、どんなにネガティブな出来事も、ネガティブな結果しか起こりえ
ないわけではない、と、体ごと人生ごと、証明しているようなものかも、な
どと、お気楽に思える様になるには、随分と成長する必要が・・・特に、年
齢的に、ですね・・・あったのですが。
 
 話を戻しますと、自分の身に起こった出来事が、どんなことなのかをはっ
きり認識できていなかったであろう年代ですから、たとえば、その歳なりに
・・・3歳は3歳らしく、外で遊びたかったかもなぁ、と思います。
 当時のことを、あんまり覚えていないのですが、どうやら人間の記憶のシ
ステムは、留めておきたくない記憶をなかったもののように扱える、と言う
研究もあるようで、私もまたそんなケースなのかもしれません。
はっきりと覚えているのは怪我をした前後とその瞬間、病院での途切れ途
切れの記憶と、おそらくは後付けで聞かされた話が(見ていない筈の弟の姿
・・・私に付き添っている母を恋しがり、縁側の枇杷の木に上って泣いてい
たという姿や、薄明るい大学病院の通路を車椅子に乗せられて移動している
のを、まるで外から見ているかのような記憶、窓際のベッドに座ってぼんや
りしている、私と思しき幼女の姿など)錯綜して、あたかも古い映画を何度
も観るような感覚で思い出せるくらいなのです。
 そう、なんだか他人事みたいな、お話の中の出来事のような感じで。
 その記憶と、安寿と厨子王の不憫な話が、私の脳内のニューロンがどんな
風に伸びて繋がっているのか・・・殆どオートマティックに、たとえば哀し
いとか、恐いといった感情として出てくるのではなく、安寿は確かにかわい
そうだけど、私自身については全く何も・・・と言って良いくらい、のレベ
ルので感情は動かないのです。
 うーん。そうかぁ。私自身より、安寿に感情移入することで、感じないで
済んできたということは、確かにあるかな。
 安寿に私自身を投影し、人生の前半は生きてきたのかも知れない、と言う
ところに今行き着き、ちょっと呆然とした気分です。
 安寿は、弟を助けるために自分の命を賭けましたが、私はそうではありま
せん。弟や家族を助けたい、守りたいと言う想いが、人並みくらいか・・・
恐らくはそれ以上にあったとは思いますが、もう、安寿のような人生を生き
るのは終わったな、と思っています。
 安寿は、命が永らえていたら、どんな人生だったのか。違う時代に生きて
いたのなら、どんな人生だったのか。
 そんな風に想いを馳せてみることがあります。
 
 今の時代に生きている女性だったら、もちろん奴隷になることも犠牲にな
ることもまず、なかったでしょう。
 この時代に、人を癒す仕事に就いた意味の一つに、安寿を代表とした時代
に飲まれ、流され、思うように生きられなかった女性たちの人生に、命を吹
き込むことがあるのかもしれない、と思っています。
 昔ならもう、命を閉じていた年代に差し掛かっている私。
 私自身も持っている、どこか物悲しい物語の表紙を閉じて、新しい物語を
書く季節なんだな、と感じる今年の秋です。
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