嫁姑〜遠慮の壁を越えて〜

私は結婚して今年で22年目になります。
ということは、嫁姑としての付き合いも22年という時間が流れました。
結婚10年目くらいまでは、私は良い嫁であることに全力を傾けていました。というのも、私18歳、旦那20歳の結婚だったため、私の心の中にはお義母さんから息子を奪ってしまったという罪悪感と、きっと頼りないと思われる・・・という自信のなさを隠すために一生懸命だったわけです。


毎月5日間はは主人の実家に子供を見せに行く。
行ったからには、晩ごはんの用意をし、仕事を持つ姑の帰りを待つ。
もちろん義父義母の誕生日、父の日母の日には家に招待し、プレゼントと手作り料理でもてなす。
主人はいつも仕事で忙しかったため、これらの行事もすべて私1人で対応していました。
今から思うと、当時の私はとっても出来た嫁ではあったかもしれないけど、決してかわいい嫁ではなかったように思います。
私が姑に子供を預けることはまったくなく、決して借りは作らないという姿勢だったのかもしれません。
私の中では、私が嫁になったことがすでに大きな”借り”を作ったような気分だったのです。
姑はとてもはっきりものを言うタイプの人です。
まさに男の子のお母さん!というキャラで、結婚した当時はとまどいもありました。
「ネコかぶってもボロがでるんやから、足くずして座りよーー」
「子供は男の子がいいでーー 女の子はややこしいからなー」
えーーー・・・私は女の子だからややこしいのかな・・・
てな具合に、最初の頃はいちいちドギマギしていました。
そんなこんな、遠慮の壁が越えれないまま12、3年過ぎた頃、私たち夫婦に初めての危機が訪れました。
いろいろなことで頑張ることに疲れきっていた私は、ふとしたはずみで姑に泣き言をもらしました。
その時に姑は「あんたがそんなこと言うなんて初めてやん。私はいつでもあんたの味方やから、居所隠してうちに家出しておいでー!」と言ってくれました。
そして旦那をギャフンと言わせる計画を、一生懸命にたくらんでくれたのです(笑)
私は完璧な嫁でなければ愛されないと思っていたのに、姑はずーーっとそのまんまの私を愛してくれていたんですよね。
あの時の姑の言葉は、今でも私のこころの中に暖かい温度のまま、しっかりと残っています。
それからの私は、嫁という役割の仮面の8割は脱ぎ捨て、姑との時間はいつもペチャクチャとお互いの日常の愚痴や、楽しかったことの分かち合いで盛り上がっています。
姑の家で平気でお昼寝が出来る私はなんて偉大なんだぁー^^
いやいや、そんな嫁に「疲れてるんやから寝ときー」と言える姑が偉大なんですよね^^
22年という時間が、私と姑の間にある遠慮という壁を溶かしてくれました。姑との関係で私が大きく学んだものは、”競争を手放して助けを受け取る”ということです。自分のプライドやこだわりをも捨てて、相手に対して素直な自分になれたとき、とっても温かいものを受け取ることが出来たぞっ!という大きな経験です。
嫁、姑という枠組みから、女同士になれたときに、新しい関係が始まるのかもしれませんね。
これからも、まだまだいろんなことが待っているでしょう。
でも、あの時姑からもらったぬくもりだけは、絶対に忘れないでいようとこころに誓っています。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

夫婦関係、子育て、恋愛、コミュニケーション全般、自身の経験をもとに、自己愛がベースになるカウンセリングで、幅広いジャンルを得意とする。 母性が織り成す豊かな感性とやわらかさに加え、明るく元気なスタイルで、カウンセリングを終えたあとは心がほぐれて晴れやかな気持ちになれると好評である。