退屈ほど怖いものはない(3)~あなたのキャラが壊れるとき~

私たちは、幼少期に、親の期待に応えようと作り上げてきた「キャラ」があります(心理学では「ペルソナ」と言います)。

社会に適応するためには大事な人格ですが、この「キャラ」に縛られて、そんな自分しか表現できなくなると、本来のみずみずしい感情が抑圧されて、心が死んだように人生を退屈に感じます。たまには、違う「キャラ」で遊んでみるような気持ちで自分の多様性を表現していくことでハートは蘇ってきます。

私たちは、みんな、両親に喜ばれる存在でありたい、と心の底で願っています。

子供の頃は、愛情の対象として「かわいい」と思われて愛されたいと願いますし、「役に立ちたい」と思って、子供ながらに親の気持ちに応えようと必死に立ち回ります。でも、残念ながら、なかなか思うように親を喜ばせられない、と感じることが多いみたいです。

「子供は3歳までにすべての親孝行をする」と言われるくらい、本当は、親に「信頼」という形で、大きな愛を送っていて、親も、ゆとりがなくてそうとは言えなくても、心の奥底ではそれを感じています。実際、子供を叱りとばしてしまった日ほど、夜、お母さんは子供の寝顔に手を合わせていたりするものです。

子供の方は、叱られれば、怖くて、「きっと自分がダメなんだろう」と思い、自分を表現することに臆病になります。親やまわりの大人たちは、自分たちの大人の事情からたしなめていることもあるのですが、子供にはそれはわかりません。

次第に両親や兄弟にウケのいい振る舞いをしようとしますし、受け入れてもらえるかどうか不安な自分は押し殺すようになります。いわゆる「イイ子」になろうと頑張るのです。社会で人とともに生きるために必要な躾も、効きすぎてしまい、もっと伸び伸びと自分を表現してもいいところまで、周りの反応や評価を気にすることもあります。

そんな、自分は「ダメだ」、「できていない」と思い込んでいるところを隠すためにする、一見、「イイ人」な言動を、心理学では「補償行為」と言います。私たちはとてもたくさんの補償行為を、まったく自分でも気づかずにしています。

そうやって、自分が社会に受け入れてもらうための「キャラ」を作ってきたのだと思ってみてください。

これは、家族や社会に愛されるために作った「キャラ」なのですが、自分のお腹の底からわきあがるふつふつとした想いをどこかで押し殺していると、長い年月の間には、たまりたまった我慢が「怒り」となって噴き出します。

いつもイライラしていたり、普段はすごく穏やかでおとなしいのに、ちょっとしたきっかけで止まらなくなるくらい怒ってしまう方は、本当に表現したい想いをなかなか生きられないというジレンマを抱えています。自分が作り上げた「キャラ」とお腹の底の想いとのギャップが大きくなりすぎて、引き裂かれるような苦しさを感じておられるようです。

そんなイライラすら抑え込むことに成功してしまうと、あるいは、「怒る」ことを自分に許さないとすれば、感情を麻痺させるしかなくなってしまいます。

「仕事をして、お金を稼いでくればいいんでしょう?」
「私は子供を産み育てればいいのよね?」
「お母さんが安心できるようにそばに住めばいいのでしょう?」
「私が悪者になればみんなは助かるんでしょう?」
「明るく楽しそうにしていれば、みんなは安心でしょう?」

人を喜ばせるような生き方をしているのに、自分は楽しくなくて、どこかいつも白けていて、どうしようもなく退屈で、きっかけさえあれば誰も知らない土地に逃げ出したくなるような気持ちを抱えてしまうかもしれませんね。

まるで、自分が作り出した「キャラ」に自分の心が殺されているようです。

そんなときは、あなたの生活のほんの一部分でもいいですから、あなたの「キャラ」をかなぐり捨てて、生きられる「場」を意識的に作ってみてください。仕事の一部分でも、新しい趣味でも、「この時だけ」「時限立法的に」違う「キャラ」を生きてみることをお勧めします。

普段のキャラがおとなしい人ならば、ライブコンサートなどで見知らぬ人たちとうざいくらい図々しく関わってみます。
普段が、活発で自立的でリーダーシップをとるタイプなら、完全に受身になれる習い事をする、などです。

旅行に出ると、いつもの枠から一歩出て、「キャラ」を外しやすいですよね。きっかけ作りにしてみてもいいでしょう。

パートナーシップのある方ならば、パートナーの前で、これまでなら絶対に言わなかったこと、言えなかったこと、やらなかったことに挑戦してみましょう。

セクシー系の下着を着たことがない。甘えたことがない。口答えしたことがない。逆に、素直に相手の言うことを聞いたことがない。であるならば、その逆をしてみます。

本当は怖くて言えなかった「大好き」を伝えてみる。「ごめんなさい」を言ってみる、というのもパワフルです。

もともと大事な人から「愛される」ため、「愛されないかもしれない」という不安や怖れ、悲しみ(ハートブレイク)から作り上げた「キャラ」ですから、これを外そうとすると、閉じ込めた心の痛み(怒り、悲しみ)が噴き出します。

でも、これも癒しのプロセスで、大人になり、心が成熟したからこそ対処できるので、感じるようになった、とも言えます。

「嫌われてしまうかもしれない」という怖れを超えて、普段慣れ親しんだ「キャラ」を脱いで、たまには違う「キャラ」で遊んでみましょう。

そんな心理的な「冒険」こそが、退屈で死にそうなハートを蘇らせるのです。

この記事を書いたカウンセラー

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