どうして女性に生まれてきたの?(4)~ラスボスはやっぱり「母」~

父親からの愛を受け取り、女性性を表現することに喜びを感じられるようになると女性性はどんどん開いてきます。

ところが、母親に対する隠れた嫉妬感情があるためにに、母親からの愛を素直に受け取れません。

母親の人生を一人の女性の愛の物語として見つめ直し、その愛の大きさに頭を下げることができると、女性としての魅力は一段と輝きを増すようになります。

「男の子になりたかった女の子」は、女の子だからといって男の子に負けたくないから人一倍頑張ってきたけれど、本当に欲しいのは大好きなお父さんからの愛と承認です。

父親(またはそれに近い存在の人、例えばおじさん、祖父、先生など心の中の父役割)からの承認は、男の子ではない悲しみ、男として生きられない悲しみをこえ、女性であることを受け入れることができるようになります。

「今さら」という気持ちになるかもしれませんが、娘としてお父さんに少しでも近づけるといいですね。

女の子であっても、父親の方はやっぱり愛していたんだ、ということを思い出すことができると、ちょっぴり恥ずかしい気持ちを抱えながらですが、自分の「女性的」な部分を表現する勇気がもてるようになります。

女性らしい自分をお友達にほめてもらって、あなたの中に眠る「女性性」をどんどん開花させていきましょう。

この段階で大きく立ちはだかるのが、「母」の存在です。「母」は大人の女性のモデルで、「女性性」のシンボルです。

「男の子になりたかった女の子」は、「男の子」になりたかったのですから、「女」をどこか「下」に見ているわけです。自覚の有る無しは別にして、ちょっと「お母さん」のことをバカにしているんです。(つまり、「女性性」をバカにしているってこと。)

「そんなはずはない!私、お母さんと仲良しだもの」という反論が即座にくることがありますが、私たちの心はとても巧妙にホンネを隠したりするんです。

「お父さんのことが大好きすぎる」

「お父さんのパートナーはお母さん」

「お父さんに一番愛されたい私の最大のライバルはお母さん」

と認識して、お母さんに嫉妬して、お母さんとバトルのは、とても素直な人です。

多くの場合は、

「お父さんに一番愛された私の最大のライバルはお母さん」と認識して嫉妬を感じた瞬間に、自分を愛してくれた母に対する裏切りは許されない罪のように感じて心はこれを封印してしまいます。(無意識のレベルにある罪悪感です。)

その代わりに「お母さんはかわいそうだから私はお母さんを助けなければならない」というストーリーを持つことが多いです。

実際、私たちが子供の頃というのは、親夫婦にとっては結婚5~15年目くらいにあたり、大多数の親夫婦の関係性はロマンスの時期をすぎ、けんかの時代もしくはデッドゾーンと呼ばれる、関係性が死んだような冷戦の時期に突入していて、あまりラブラブに見えないのです。経済的にも苦しい時期だったりもするでしょう。

両親ともにしんどそうな様子を見て育つわけですから、「親がかわいそう」「助けなければ」と思うのはとても自然なことなんです。

子育ての主役は「お母さん」であることが多いですから、娘は、「お父さんに愛されたい」を封印して「お母さんがかわいそうだから助けなければ」とお母さんに近づく方を選びます。そこでこのお話をすると、「私、お母さんと仲良しなのに、まさか!」という反応になるのです。

あまり聞きたくないことかもしれませんけれど、「かわいそう」という言葉には、少し上から目線な感じがありませんか?お母さんは、確かにとても大変そうで、苦労されたかもしれませんけれど、娘が思うほどには弱くないかもしれません。

ご自分の人生として、その苦労を引き受け、その状況の中で精一杯家族を愛し、守ろうとしてきた一人の大人の女性として「お母さん」を見直してみませんか?

そこには、人生のアップダウンの波をかぶりながら、怒り、怖れ、悲しみながらも、大切な人やものを命がけで愛そうとした、等身大の愛の物語があるはずです。

そこにそっと頭を下げることができるようになったとき、長年の「お母さん」との隠れたけんかに終止符を打つことができます。

母親の大きな愛を受け取ることができるようになる頃、あなたの女性性も大きく花開くことでしょう。

(完)

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