心の防波堤~プライドの心理学~

あなたのプライドの高さをチェックしながら、その意味と手放しのススメです。

皆さん、ちょっとイメージしてください。

今、あなたは森の中を歩いていると思ってください。
ずんずんと森の奥へ足を進めていくと、目の前に突然「塀」が現れます。
さて、その塀の高さはどのくらいのものでしょうか?
そして、あなたはその塀を見てどんな印象を持たれるでしょうか?
あなたなりに表現してみて下さい・・・。

単純ですが、この塀の高さが「あなたのプライドの高さ」を表します。
因みに「森」はあなたの深層心理の象徴。だから、どんな森なのか?というのがあなたの無意識の状態を象徴していると見ることも出来るでしょう。
そう聴いて、どんな感じがするでしょうか?
ある人は、刑務所のような高い高い塀をイメージされ、ある人は、自分の首の辺りまでの塀をイメージされます。(実はこれは数年前の僕と今の僕のイメージなんですけどね)
また、コンクリート制の頑丈なものをイメージされる人もいれば、生垣のような柔らかいものをイメージされる人もいるでしょう。

その絶対的な高さや材質よりも、その塀に感じること(そんなに高くない、めっちゃ高い、高くて分厚い、堅い、柔らかい、すぐ壊れそう、入りにくい、など)がポイントです。
5メートルくらいの塀がイメージされたとしたら、一般的には「高い」部類に入るのでしょうが、「そんなに高くない」印象をあなたが感じられたとしたら、その「そんなに高くない」というイメージの方を採用してみて下さい。

プライドの二つの側面~ネガティブ・プライドとは?~

「プライドが邪魔して、彼と別れざるを得なかった」
「自分の仕事にプライドをきっちりもってやってくれたまえ」
などのように一般的に使われるプライドというのは2つの側面を持っているようです。

プライドを日本語に訳すと「誇り」です。
この「誇り」というのは、自信や経験の積み重ねから出てくるもので、とても大切なものです。
ところが、もう一つの側面では「強がり」という意味でも使われますね。
これは経験などに裏打ちされない部分で「プライドが邪魔して・・・」というようなネガティブな意味を持ちます。
恋人の前で、上司や後輩の前で、家族や友達関係でついついプライドが邪魔して素直になれない経験、一度くらいはお持ちではないでしょうか。

今回のレクチャーではこのネガティブなプライドに焦点を絞ってお話したいと思います。
最初のプライドチェックテストで「高い、堅い、入りにくい、怖い」などの印象を持たれたとしたら、きっとこのネガティブなプライドがあなたの心の中にあるのかもしれません。

そこで、そんなネガティブなプライドのもたらす影響についてお話しましょう。

ネガティブ・プライドの及ぼす影響

一番メジャーな影響としては「素直になれない(=強がってしまう)」ではないでしょうか。

そうすると「ごめんなさい」が言えなくなってしまい、その一言を言わないために、余計なリスクを背負い込んでしまうことだってあるでしょう。

例えば「遅刻の言い訳」。彼と11時に待ち合わせていたのに、前の晩夜更かししてしまい、寝坊してしまったあなた。朝、はっと目覚めて時計を見ると10時を回っています。待ち合わせの場所まで電車で45分。この絶望的な状況で、あなたの頭は「言い訳」を考えることに終始するかもしれません。「お母さんが朝いきなり小言を挟んできて」「友達のA子が10時に電話をかけてきて」「人身事故で電車が遅れて・・・うーん、これはばれるなあ」とか。

彼には一応「遅れるかもしれないから待ってて」というメールを入れるわけです。
そして、30分の遅刻で待ち合わせ場所に着くと、彼が憮然とした表情で立っています。
そこであなたは考えてきた言い訳をまくしたてます。
ところが、彼はそれでも憮然とした態度。
だんだん腹が立ってきて「女の子は朝は大変なの!なんでそれを分かってくれないの!」。

うーん。
きっと彼は「待たせてゴメンね。待っててくれてありがとう」と言えば、ニコッとしてくれるはずなのですが・・・。

その他にも、仕事が最近忙しくてなかなか連絡をくれない彼に「寂しい女とか思われたら最悪だから、あたしから連絡なんてしてやるもんか」という態度を取ってしまい、彼との距離がどんどん開いてしまったり、彼女に好かれるために預金残高が限りなくゼロに近い状況でも「ここはオレが奢るよ」ってカードを切ってしまったり、自分のミスで取引先に迷惑をかけてしまっても「向こうの担当者がはっきり言わないからですよ。ほんとこちらが被害者なんですよ」と口走り、社内での評判を落としてしまったり。

どんな場合でもネガティブ・プライドは自分の立場や状況を守るために使われているようです。
そして、ネガティブ・プライドを使うたびにイヤ~な感じがして「オレってダメだなあ」とか「私って情けない」という気持ちになるものの「だからってどうしていいのか分からない」と壁にぶつかってしまいます。

では、次になんでそんなものができてしまったのかを考えてみましょう。

ネガティブ・プライドは心の痛みから自分を守る“防波堤”

「待たせてゴメン」といえない理由はいっぱいあるかもしれませんが、一番大きな理由は「自分の非を認めてしまったら、みんなから責められたり、嫌われたり、必要とされなくなってしまう」という“怖れ”のようです。
そんな怖れを持っていたとしたら、自分を守るために強がったり、誰かを責める他ありませんよね。

それはちょうど、高波からの街を守るために防波堤と同じようなものかもしれません。
または中世の城郭のように高い城壁を作って敵の攻撃から国を守るのと同じかもしれません。
(そんな発想から冒頭の「塀の高さ=プライドの高さ」という心理テストが生まれるわけですね。)

さて、そんな心の防波堤や城壁はどうしてできてしまったんでしょう?
それは、防波堤が必要なくらい街(=心)を荒らされる経験をしたのではないでしょうか?
高波が襲ってきたら、街は壊滅状態になってしまいます。家も壊れ、道路には水が溜まり、死者も怪我人も多く出るでしょう。もちろん、農作物や家畜も全滅かもしれません。
そうしたら、そこに住む街の人たちはそこに防波堤を作り、もう二度とこんな被害が起こらないようにするでしょう。

でも、また数年して高波が襲い、その防波堤を超えてしまって甚大な被害が起こったとしたら・・・?きっと更に高い防波堤を作ろうとするでしょう。
そうして年月を重ねるにつれ、大きな大きな防波堤が築かれていきます。

心も同じようにそれくらい酷い経験をしてしまったとしたら「もう二度とこんな目には会いたくない」と心に防波堤を作ってしまうのかもしれません。
それくらい心に傷が残ってしまうのかもしれません。

ところが防波堤を作ると確かに高波は防げるかもしれませんが、その街に訪問する人たちはとても苦労することになりますね。門を作っておいてもいつ襲ってくるか分からない高波のために、常にその門を閉ざしておかなければなりません。
そんな高い堤に囲まれた街に遊びにいく気分もいかがなものでしょうか。

心の防波堤も同じく、周りの人との繋がりを繋げるのが難しくなるかもしれません。
皆さんも恋愛やビジネスを通じて、そんな高い塀に囲まれた人と接した経験はありませんか?
きっと彼・彼女の過去にはとても痛々しい経験があったのかもしれません。

ネガティブ・プライドを手放す

人と心を通わせるときに、そんな防波堤があったとしたら、なかなか繋がりを感じることが出来ません。あなたの心の防波堤があまりに高いものだったとしたら、あなたと一緒にいる人はいつもあなたの心の中に入れない感覚を抱きつづけるでしょう。
「何を考えているのか分からない」
「どう思っているのか不安だ」
・・・なんて印象を与えてしまうかもしれません。

もちろん、あなたは心の繋がりが十分感じられないだけ「寂しさ」や「孤独感」と友達になります。また、どれだけ頑張っても満たしきれない気持ち、足りない感覚があるとしたら、あなたの心の中にはそんな防波堤で囲まれた部分があって忘れ去られてしまっているのかもしれません。

ある人はその堤に囲まれた街を美しい花で囲み、一人でその街に住んでいるかもしれません。
またある人はその街を捨て、廃墟になってしまっているかもしれません。

僕達は、そんな防波堤(プライド)を崩して、より自然なあなたになることをお勧めしています。

アフリカのナイル川の真ん中にある小さな村のお話です。
その村はナイルが氾濫するたびに村中が水浸しになり、泥だらけになります。
もちろん、家もさとうきび畑も壊滅状態になるそうです。
でも、そこの住民は防波堤を作ろうとはしません。
なぜかというと、彼らはナイル川と共存した生活を選んでいるからです。
ナイルが氾濫すると酷いときには死者が出るときもあるでしょう。
でも、その氾濫によって、肥沃な土砂が運ばれ、やがてはその土壌が豊かな実りをその村にもたらしてくれます。
実はその村の家々はそのナイルが運ぶ泥から作られています。
なんでも粘土のようなしっかりした泥が運ばれてくるらしく、その泥からブロックを作り、家の壁にすることができるそうなのです。
その村の人達はこんな風に言っています。
「ナイルが氾濫しなかったとしたら、私達はここで生活して行くことはできないんです」と。

僕達は人生の中で本当に酷い経験をすることがあります。
失恋や離婚、失職、死、暴力、、、。
実はそれらは心に傷を作るものであると同時に、より逞しく、より強くなるための学びが多く含まれた“ナイル川の氾濫”と見ることもできます。
防波堤を作れば、その堤が破られないか不安な生活がやってきて、同時に栄養をたっぷり含んだ土地にも恵まれなくなるでしょう。

でも、高波が襲ってきても、そこからまた何かを学び、成長していくことも僕達には選択できるのです。

既にできてしまった防波堤は、その歴史を紐解きながら癒していくことで手放せます。
本当に辛い経験、そのときはそうせざるを得なかった選択、様々な思いがその堤の内側には残っているでしょう。だから、その痛みを感じ、受け入れ、許していくのです。
そうすれば自然と防波堤を高くする必要はなくなり、やがては防波堤そのものがいらなくなるでしょう。

そうしたとき、何が起きても大丈夫な自分、どんな状況でも自分自身でいられる自分と出会えます。
それが本当の強さであり、ポジティブプライド(誇り)であり、自信と呼ばれるものです。

そんな自分になりたい・・・というところから、まずははじめてみませんか?

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