認知的不協和

みなさんは、認知的不協和という言葉をご存知でしょうか。認知的不協和の用語の定義を説明しても分かりにくいので、具体的な例で説明したいと思います。

 

例えば、みなさんが、ある芸能人を好きだったとしましょう。芸能人ですから、普通は実際に会ったことはないわけであり、テレビに出ている芸能人の言動を、ただ見ているだけですよね。でも、イメージによる「思い込み」で、その芸能人が好きだったとします。

例えば、最近ベッキーというタレントさんが、不倫騒動を起こしましたよね。私大塚はベッキーのファンではありませんでしたが、確かに綺麗な顔をして、性格も素直で、どちらかといえば私も好印象を持っていました。

しかし、ベッキーは不倫騒動を起こしました。このときに、ファンが次のような反応をしたとしたら、それは認知的不協和です。

ファンA「あの純粋なベッキーが不倫をするはずがない!何らかの陰謀に違いない」

ファンB「相手の男が悪いんだ。ベッキーはそんなことをする人ではないから、ベッキーは何も悪くない!」

不倫が悪いかどうかは置いておいて、ファンが勝手に自ら作り上げた素晴らしいベッキー像と、現実との差に不快感を感じ、それを素直に認めることができずに、不快感を別の原因にすり替えて、自らを納得させようとすること、これが認知的不協和です。

また、別のベッキーのファンが、

ファンC「ベッキーがそんな人だったなんて、本当に信じられない。ベッキーは最低で、人間のクズだ。とにかく悪いのはベッキーだ!最低の女だ!」

とベッキーに怒りをぶつけたとしましょう。これも認知的不協和です。

私大塚は、ベッキーが不倫したというニュースを見たとき、「へぇ」ぐらいしか思いませんでした。確かに清廉な印象(大塚の勝手な思い込み)はありましたが、ベッキーをかばうこともなく、逆にベッキーを嫌うこともありません。

我々人間は、程度の差こそあれ、実はたくさんの「思い込み」をしています。これを書いている時点の大塚も、自分では気づかない思い込みを無数といっていいほどたくさんしています。ベッキーに清廉な印象という思い込みを持っていたのも、程度はたいしたことはないですが、私の無数の思い込みのうちの一つでした。

 

私は、ベッキーが不倫したと聞いたとき、確かに不倫のイメージには合わないとは思いましたが、次の瞬間に、私は、ただ単に、ベッキーは不倫をした、という事実を受け入れました。そして、受け入れただけであり、それ以上の感情的なものは何も出てきませんでした。

しかし、上述のファン3名の言葉には、事実を受け入れること以外の、感情的なものが表出されていることはみなさんお分かりですよね。ファンAとBはベッキーをかばい、ファンCはベッキーを非難していますが、3人のファンに共通するのは、

ベッキーが清廉潔白でないと、自分に都合が悪い

という点です。この点の深層心理は、こんな感じです。

 

自分は、ベッキーが清廉潔白だと思っていた。だけど、ベッキーは不倫をした。ということは、自分が間違っていたということになる。でも、自分が間違っていたと認めることはできない。

自分が間違っているということを認めると、周りから否定され、攻撃される。それなら、屁理屈をこねてでも、自分が正しいと主張しなければならない。そのためには、筋が通っていなくても仕方がない。

 

なんとなく、分かっていただけたでしょうか。実は、上述の3人のファンは、ベッキーの印象という「思い込み」と共に、「正しいことは良いこと、間違いは悪いこと」という大きな「思い込み」を持っています。

人間は、全く完璧ではなく、多かれ少なかれ間違いを起こします。私大塚は、神経質で、良くいえば細かくて、仕事はできる方だと思っていますが、それでもしょっちゅう仕事でミスをします。そして、そのたびに相手に謝ります。

相手に謝って、その結果相手に非難されたことはほとんどありません。なぜなら、相手も、人間はミスをするもの、人間だから間違いはある、と思ってくれている方がほとんどなので、簡単に許してくれるのです。

これとは逆で、「間違うことが悪いこと」という思い込みを持っていると、「間違った相手を非難したくなる」というのは分かっていただけるでしょうか。そうすると、それがそのまま自分に返ってきて、自分がミスをするたびに自分を心の中で非難することになり、それが積もりに積もって、大きな自己否定になってしまうのです。

そして、もともと間違いを認められないのですから、逆に、自己否定を隠すため、「自分は正しい」という証明を周りにする必要が出てきて、そのために少し筋が通らないこともしてしまうのです。

「認知的不協和」の根底にあるのは、実は私がブログ等で良く書く「自己否定」、「自己攻撃」なのです。

 

ビジネスシーンでも、認知的不協和はたくさん出てくると思います。例えば、とにかく自分の意見を曲げず、自分の指示通りにしろ!と高圧的に出てくるような上司は、間違いなく認知的不協和を起しています。本当は、どこかで「自分の指示に無理がある」と気づいているのに、その間違いを認めることができないため、「俺の言うことが正しい」、「俺の言う通りになんで出来ないんだ!」という態度を取り続けるしかないのです。

本当に自信のある上司は、部下の意見を聞く余裕を持っています。そして、上司が何か指示をしたとしても、部下からの意見を取り入れて、その指示を撤回したり、少し変更したりすることもできます。つまり、間違いを素直に認めることができるのです。

意見をしっかり聞いてくれる、意見をたまに取り上げてくれるとしたら、部下は進んで上司に提案したり、報告するでしょう。そんなに信頼されている上司なら、仮に部下からの進言を取り入れて前言を撤回したとしても、部下は上司を非難しないと思います。非難するどころか、意見を採用してくれた部下はうれしいし、上司をさらに信頼するのではないでしょうか。

 

認知的不協和を起こす原因は、そもそも自分自身が「思い込み」をしているということに自分自身で気づかないこと、そして、正しさに固執し、自分に対しても他人に対しても間違いを認められない、根底は、完璧でない自分自身を自己否定していることです。

ところで、カウンセリングを受ける前の、ほんの6年くらい前までの私大塚は、まさに、上記のような、正しさに固執した、自己否定満載の認知的不協和起こしまくりの人間だったのです。

でも、カウンセリングを受け続け、自分自身がカウンセラーになり、私は別人のように自己否定が少なくなり、認知的不協和を起すことも激減したと思います。そうすると、本当に日々の生活が楽なのです。

認知的不協和を起すと、冒頭のベッキーのファン3人のように、感情的な不快感を感じてしまい、生きづらくなってしまいます。でも、私のように大きく変化することもできます。勇気を出して、認知的不協和を起していないか、一緒に見つめ直していきましょう。

読んでいただき、ありがとうございました。

この記事を書いたカウンセラー