感情に対する防衛を解除する~感動する心を取り戻そう~

テレビで生き別れた家族の再会などの感動的な話を見た時、周りの友達は感動して涙を流すのに、自分は淡々としている。フィギュアスケートの試合では感動できるのに、どうして?

そこには、過去に埋め込まれた感情が浮き上がってくることを妨げようとする心の防衛作用があるのかもしれません。私たちの心には絶えず様々な感情が湧き起こり、感じることで消化し、心が成長していきます。しかし、何らかの事情で、心の中で湧き起こった感情がちゃんと感じられないままになり、心の奥に埋め込まれてしまうことがあります。

何かを見たりした時に起きる感動は、埋め込まれた感情をも揺り動かしてしまうので、それを避けようとするために防衛作用が起き、感動することそのものを心が拒否しているのかもしれません。こういった心の防衛を解除し、豊かな感動を取り戻せたらいいですね。

◎リクエストを頂きました◎
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戦時中の話や行き別れた親子の再会といった、感動的な話をTVで見ても「ふーん」としか思えない淡々とした自分が恥ずかしいのです。身近な人ならともかく、TVの向こうの知らない人の話にそこまで入り込めないのです。

大泣きする友達の中で、ひとり居心地が悪いというか、恥ずかしいというか、なんとも嫌な思いを味わっています。なぜ私はこんな風なのだと思いますか?大泣きする人と何が違うのでしょうか?ちなみに何を見ても泣かない訳ではなく、フィギュアスケートの試合を見ていると泣けます。

(一部編集させていただいております。)
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リクエストをいただきありがとうございます。

テレビで感動的な話を見た時、涙が出たり、心がじーんとしたりする、ということってありますよね。特に自分の境遇と似ていたりすると、ものすごく感情移入して泣けて泣けてしょうがない、などということもあるかもしれません。

しかしながらリクエストの方はそうではないようです。テレビで感動的な話を見て、一緒にいるお友達は涙を流しているのに、自分は「ふーん」と淡々としている。もちろん、それが悪いわけではないのですが、リクエストの方はそんな自分の状態に違和感を感じているようですね。

自分の状態に何か違和感があるというのは、無意識からの「ちゃんと向き合って考えてみた方がいいかもよ」というお知らせであることが多いので、この方の場合もそうかもしれません。

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さて、私たちが本来感じるはずの感情を感じない状態になっている時、心の中ではどんなことが起こっているのでしょうか。

非常によくあるのは、「心に余裕がない」場合です。様々な事情で心が追い詰められている時は、落ち着いている時であれば感じられる感情や感覚を感じられなくなるものです。心の状態が「それどころではない」わけです。

しかしながらリクエストの方の場合は、フィギュアスケートの試合を見ると感動して涙が出るとのことですし、全体的に気持ちに余裕がないという感じではなさそうです。

では、どうして感動的な話に心が動かないのでしょうか。

考えられるのは、心が動くことに対して何らかの「防衛」があるのではないか?ということです。「心理的な防衛」というのは、「これを感じるとやばいから感じないようにしよう」というような、自分の心に対しての無意識のコントロールです。

例えば、実は過去の失恋の痛手を抱えているけれど、感じるのがつらすぎて、「恋なんて腹の足しにもならないし、いずれ消えていく幻みたいなもの、たいした価値はない」と思い込もうとするのも痛手を感じないようにする「心理的防衛」です。この防衛に縛られた状態では、切ない恋の映画を見ても冷めた感覚でしか見られない、などということもあるのです。

けれども、自分が失恋で負った痛手を素直に認め、防衛が解けると、同じ映画なのにわんわん泣けてしまったりするんですね。(それが結果的には痛手を癒すことにもつながります。)

リクエストの方も、もしかしたら心の中に、自分でも気付いていない過去のつらさが隠されているのかもしれません。両親が離婚して片親に会えなくなった、とか、家族や友人の誰かを亡くした経験がある、大切なペットを失った、など、何か「喪失」に関するものではないかと思います。

私たちは人生の中で悲しい経験もしますが、自分の心の中に湧き上がった感情をリアルタイムでしっかり感じ切ることができると、一時的につらいながらも気持ちを消化して、過去の記憶として整理できますし、糧にしていくことができます。

ところが、何らかの事情で自分の中に湧き上がっている感情をしっかり感じることができない場合があります。お父さんが急に亡くなって、家族を必死で支えていこうとするお母さんを見ていると、お父さんを失った悲しみを自分の中で抑え込んでしまった、とか、親友が転校したことがつらかったけど、自分が落ち込んでいると心配性のお母さんが不安そうにするので、あまりつらがってはいけないと感じてしまった、など、いろいろな状況があるでしょう。

テレビなどで感動的な話を見ると、そういった心の中に埋め込まれた感情が動いて表に出そうになるのが自然な心の作用ですが、そもそもその感情を感じることを自分に禁止しているので、「やばい」と無意識に感じ、防衛線を張り、何も感じない状態に自分でしてしまう、ということが起きているのではないでしょうか。

リクエストの方がフィギュアスケートなら感動できる、というのは、フィギュアスケートの場合は埋め込まれた感情に直接響いてくる「ヤバさ」があまりなく、「心理的防衛」をする必要がないのかもしれません。

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感情の防衛を解除するためには、埋め込まれた感情と向かい合うことが効果的だと思います。

とはいえ、埋め込まれているだけに、自分でその感情を見つけることは難しいことが多いかと思います。

まずは、「喪失」をキーワードに、「喪失といえば何か思い浮かぶものがないか?」と自分の心と向き合ってみるといいでしょう。思い浮かぶものがまったくない、頭が真っ白になる、思い浮かびそうだけど何か嫌な感じがする、思い浮かんだけどその先どうしたらいいのかわからない、などという場合は、カウンセラーと話してみることも助けになると思います。

埋め込まれた感情は、背後の事情がささいなものであれ、深刻なものであれ、当時の自分にとっては切実な思いがそこにあったはずですので、優しく丁寧に扱ってあげる気持ちで向かい合っていただけたらと思います。

(完)

この記事を書いたカウンセラー

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