自分の短所を認める方法~これでいいのだ~

自分の短所を認めようとしてそれと向き合うと、その陰に隠された様々な感情が湧き出てきてとても辛くなってしまいます。

そして、その辛さを感じたくないという気持ちになって、ついついそれから目をそむけてしまいます。これは心の防衛反応です。

この心の防衛反応を乗り越えて、短所と感じている部分も含めてありのままの自分を受け容れる方法をご紹介しています。
その方法は、
①短所と感じている事柄は本当に短所か客観的に見直してみる。
②短所は責めるべきところではなく、成長するポイントと捉える。
③完全な人間になろうとはしない。人間は不完全なものと受け容れる。
④自己価値の証明や存在意義の証明を手放す
です。

◎リクエストを頂きました◎
===================================
あなたは、自分の短所について、「こんなところがあるのだな」と認めていない、だから悩み続けるのだ、と言われる事がありました。
自分の短所、事実をどうやったら認められるでしょうか?

また、見つめようとすると、気分が少し悪くなったり、そんな完璧に自分の短所を認められる人なんていない、とも言われます。
どのように考えればいいか、教えて下さい。
===================================

自分の短所を認めようとしてそれと向き合うと、怖れ、不安、悲しみ、怒りなどその陰に隠された様々な感情が湧き出てきてとても辛くなってしまいますね。

そして、その辛さを感じたくないという気持ちになって、ついついそれから目をそむけてしまいます。
これは、心の防衛反応です。

短所を認めてしまうと、ただでさえ自分は駄目だと思っているのにその心の傷に塩を塗るようなもの、痛みに耐えられないと感じたり、あるいは自分自身が崩壊してしまうような感覚になってしまったりします。
それを起こさないための反応なのですね。

さて、ではこの心の防衛反応を乗り越えて自分が感じている自分の短所と向き合い、それを受け容れるにはどのようにすればいいでしょうか?

1.それは本当に短所ですか?

私たちは、様々な事を“思い込み”ます。
「こうあらねばならない」「人はきっとこう思うに違いない」など、自分が持っている観念や誰かから言われた一言をキッカケとして、物事の見方を固定化してしまいます。

そこには、例えば、自分の過去の失敗を過大に捉える傾向があったり、1つの失敗を捉えて一般化していたり、白か黒かという2つの捉え方をするなどその人の感じ方のクセも影響しています。

自分が短所だと思っている事柄について、客観的に見て短所なのかどうか見直してみる事も重要です。
自宅でできるエクササイズとしては、ネガティブに捉えている事柄を、ポジティブな見方に変換するレッスンがあります。

例えば、「いい加減」という状態は、ポジティブに見れば「大らか」かも知れませんね。

2.短所は悪いところ?

皆さんは、短所と聞くと、どのようなイメージを抱くでしょうか?
ところで、私たち人間は一生涯をかけて心の成長をしていきます。

例えば、若い頃にはわからなかった人間の心の機微を、年齢を重ねる事によって理解できるようになったりします。
人は変わっていく事ができるのですね。

従って、短所はずっと短所のままではなく、自身の取り組みや、ふとした何かのきっかけでそれを長所とする事も出来るのです。

例えば、「自分は人に冷たい」と思っていてそれを短所と感じていたら、実は「人に冷たくしたくない」という思いがあって、何かのキッカケで、「人に冷たくしたくない」という本当の思いを試してみたり、経験してみるかもしれません。

そうすると、本当の思いを実行する訳ですから、案外その方が気持ちがいい事に気づくかもしれません。
短所は責めるべきところではなく、成長するポイントだという捉え方をするといいのではないでしょうか。

3.完璧主義を手放す

短所を受け容れられないという事は、短所がある自分を許せないと感じている事です。
すなわち、心のどこかで不完全な自分を感じて自身を責めているので、短所を認めるとますます自分を責める事になる、と思っているのですね。

そして、非の打ちどころが無い完全な人間を目指しているのです。
ある意味、神のような完全さに憧れ、そうなろうとしているわけです。

しかし、そんな事は果して可能なのでしょうか?
私の今までの経験からは、不可能だと思います。
何故ならば、自分が自分に満足できないと感じているところを改善したとしても、また次に改善したいと思うポイントが現れるからです。

これは、人間の習性とも言えると思うのですが、常に向上心が働くからなのですね。
先ずは、人間は「不完全なもの」と捉える事が必要だと思います。

4.自己価値の証明を止める

私たちは自分を責めている度合だけ、自信がありません。
自信とは、自分を信じられるか否かですので、自分を信じられないと人から自分を承認してもらおうとします。人から承認してもらう事によって、自分でも自分を信じてもいいという許可が出せるのですね。

そうすると、私たちは誰かと競争して勝とうとしたり、義務感で犠牲感で良い子を演じてみたりして、自己価値の証明や存在意義の証明をします。
競争にいつも勝てればそれは自信に繋がるかと思いますが、なかなかそうはいきません。

特に、私たちは自分の不得手な部分と、人の得意な部分を比べたりしがちですから尚更です。
また、良い子は自分の評価を人に委ねる事になるので、評価する人の考え方や物ごとの見方に大きく左右されます。

世の中には様々な考え方を持った人がいるので、必ずしも評価は一定しません。また、特に自信が無い場合には、評価してくれる人よりも、評価しない人の方を見る傾向が強くなるので、例え多くの人が評価してくれたとしてもそれを受け取ることがなかなかできません。

自己の評価を競争の結果や人に委ねるのではなく、自分自身で適切に、客観的に評価する事こそが、自信を持つことに繋がっていくように思います。

更に、私たちは意外と自分に厳しく他人に甘いものです。
例えば、自分が失敗した時に自分に投げかける言葉と、友人が同じ失敗をしたときにその友人に掛ける言葉を比べてみれば、一目瞭然ではないでしょうか?前者はとても厳しい言葉を投げかけているのに対し、後者は優しい言葉をかけている事が多いのではないでしょうか。

自分に対しても、友人などと同様の優しい扱いをしてあげる事が大切だと思います。
自身の短所と感じている部分に対しても「まぁ、これが私だよね」とか「人間なんだから短所もあるよね」といった積極的な自己受容を心がける事が、自身の短所を受け容れると同時に、改善していく大きな1歩を踏み出すことになるのです。

かの、天才バカボンの漫画で有名な赤塚不二夫がバカボンのパパに言わせた言葉「これでいいのだ!」ですね。

この記事を書いたカウンセラー

About Author

恋愛や夫婦間の問題、家族関係、対人関係、自己変革、ビジネスや転職、お金に関する問題などあらゆるジャンルを得意とする。 どんなご相談にも全力投球で臨み、理論的側面と感覚的側面を駆使し、また豊富な社会経験をベースとして分かりやすく優しい語り口で問題解決へと導く。日本心理学会認定心理士。