遺書をしたためる

「死」は人生の終わりであって、終着駅です。
僕たち人は、やがては死を迎えますが、それまでの過程で、どんな人であれ、
必ず人生のドラマがあり、そして、さまざま経験があります。
両親に愛された、愛されなかった。
友人がたくさんいた、いなかった。
恋人と愛し合った、愛し合えなかった。
仕事で成功できた、成功できなかった。
欲しかったものを手にすることができた、できなかった。
得たもの、得られなかったもの、経験したこと、できなかったこと。
僕たちが、自分の人生で感じてきたこと、経験したことに、間違っているとか、
正しいとかはありません。
あなたが今、感じている痛みや苦しみ、そして幸せや喜び、それらはすべて、
あなたにとっての真実であり、あなたの人生で得た財産なのです。
あなたが年老いて、老人になり、晩年を迎えたと思ってください。
あなたの顔は、人生の年輪を刻み、知識はあなたの人生の中でもっとも高まり、
そして、心は、少しずつ、もうすぐ近い、「死」への準備をはじめています。
そんなとき、あなたはどんな「遺書」を残すでしょうか?
あなたのパートナーへどんな言葉を残すでしょう?
あなたのお子さんにはどんな言葉を残すでしょう?
友人には?知人には?
そして、あなたの人生は幸せだったでしょうか?
遺書を書いてみる、というのは、実は今の自分の心の整理に、とても役立ちます。
なぜなら、それが、自分の最後の言葉となるわけですから、最後くらい、気持ちを
精一杯、伝えたいと思うからです。
本当はどんなことを考えていたのか、どんなことを感じていたのか?
どんな言葉で、どんな風に伝えたかったのか。
自分の本当の気持ちや、本当に言いたいことに気づけることが、遺書を書くことに
よってよくあります。
あなたなら、人生の最後に、何と言って死にたいでしょうか?
僕は、こう決めています。
奥さんの手をとって、
「幸せだったよ。大好きだ。」
と、言ってから死ぬって。
from 田村 厚志 / Counseling Service
 

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