親友の作り方~彼女と私と「フライドグリーントマト」~

私の好きな映画に「フライドグリーントマト」という作品があります。
長年にわたる女性同士の友情を描いた作品です。
ちょっとブラックですが、でも、とても素敵な作品なので、もしも機会があったら皆様にも観て頂きたいなと思うのですが、残念ながら今は吹き替え版が絶版のようで、私が観たのもだいぶ前のことです。
この作品ではもう一組、私と同年代らしき主演の女性と、とある年配の女性との友情も描かれているのですが、こちらもとっても素敵です。
この映画の後、最高齢でオスカーを獲得したジェシカ・タンディの可憐さもさることながら、主演のキャシー・ベイツが老女との交わりのなかで、どんどん変わっていく姿が最高に爽快なのです。
「心理学が人を癒すのではなく、人が人を癒す」というのは本当で、人はそれがたとえどんな出会いであっても、人と交わりあう中で変わってゆき、いずれは癒されてゆくものなのでしょう。
そういえば最近はあまり観ていませんが、昔から私は古い洋画を見るのが好きでした。
そして「フライドグリーントマト」の他にも、女同士の友情を描いた作品で好きなものがいくつかあって、以前の私は本当に「ほんものの友情」とか「同性の親友」というものに強い憧れがあったのだなあと笑ってしまいます。
そこでふと思いついてネットを検索してみると、あらら?「女同士の友情はハムより薄い」とか「ラップより薄い」なんて言われているようです。
女同士の強い友情にあれほど憧れながらも、昔の私はどちらかというと、そちらの意見を信用していたのかな(笑)。
思い返してみれば、以前の私はそれらを証明するかのように、ご縁があったママ友や、友人に対しても表面的な付き合いしかできず、家に帰ると愚痴や文句ばかり。
一緒にいる間は変に気を遣っていたり、自分を取り繕っていたりで、過度にストレスばかりを溜めて、体調を悪くするようなこともありました。
私にとって「本当の友だち」や「親友」という存在は、映画や小説の中でしかお目に掛かれないようなものだった気がします。
今でこそカウンセラーとして、お客様から悩みやご相談を聴かせていただく仕事をしている私ですが、カウンセラーになる前の私はずっとそんなふうで、子供のころから対人関係については悩み続けて来ました。
それはもちろん誰かの所為では全くなくて、本当は私自身が人を拒絶していたからなのですが、私がそれに気づくことが出来たのはつい最近、心理学を学ぶようになってからのことです。
私はそれこそ小学校に上がる前からずっと、「親友」と呼べる存在が欲しかったのです。
でも「欲しい」と思っていたころ、どんなに頑張ってもそんな存在を得ることは出来ませんでした。
そして、何故か「欲しい」と思わなくなったころに、いつの間にか私を「親友」と呼んでくれる友人が私の傍らにいてくれるようになりました。
私の親友はとっても個性的というか、面白いというか、まあ、どちらかというと「バカ」が付くくらいの「天然」です(笑)。
とは言え、彼女も私に対して全く同じことを言うんだろうなと想像がつくのが、私にとっては少しばかり腹立たしいやら、笑っちゃうやらなのですが(^^;
そして口と態度は相当に悪いけど、実は気のいい彼女は、今回も「ねー、今、ちょうどいいネタが無いからあんたのこと、コラムに書いてもいい~?」と電話した私に、笑って「いいよ」と答えてくれたのでした。
私の親友は、高校生のとき、紙袋二つだけを両手に下げて、家出当然で上京したのだそうです。
四国出身の彼女と関東出身の私、「同性」で「同年代」で「子供が二人」、という以外何の共通点も無かった彼女と私は、数年前のある日、心理学を学ぶスクールの受講生としてこの東京で出会ったのでした。
初めて会った時、私よりも二つ年下の彼女を「ずいぶんと態度の悪いおばちゃんだな」と、自分がおばちゃんなのを棚に上げて思った私でした。
第一印象はお互いそんな感じで、けれど他人に全く興味のなかった彼女が私に気付いたのは、もっとずっと後のことだったようです。
私はと言えば、その他には「あんまりお近づきになりたくないタイプだなあ」としか思いませんでしたが、それから数か月後のある日、全く違う印象を彼女に抱くようになったのです。
私たちが心理学を学んでいる神戸メンタルサービス(カウンセリングサービスの母体である心理学のスクールです)では、ヒーリングワークと呼ばれるグループセミナーを毎月行っています。
ヒーリングワークではくじ引きで対象者を選び、ミュージックセラピーやロールプレイなどの手法を組み合わせた公開カウンセリングのようなセッションを何本か行っているのですが、あるときそのくじ引きで、彼女が選ばれたのです。
そうしてそのセッション中、私にとってはとても驚くことがありました。
私たちの心理学の先生でもある講師(トレーナー)の先生が、その中で彼女にとあることを言ったのですが、実はそれと全く同じことをその前の週に、私はその先生に言われたばかりだったからです。
私にとってはとても大きな気づきでもあったその言葉、そしてそれと全く同じことを言われている彼女自身に、私は興味を抱きました。
それで私はその日の夜の打ち上げで、彼女に初めて話しかけたのです。
ずっと後になって聴いたのですが、彼女はその時、私のことを「メンドクサイな」「しつこいな」「あっち行かないかな」と思っていたそうです。
彼女には今でも時々、「あの頃は『話しかけるなオーラ』を前面に出してたのに、全然気づかずに会うたびに寄って来るから、めっちゃウザいと思ってた」と笑いながら言われます。
でも、そんな彼女も今では「そのおかげでスクールの中で居場所が出来た」「みきさんの傍にいるといろんな人がいっぱい寄って来るから、付き合いが増えた」なんて言ってくれるようにもなりました。
今では彼女はスクールを卒業してしまい、裏方で勉強をさせてもらっている私と一緒にヒーリングワークに出ることはあまりありません。
それでも、私と彼女の関係をよく知る人たちには「いいなあ」「羨ましい」「私もみきさんと〇〇さんのような親友が欲しい」って、いまだに言われることがあるくらいなんですね。
そんな友達がいて、ずっと繋がっていられるのは、文字通り本当に「有難い」ことです。
恥ずかしいから、面と向かってお礼はなかなか言えないけれど、大きな愛情を持っていて、いつでも笑って私を受け止めてくれる彼女には、本当に心から感謝しているんですよね。
会えばいつもバカな話をして、お互いにふざけ合ったり貶し合ったり、笑いの絶えない私たちですが、私はなにかしんどいことがあったときには、彼女に電話して受け止めてもらったりします。
また、会った時には遠慮せずに言いたいことはなんでも言い合い、時にはかなりきついことをストレートに言ったりもするけれど、どんな時もお互いの言葉で私たちが傷つくことは無いようにも思います。
それはたぶん、私の中に、「彼女は私のためにならないことは絶対にしない」とか、「なにかあったときには絶対にすぐに駆けつけてくれる」という「信頼」があり、私もまた、彼女のために当たり前のようにそうするだろうと知っているからです。
最初は「ウザい」と思われていた私がなぜ、どちらかと言えば「人嫌い」なところのあった彼女の方から「親友」と呼んでくれるまでの関係を築けたのか、よく訊かれます。
どうしたら、彼女と私のような関係の友人を作れますか?と真剣に訊かれることもあります。
たしかに、かつて私が切望していたように、心から信頼し合える友人を欲しいと思う人はたくさんいるはずですものね。
でも、そんな人たちからの問いに私が答えられることはたったひとつ――、私自身を振り返ってみて思うことは、心から信頼し合える関係性を築くには「自分自身の『期待や欲(ニーズ)を手放す』こと」が必要なのじゃないかなということです。
たとえば、私が彼女に話しかけたとき、私は彼女に対して何の期待も持っていませんでした。
私を好きになって欲しいとも、友達になって欲しいとも全く思っていませんでした。
私はただ純粋に、彼女自身に興味があったのです。
「相手に興味を持つ」、ということは「相手を知りたい」「理解したい」と思うことであり、実は相手を愛する第一歩です。
なぜなら、人は誰でも心の底では「誰か」に「自分をわかって欲しい」という欲求を持っているからです。
だとするなら、あのとき私がしたことは――、彼女を「愛してあげようとした」のだと言えるのかもしれません。
そして、心理学には「好意の返報性」という言葉があります。
人は誰かに「愛」をもらったら、同じ様に「愛」してあげたい、という想いを持つようなのですね。
つまり、私が彼女に興味を持ったように、当時の彼女も「こんなに邪険にしているのに、なんで寄って来るんだろう?」と、私自身にささやかではあっても興味が湧いたのではないかと思います。
そしてそれが、私たちの始まりだったのじゃないかなって、私は思うんです。
また、もう一方で「ニーズ(欲求)」、つまり「して欲しい」と言う気持ちを持って相手に近づくと、相手になんとなくそれが伝わってしまうことがあります。
「愛して欲しい」というニーズを隠し持ったまま近づかれると、人はなんとなく「奪われる」ような感じがするんですね。
よく言う「重い人」というヤツです。
そんな人と一緒に居るのは疲れますし、どうしても相手からは距離を取られてしまいます。
子どもの頃の私は、そんな風にものすごく大きな自分の「ニーズ」を持ったまま、人に相対していたので、うまく対人関係を築くことが出来なかったのでしょうね。
「手放すと手に入る」と心理学ではよく言われますが、本当にその通りだったようです。
不思議なもので、本当の友達が欲しくてたまらなかったときにはどうしても出来なかったのに、「欲しい」という気持ちを意識しなくなったときに初めて、私はたくさんの友達を持つことが出来るようになり、彼女という「親友」を得ることが出来たのです。
このコラムの最初でも書いたように、「女同士の友情はラップよりも薄い」とか、「すぐ壊れる」「ガラスのように脆い」なんて言われます。
でもなんだかんだと、彼女と私の友情――「腐れ縁」と愛をこめて私たちは呼んでいますが(笑)――は未だに続いています。
私と彼女は「親友」であり、「相棒」であり、そして一時期は「戦友」でもありました。
そんな存在と巡り会えたことは、私にとっては本当に僥倖であり、もしかしたら「奇跡」と言えるのかも知れません。
でもきっと、どんな人であっても、それが友人であれ、パートナーであれ、もしもあなたが本当に心から求めているのなら、出会いはあるのだと思います。
「期待」を手放し、あなたのほうから先に相手を愛する事が出来たのなら、あるいは相手の愛を受け入れることが出来たなら、きっと「本物の関係」を手に入れることが出来ると私は信じています。
「神様は一つの扉を閉ざしても、別の扉を開けておいて下さる」
「フライドグリーントマト」の中の、私が大好きな台詞です。
閉ざされた扉の前で駄々を捏ねるより、開いている扉を探し、感謝してそこを通り抜けること。
私が欲しかった関係性は、かつての閉ざされた扉を諦めて振り返ったとき、新しいの扉の向こうで待っていてくれたのかも知れません。
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お読みいただいて、ありがとうございました。
このコラムが、少しでもあなたのお役に立てたなら幸いです。
どうかあなたが、誰かと「本物の関係」を築いていけますように☆彡
ずっと、応援していますね。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

三枝 みき

家族や親子の問題、子育て、友人との関係など対人関係の問題や、罪悪感、自己否定など心や性格についての問題を得意とする。 長女の自傷と強迫性障害がきっかけでカウンセラーとなる。特に母子関係については、自身が母との問題、娘との問題の両方を経験しており、ライフワークとして取り組んでいる。