良い休日?悪い休日?

みなさん、休みの日はいかがお過ごしでしょうか?
休日の過ごし方は人によって様々かと思いますが、普段出来ない事をやるチャンスですね。
思う存分遊んで楽しむのもよし、ゆっくり休んで疲れを取るのもよし。様々なタイプの過ごし方があるかと思います。
私は、どちらかと言えば(というか、かなり)インドア派な方なので、休日はもっぱら、本を読むとか、テレビゲームをやるとか、借りてきたビデオを見るとか、そんな過ごし方が多いです。
もちろん、たまには友達と遊びに行ったり、買い物に行ったり、車で遠出をしたりという事もありますが、基本的に私にとっての「休日」とは、「家の中で遊ぶ日」という感じになっていました。
そしていつの頃からか私の中で、「良い休日」「悪い休日」という概念が出来上がっていました。
「良い休日」というのは、沢山遊べて、充実していたなぁ、という日を指していました。
「悪い休日」というのは反対に、ダラダラ過ごしてしまったとか、あまり充実していなかった日を指していました。
そして、休みが少なかったり、忙しい時期であればあるほど、「今度の休みは、良い休日にしなくては!」と意気込んでいました。
たとえば、休みの前日に、頭の中でこんな計画を立てるわけです。
「ふだん、8時間働いているとして、休みの日も同じ時間に起きれば、8時間を丸々遊びの時間につかえるわけだな」
「8時間もあれば、今読んでいる本をこの辺りまで進めて、ビデオを1本観て、テレビゲームをこの辺まで進める事もできるかも知れないぞ」
「ああ、そうしたら、さぞかし充実した休日になるだろうなぁ。よし、明日はそうなるように頑張ろう!」
そんな事を考えて、眠りにつくのでした。
そして、翌日・・・。
ほとんどの場合、私は大幅に寝過ごして目を覚ましました。
もう、前日の計画などは見る影もありません。
目覚ましを何個設置しても、結果は似たようなもので、どうしても起きられないのです。
寝てしまうのです。
そして猛烈な後悔と共に、「次こそは時間通りに起きるぞ!」と固く誓うのですが、何度やっても結果は似たようなものでした。
私が想定するような「良い休日」などは、年に数回あるかどうかという具合で、その度に後悔し、落ち込み、奮起し、そしてまた後悔するという事を繰り返していました。
今おもえば、何故あんな事になっていたのかは、いくつか推測ができます。
まず、単純に疲れていたのでしょう。人間は、体の疲れにはなかなか逆らえません。
そして、いつのまにか「遊ばなくては」「充実させなくては」という意識に、囚われてしまっていたようです。
「平日は遊べていないんだから、せめて休日は充実させなくては・・・」という意識が、私をつつみこんでいたようです。
私がもっともっと幼かった頃には、「休日は充実させなくては」なんて事は、考えもしませんでした。
やりたい事は沢山ありましたし、それは平日休日を問わず、少しでも時間があればいくらでも遊んでいました。
多少疲れていても、眠くても、関係ありませんでした。
「遊ばずにはいられなかったから」です。
ですが、いつのまにか大人になり、「遊べていないな」「充実させなくてはいけないな」という意識だけが残り、その葛藤が私を苦しめていたようです。
忙しかった頃の私は、「いつか自分が成長して、強い意志を持てるようになれば、良い休日を過ごせるようになるはずだ!」と考えていました。
そして、心理学や癒しを学んでいった結果、現在の私は・・・。
ほとんどの休日を、私は大幅に寝過ごして目を覚まします。
ですが、そこに以前のような後悔はありません。
「うーん、今日は良く寝たな。一週間分は寝た気がする。むわあああ。」
「なんだか、すごく良い夢を見た気がする(おぼえてないけど」
「今から出かけるのもいいけど、ちょっと眠いから、もう少し寝てみようかな・・・」
今では、「良い休日」「悪い休日」という考えも、どこかへ行ってしまいました。
確かに、あの頃思い描いた「良い休日」を、いつも出来ているわけではありません。
でも、「充実させなくては!」と思うのではなく、その時に本当にやりたい事ができる休日は、限られた時間でも十分な満足感をもたらしてくれました。
そして、あの頃私を苦しめていた「悪い休日」も、いまでは「そんなに悪くない休日」になりました。
楽しめた休日も。忙しい休日も。充実した休日も。ダラダラした休日も。
どんな休日も、今では「いい休日」です。
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