団結と再生の回想録 ~20年ぶりの懇親会から感じたこと~

こんにちは、建部かずのぶです。
少し遡りますが、1月のある土曜日。
呼びかけがあったので、JRの住吉駅へ向かいました。
改札を降りて、正面の壁際に向かうと、
知っている顔が10人ほど、
知っているような顔が5人ほど、
知っているかもしれない顔が3人ほど、
見たことがないって顔も5人ほどいました。
男性が多いのですが、ベビーカーを押した主婦もいます。
あ、年齢はだいたい30代後半以上でした。
幹事の男性が、手書きで書いた紙を持っています。
『情報センター ご一行様』
集合時間を過ぎてから来た人もいて、
結局動き始めたのは、予定時間を20分ほど過ぎてから。
この少々まとまりのない一行は、まとまりなく歩き始めます。
神戸市の東灘区役所~住吉川の橋~東灘郵便局。
みんな歩きながら、キョロキョロと辺りを見ては、
「ここはどこ?」「こんな景色初めて見る!」と口々に言います。
でも一カ所、みんなが足を止めた場所がありました。
それは新しいマンションの上り坂で、おのおの写真を撮り始める人もいます。
このマンションの坂ですが、元々はこの場所が東灘区役所でした。
この場所は、今回集まったみんなの思い出の地で、
大規模に建て替え事業が行われ、キレイに生まれ変わった神戸の街中で、唯一残った面影だったのです。
このコラムを読まれている方は、何の話かちんぷんかんぷんですよね。
この不思議な集まりは、今から20年前の阪神淡路大震災の時に、
この地に駆けつけたボランティアたちだったのです。
震災のときにボランティア活動をした街に再び集まって、
すっかり生まれ変わった街並みをみんなでお散歩したのち、
みんなでご飯を食べましょう、というイベントでした。
メモリアルというには複雑な日でもあるわけですが、
「ちょうど週末でもあるし、みんなで集まろう!」
当時は大学生で神戸にいて、今は東京の都心に住むTくんの一声から、
この日の集まりが決まりました。
私たちは、『よろずボランティア 情報センター』という名で活動していて、
多い日だと1日数百人が活動し、解散するまで1年半近く、
区役所に集まったボランティアさんを受け入れる形になっていました。
とは言っても、特別な組織でもなければ、事務局もありませんでしたが。
区役所の支援が行き届かない事については、何でも取り組む姿勢で、
炊き出し、小さな避難所を訪問、子どもの遊び相手、医薬品等の配送、仮設住宅のサポート、
被災者の方へちょっとしたプレゼントをしたこともあります。
引越しの手伝いや、傾いた建物のジャッキアップをするチームもいましたし、
一部のメンバーは新聞を発行していました。
全国各地から駆けつけた学生を中心として、自然発生的に生まれた集団は、
被災者のため、全国から来てくれたみんなのために。
役所とも調整しながらチーム分けをし、みんなの得意分野を生かしてやりたい事をできるだけ尊重し、
毎晩報告会やミーティングをして、どんな意見でもしっかり耳を傾けていました。
やがて紆余曲折を経ながら、驚くほど自主的で、民主的な組織になっていったのです。
それだけに懐も深く、老若男女、引きこもり、家出少年(親御さんが迎えに来られましたが)、
暴走族、チーマー、有名大学の学生、高校生・・・とまぁけっこうなメンツです。
そんなみんなが再び集まる。
私自身は週末のボランティア参加で、人が減ってくる中で、深く関わるようになった後発組でしたが、
連絡係等のお手伝いをしながら、今でもこのチームを大切に思っていることに気がつきました。
そして、懇親会の当日。
お散歩、ご飯、居酒屋さん・・・。
私は翌朝から用事があったので、ここで失礼しましたが、
夜通し、さらに翌日も行動を共にした人たちもいたようです。
北は北海道、南は熊本。活動して以来の方も結構いらっしゃいます。
最初はどことなく他人行儀というか、かしこまっていて、みんな年を重ねたなぁという感じでしたが、
中には、昔のまんまの人もいて、その空気感にみんなも巻き込まれて、
ご飯を食べる頃には、時空を越えて懐かしさでいっぱいでした。
あの緊急時に、不安を感じながらも、家族の心配をよそに、ふと突き動かされてしまった。
「まだ交通機関も整わないのに、現地の状況もよく分からないのに、つい来ちゃったんだよね」って声・声・声。
最初1週間くらいだったのが、1ヶ月になったとか、つい何度も足を運んでしまったとか、
『バイクがあるから、何かできるはず!』
ただそれだけの思いで行った私も含め、それぞれの武勇伝がありました。
言いだしっぺのTくんのおかげで開催できた、ゆるゆるの懇親会。
お開きではみんなから、感謝の拍手が鳴り響きました。
残念ながら、この日に都合のつかない方もいましたし、遠方の人もいっぱいいます。
でも、「またやろうね」、「夏には東京でもやろうね」
そんな言葉を残して、それぞれ今の生活に戻っていきました。
気付けば3ヶ月ほど経ちましたが、
この日の温かくて、ざっくばらんな空気の余韻は、今でもしっかりと残っています。
阪神淡路大震災から20年が経ちました。
20年と書くと、あまりの時間の速さに少々戸惑いますが、
それでも神戸の被災地と向き合っていた思い出は強く残っていて、語り出すと止まらなくなるくらいの想いもあります。
それまでは何気なく生きていた私でしたが、
「社会のため、人のために、今できることを頑張ろう!」
震災をキッカケに、自分の中から情熱が湧き上がってきたのです。
誰にでも、眠っている情熱があるものです。
それを呼び起こすスイッチは、全く想定外の出来事からやってくることもありますが、
想いに導かれて動くと、振り返ったときには全く新しい世界が広がっていきます。
このコラムをお読みの皆さまは、どんな時に熱い想いを感じていましたか?
ちょっと振り返ってみると、今の自分に新しい風が吹くかもしれませんよ。
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

奥さん大好きの仲良し夫婦のカウンセラー。年々親密さが増し、パートナーシップを進化させている。 育った環境から1人ぼっちも平気だが、垣根が低いフレンドリーさもある。 繊細さや直感力を言語化できるともお客様から評判である。様々な経験に基づいたカウンセリングは、実践向けとも言われている。