ほろ苦い思い出から母への感謝へ

小学生の頃、ピアノを買ってもらった思い出があります。
もう随分昔、何十年も前の話です。
今なら男女を問わずピアノを習ったことのある人も多いと思いますが、当時はまだピアノを習っているのはクラスでも少なく、女の子が習うものというイメージでした。
私も幼稚園でオルガンを始め、小学校に入ってピアノを習い始めたのですが、ピアノの代わりにオルガンで練習をしていました。
ピアノが欲しいなと思っても、子ども心にも高価なものだとわかっていたのか、欲しいとはいえませんでした。
 でも、向いに住んでいる子のお家にはピアノがあり、とっても羨ましかったのを覚えています。
でも、結局、ピアノの先生が厳しくて、怖くて2年くらいで止めてしまったのです。
その後は、たまにオルガンを弾く程度でした。
 ただ、高学年くらいになると、ピアノを弾ける人は、自由にピアノ曲を弾い たり、歌謡曲を弾いたりするのがカッコよく見えました。
それを見ていると、もう一度習ってみたいなあと思うようになりました。
 そして、母にピアノをねだってしまったのです。
何度も頼んでみましたが、父は「そんな高いもの買えるか!」と一言だけ。 母は「買えない」と言いながらも、ちょっと困った顔をしていました。
そのたびに、私は泣いて駄々をこねたかどうか、もう覚えていないのですが、何かにつけては、「ねえ、ピアノ欲しいから買って」と母に言っていたのだと思います。
だけど、「高いから買えない」と一点張り。そりゃあ、そうですよね。当時は本当に高価なものだったんですから。小さなおもちゃを買うのとは訳が違います。
買ってもらえないことは十分にわかって いるのに、まだお願いし続けていたんです。
ある時、母の知り合いから中古ピアノの話がきました。
 それでも、まだ簡単に手が出せる金額ではなかったようで、母は「やっぱり無理」と言ったように思います。
「仕方ないよね。高いんだし・・」と私自身ももう諦めかけていました。
ところが、ある日学校が終わって家に帰ってみると、ピアノが置いてあったんです。
ビックリしていると、「欲しかったんでしょ。中古ピアノしか買えなかったけど、これでいいよね」と母が少し申し訳なさそうに言いました。
そのピアノは、鍵盤が象牙で出来ているとかで黄色く黄ばんでいました。
 (今はたしか象牙はご禁制ですよね。)鍵盤がひとつかふたつ、音が出にくい箇所もありましたが、それくらいはどうってことはありません。 私のためのピアノ、というだけで十分でした。
 恐る恐る鍵盤に触れてみると、なんとも言えない柔らかい音色がします。
あれだけ欲しかったピアノ。 だけど、嬉しいはずなのに、嬉しさよりも申し訳なさが先にきてしまいました。
 「いったいいくらしたんだろう? 無理させちゃった。今こんな大変な時期なのに・・」
実は、当時はオイルショックの真っ最中。灯油が値上がりし、トイレットペーパーも店頭から消え、買占めが行われ、この先の生活への不安が増大していた頃でした。
だから、ピアノなんかにお金を使わせてしまって、どうしよう。なんてことしたんだろうという気持ちでいっぱいになったんです。
その時に私が母に言った言葉と気持ちは、今でも覚えています。
私は、”ありがとう”の言葉よりも先に、「ごめんね。こんなことにお金を使わ せて。」と泣きながら母に言っていました。
 感謝ではなく謝罪。 取り返しがつかない思いでした。
母は、「いいのよ、そんなこと気にしなくて。」と私に言ってくれました。
母はどんな思いで私にピアノを買ってくれたのでしょう。
でも、結局は母に「ありがとう」を言えなかったように記憶しています。
欲しかったものなのに、素直に喜ぶことが出来なかったこのことは、ずっと私のほろ苦い思い出となり、思いだすたびにチクリと胸にささってきました。
長い間、心の奥に閉じ込めてきた思い出でした。
でも、もうその思いも解放してあげましょう。
あの時、母に「ありがとう」を言えなかった苦い思い出ではなく、私は大切にされ愛されていたんだという思いに変えて、母に感謝を贈りたいと思います。
 
「ママ、ありがとう。 長生きしてね。」
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この記事を書いたカウンセラー

About Author

自己否定、自己嫌悪、疎外感、自己肯定を得意とする。「その方の心に寄り添い、一番の味方でいること(安心感)」をモットーに、わかりやすい言葉で恋愛問題や対人・自己との関係を紐解き、改善・生き易さへと導いている。  東南アジア2カ国での生活経験もあり、国や文化の違いについても造詣が深い。

2件のコメント

  1. >欲しかったものなのに、素直に喜ぶことが出来なかったこのことは、ずっと私のほろ苦い思い出となり
    ほんとにそうですね…私もたくさんあります。
    『ほろ苦いもの』は、大人になってこそ味わえる。
    お子ちゃまには、無理な楽しみ方です。
    ほろ苦い想い…これは、今の私の『dolce vita』
    横浜6日間ワーク、昨日までの3日間、楽しい時間を共有くださりありがとうございます。

  2. あきらさん、コメントありがとうございます。
    年齢や年月を重ねたからこそ、振り返って感じることや分かることもありますね。
    どんな思いや出来事も、それぞれの「dolce vita」に繋がっていくのかもしれません。
    ヒーリングワークでの3日間が、あきらさんにたくさんの気づきや恩恵をもたらすものでありますように。