私の困ったクセの本当の理由(わけ)

三島桃子です。
いつもコラムを読んでいただいてありがとうございます!
半年ぐらい前だったか、私にとって「へえ~×10」(古い?)みたいなことがありました。
出かける時に不安になる、という妙なクセが、私にはありました。
社会人になるころから顕著に出てきたような気がします。
ガスの元栓は閉じてあるか?冷暖房器具のスイッチは切ったか?電気は消したか?と何度も確認してしまったり、持って出なくても何とかなりそうな小さな忘れ物を思い出しては取りに戻ったり。
しかも、一応「よし、全部確認したしこれで大丈夫」と思って玄関にカギをかけて歩き始めてからも、家のことが気になってしかたないのです。
何か、そのまま出かけてはいけないような、後ろ髪を引かれるような感じ。
ここ数年は以前よりましになりましたが、やはりおさまることはありませんでした。
まあさほど支障があるほどでもなかったので、「あーあ、病気だわ~」と半ば笑い飛ばしながらやりすごしていました。
でも心のどこかでは、「何でかな~何でかな~」とずっと考えてはいました。
実は外へ出るのが怖いのかなあ?それとも外出して疲れるのが嫌なのかなあ?
ん~…、いまいちピンとこないな~。
単に、深い意味はないクセなのかな?
などと考えつつ、まあ治らなくても別にいいや、とも思っていました。
そんなある日、自分の「出かける前症候群(と勝手に名前をつけていました)」のことをなんとなーく考えるともなしに考えていたんですね。その背後に何かあるとしたら何があるんだろう?怖れ、という気はする。私たち人間の根源的な怖れとは、死への怖れだと言うよねえ。
死、かあ、死、ねえ。誰が死ぬと思っていたのかな…?
あ!!!!!
お母さんだ!!!
そして、以前どこかで聞いたことのある話がさっと心をよぎりました。
お母さんを家に置いていくのが心配で登校拒否になる子どももいる、という、テレビか何かでちらりと聞いた話。病気や、家庭の問題でとても悩んでいるなど、事情のある母親を一人残して学校に行く気持ちになれない。お母さんが心配だから。本人もそれで自分が登校拒否になっているという意識はない。ただどうしても行く気持ちになれない。そんなケースもあるのだと。
子どもの頃、私の母は病気がちで、よく寝室で横になっていました。
学校から帰ってきて、母が寝室にいるか、それとも台所にいるか、というのをまず無意識に確かめていたのを覚えています。
私は、自分が学校に行くときに母を心配するような気持ちを持っていた記憶はありません。でも、学校に行ってもどこかうかない気持ちを抱えていたような気はします。
心の底に、絶えず不安な音が響いているような感じ。何をしていても消えない重い感じ。
あれは、母を心配する気持ちだったのかもしれない。母が死んでしまいはしないかという不安だったのかもしれない。
そこまで思いが至った時、すうっと幾筋かの涙が私の頬を伝いました。
ちょうど夕暮れ時、私は一人でリビングのテーブルに向かっていて、暮れかけた空が遠くに見えていました。
子どもって、親のことをじっと見つめ、いろんなことを感じているんだな…。私もそんな子どもだったんだなあ。
そんなことを思っているうちに、ほわっと胸が温かくなりました。
その後、私の「出かける前症候群」は、かなり落ち着き、そこそこさっと確認して外出できる感じになりましたし、一度玄関ドアから出てしまうと、以前のような後ろ髪を引かれる気持ちは感じなくなりました。
次のことに自然に気持ちが向かうのです。
何となく不安感を抱えていた小学生の私を思い浮かべると、愛おしく感じます。
そんなにお母さんのことが心配だったのね、お母さんが大切だったのね。いい子ね。そう声をかけてあげたい感じがします。
同時に、あの不安感を持たずに過ごしている小学生の自分もイメージできるようになりました。
心が軽くて、目の前のことに思い切り集中し、楽しめている女の子です。
そんな小学生の自分もかわいいなあと思います。
不安そうな子どもの私も、生き生きした子どもの私も、両方大切な存在です。
両方ともリアルに思い浮かびますし、愛おしく感じます。
心理のセオリーどおり、抑圧されていた思いが顕在化して自分で理解できると、その思いは解放されるのですね。心理マニアにとってはとってもおもしろい経験となりました。

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