ゆるし

私の、最近のテーマです。
だれかの考え方や行動を見て、“それはないんじゃないの?”と非難したい気持ちになったり、“あ、それはちょっと・・(^^;”と引いてしまうような気持ちになったりすることがあります。
一言でいうと、だれかの考え方や行動に対して、ネガティブな感情を抱いてしまうことがあるのです。
以前であれば、“まぁ、そうはいっても、それはその人の問題だしなぁ・・”なんて考えて、自分のこととは切り離して考えていたんですね。
所詮は他人が考えること、その人がよかれと思って行動していること。それに対して自分が何を感じたとしても、その人たちはそれでいいと思って考えているのだろうし、行動しているんだろうから、別に自分が何か言う権利もないし・・。まぁ、自分なりに思うことはあるけれど、それをぶつけられても相手は気分よくないだろうしなぁ・・、なんて風に。
よく言えば、見守るスタンス。悪く言えば、見て見ぬふりをしている。
そんな風に、目の前で起こる出来事を見ていました。
ところが、です。
心理学を深く学んでいけばいくほど、それら(私がネガティブを感じる他人の考え方や行動)は、実は自分の内側にも存在するものであり、自分の中にもそれらが存在するという事実を自分が認めていない・受け入れていない、存在すること自体ゆるしていないんだ、ということに気づかされました。
だから目の前の人がそれらを見せてくれたときに、自分の内側にもそれらが在るということを見たくなくて、ネガティブなものを感じることで自分から切り離して、跳ねのけていたんだなぁ、ということがわかってきたのです。
たとえば、他人の考え方を分析しては否定・非難する、そんな人が自分の目の前で話をしているとします。
以前の私であれば、その人に対して、きっとこんな風に感じていました。
“いま、この人は、こういう風にしか人を見れないときなんだなぁ。人を否定・非難しても良い気分にはならないと思うけど・・。それに、言われているこっちも気持ちよくないなぁ。でも、言うなというのも変だし・・、とりあえず落ち着くまで聴いておこうかな。”
シンプルに書けば、“嫌々聴いている”という情態です(^^;;
そして、こういうことが何回も続くと、話に付き合い切れなくなってしまい、その人と距離を取ろうとする、それが私のパターンでした。
でも、「自分以外の人の考え方を分析しては否定・非難する」なんてこと、人間生きていれば、一回はやっているんですよね。意識的にも、無意識的にも。
自分の内側と照らし合わせてみると、当たり前ですが、私もやっていました。
そして、さらに自分の内側を深く覗いていくと、“そんなことをしてはいけない”と裁く自分、“人を非難するなんて最低だよ”と責める自分、“人にやったことは自分に返ってくるんだから”と脅す自分・・
とってもたくさんの、【そんなことする自分をゆるさない自分】と出会いました。
身の回りで起こるいろんな出来事に対して、この考え方(他人を見ていて感じたことを、自分の内側と照らし合わせること)を適用していったときにわかったことがありました。
自分をゆるしていない度合いが強いほど、それに比例するかのように、ゆるせないことを目の前でしている人に対して強いネガティブ感情を感じるんだ、ということです。
決して、その人のことを厭(いや)になったわけでもなく、嫌いになったわけでもなく、その要素を内側に持つ自分のことを厭になり、嫌いになっていたんだ、ということに気づきました。
気づいたのはいいけれど・・、じゃあどうしたらいいんだろう?と考えたときに出てきた答えが、『ゆるすこと』でした。
その要素を感じる自分、上記で言えば、「自分以外の人の考え方を分析しては否定・非難する」自分のことを『ゆるして』みました。
すると、ネガティブ感覚から解き放たれるのを感じることができたのです。
具体的にどうゆるしたのかというと、「自分以外の人の考え方を分析しては否定・非難する」自分のことを、『そういう自分もいるよね♪』と、良いも悪いもなく、正しいも間違ってるもなく、裁かず、責めず、脅さず、ただただ『人間生きてりゃそういうときもあるよね♪』と、そういう自分の存在を認めて、受け入れただけ、なのです(^^)
『そういう自分もいるよね♪』
『そういうときもあるよね♪』
『そういう自分もありだよね♪』
そこになんの判断も加えず、ただただ、そういう自分がいる、その存在を認める。これが、私にとっての『ゆるす』ということでした。
実際、こうしてゆるしてみると・・あら不思議!^^
あんなに嫌だな~とネガティブなものを感じていたあの人を見ても、自分に対してと同じように、『そういうときもあるよね♪』と思えるようになっていたのです。
別に、その人が何か変わったわけではありません。
私の見方や感じ方が、変わったようなのでした。
その結果、その人を見てもネガティブなものを感じないので気持ちがすごく楽になりましたし、そうなれた自分に対しても、すごく嬉しい気持ちになれました(^^)
やっぱり、人のことは嫌いになりたくないですし、ご縁があって出会った人と距離が出来てしまうのは単純に寂しいですから、そうならずに済んで、すごく嬉しかったのです。
心がすごく晴れやかになるのを感じました♪
こうした経験から、私の中で『ゆるし』が一大テーマとなったのです。
私の周りの人は、みんな私の内側の鏡となって、私に何かを教えてくれます。
今回は、『ゆるし』を教えてくれました。
これだから、人との関わりは止められないな、と思います(^^♪
これからもたくさんの自分を『ゆるして』、もっと自由で、もっとたのしい人間関係を築いていきたいなぁと思っています。

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2件のコメント

  1. 高井さん、先日はアメブロ「『判断』はケンカの種」でお返事ありがとうございました☆
    今回のこのコラムも私の心にヒットする内容で、勝手に高井さんと「つながってる感」を味わっております(笑)
    私の場合、「ぶりっこ」な人がゆるせません・・・。
    私自身が職人気質なので、仕事で結果を出さずにぶりっこ(愛嬌?)でポイントを稼ぐ感じが嫌なんだと思います。
    楽になりたくて、コラムのように「そういう自分もいるよね♪」と一瞬チャレンジしてみましたが、ソッコーで「おえーーっ!!」てものすごい拒否感が出てきました(笑)
    いつか高井さんのようにどんな自分もゆるせるようになって、「周りの人みーんな大好き♪」て言えるようになりたいです。
    長文失礼しました☆

  2. くまのこさん
    コメントありがとうございます(^-^)
    >ソッコーで「おえーーっ!!」てものすごい拒否感が出て
    爆笑いたしました!笑
    即実践、とてもすばらしいです。
    感動します。
    その「拒否感」、それすら“受け容れてしまう”と楽になりますよ~♪
    >どんな自分もゆるせるように
    これを目標にして「行動」し続けていれば、
    必ずなれます。
    応援しています!
    ありがとうございました(^-^)