◇本当に許すことで癒されてしまうの?

僕がもっとも研究した、「許す」というテーマ。
初めて「許し」という言葉を聞いたとき、真っ先に考えたのは、
「なんで許さなくっちゃいけないの?」
でした。
傷つけられたと感じてしまう人、けんかしたした人、ひどい目にあわされたのに、
なんで許す必要があるんでしょうか?
そんな疑問をもっていたとき、聞いたのは、
「その人じゃなくて、自分を許すこと」ということでした。
そのとき、両親を許せない〜っと感じていた僕の頭の中は、
はてなマーク(→?)でいっぱいになってしまいました。
要するに、両親を許せるぐらいに寛大な自分になってしまうことを
許してないってことなのか?
それとも、両親にむかついている自分を許してあげることなのか?
今、カウンセラー・セラピストという職業を選択している僕が、頭の中に
はてなマークをいっぱい飛ばしている昔の僕に言うとするなら、
「どちらも正解」と言ってあげたいと思います。
単純に言ってしまえば、心理学で言うところの「許し」とは、受容のことだと
僕は思っています。
多くの場合、怒りを感じればその下には抑圧された感情があり、
さらに怒りまで抑圧してしまう
ところまで行ってしまうと、もう、毎日が無気力で、な〜んにもする気が
起きなくなってしまうなんてことになるみたいです。
感情を抑圧する、というのはよく言いますが、実は、これは並たいていの
ことではありません。
感情は感じれば感じるほど、別の感情に変化していきますが、感じずに
押さえ込んだり、無視したりするほど、心の中に残ったままになり、
膨らみつづけていきます。
大きくなった感情を押さえ込もうとおもったら、その感情と同レベルか
それ以上のエネルギーを必要としますから、ある意味、抑圧しているものが
ある度合いだけ気力も失われるというのもうなずけてしまいます。
僕が両親をなんで許せてしまったのか?
今振り返ってみれば、実はそんなに難しいことではありませんでした。
僕の場合は、両親を、「神様」みたいに扱っていたから、なかなか許せ
なかったみたいです。
「神様」とは、決して失敗しない、完璧さの象徴のような人です。
「神様」は失敗しませんし、決して僕たちを裏切りません。
ということは、両親を「神様」扱いしている度合いだけ、僕の期待を裏切り
つづける両親に対し、うらみつらみねたみそねみが出てくる、ということでした。
両親は人間ですし、僕は神様に、助けてもらった覚えはいっぱいありますが、
育ててもらった覚えはありません。
もし、両親が人間だったら・・・と思いながら両親の生き様を振り返り、
両親の今の姿を見ると、
「なんだ、あたりまえじゃないか」と言う感じがいっぱいして、いままで
「愛してくれなかった」とか、「だめな親」と思っていた部分が、
とっても人間くさい、まるで「男はつらいよ」とかの
人情映画に出てくるような、せつな〜い部分に思えてしまったのです。
むかつく〜っていっていた自分が、なんだかばかばかしくなって、
大笑いしたのを覚えています。
実は、僕が抑圧していた感情は、この両親に対する、「せつないよなぁ〜」
っていう感情でした。
なんだか、それが、両親の幸せでなかった人生や、僕の中にある失敗感を、
認めてしまうようで、嫌だったんです。
でも、本当は逆で、幸せはいっぱいあったはずなのに、忘れてしまっていた
だけだったみたいです。
自分の中にある感情を、あっちいけしていると、それはそれで傷ついたり、
つらい思いはしなくてすむかもしれませんが、なんだか忘れていってしまう
いいものが、その裏側であるみたいです。
許しは最大の癒しだといいます。
あなたの中には、どんな抑圧があるでしょう?
それが痛みであったとしても、その感情は、外に出たがっているかもしれません。
外にあることを許してあげると、そのとき、はじめて、癒された〜って感じが
いっぱいするのかもしれませんね。
by 田村厚志

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