●数字

小さな個人商店での、帳簿。
会社などでのそれとは違って、それはそれは単純なものです。
入ってくるお金と、出ていくお金。そして、出ていく先の分類。
それでも、数字は苦手で、あまり考える事もありませんでした。
だって、”嫌いなものは、嫌い”だから。(笑)
今でもパソコンを使わずに、電卓でやっているお店の経理、主人の大事なお店のことだとわかっていても眠気が襲います。
でも、ふと、どうして嫌いなのか?に気付いたんです。
私たちの心には、たくさんの感情が眠っています。
なぜにこんなにたくさんのものが、一体どこからやってくるのか・・・
もしかしたら、心って、四次元の世界とでもつながっていて、その未知の世界からとめどなく流れて来ているんじゃないか?と思うほどです。
少し大げさかもしれませんが、見つめれば見つめるほど、そう感じます。
まるで、自分の中に大きな川が流れていて、
「あ〜、なんだかしんどいなぁ」と感じれば、間もなくダムの放水時の警報のようなサイレンが鳴り出して、
ドォ〜〜と水が流れてくる。
情けなくて、寂しくて、悲しくて、それはそれはいろんな種類の感情が、涙とともに溢れてきます。
でも、違う場所に行けば、とてもおだやかで、キラキラする川面にくつろげたり、その水音をいつまでも聞いていたいと思う。
いつだってダム建設反対運動と、「いやいや、経済を安定させるには・・・」とか「治水のためには・・・」と押し切っての工事が、同時に進行していているような感じもします。
(長野県知事のニュースは、考えさせられました。

その川も、海にたどり着けば、大きな終わりのない揺れの中で世界をめぐりつづけて、
雲になり、雨になり、違う土地でまた川になる。
そんなこと、わかっているわ・・・と頭では言っても、川の流れは止まる事はありません。
最近、奈良に主人と遊びに行ったとき、ふと「奈良の都は大きな川が流れていなかったから、疫病を防ぐ力が弱くて、京都に移ったんだよ。」と、歴史好きなところ得意そうに聞かされて、歴史に関心の薄い私は、ふ〜んと思った程度だったんですが、なるほど文明の発達や都市の成長には、川が大きく関わっている事をあらためて思い出したんです。
心の中に流れる川。
私たちは、その川の扱いや特性を知ることなく、そして有効に生活に取り入れる知恵も、知識も持たず、ただその時その時の川の状態に振り回されているのかもしれない・・・と、思うんですね。
だからこそ、その川を理解しようと心理学というツールを学んだわけですが、肝心なことを見落としていたような気がしたんです。
たとえ、そこにたくさんの種類の感情を孕んでいても、川は川、感情は感情です。
水はいろんなものを取り込みますが、基本はH2Oか、プラスアルファかのどちらかです。
感情も実は水と同じで、基本は愛か恐れなんですね。
私たちにとって喜びにつながるものは、ミネラルをたくさん含んでいる水だし、ネガティブな気持ちは自然ではないものが含まれているのかもしれません。
この”シンプルさ”が、実は数字につながっていました。
数ある文字や記号の中で、最もその種類が少ないのは0〜9の”数字”なんですよね。
単純だから、ただの羅列に見えていたものが、あらゆる分野でもそうなように、突き詰めればそうやってシンプルになっていくのかもしれません。
そうは言っても、やっぱり分析に数字を用いることが好きになれるわけではありませんが、
また違った目で見えることだけは確かです。
世界の川の水が飲めるようになったら、単純にうれしいですね。
源河 はるみ

この記事を書いたカウンセラー

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